友人たちとの出会いとセステート・マジョールの演奏

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さて、昨日はフアンホと歩いて、久しぶりのブエノスアイレスの雰囲気をたっぷり身体の中に取り込んだので、土曜日、こちらでは選挙の前日で忙しいはずなのに打ちあわせがたくさん入ってしまった。東京のアルゼンチン大使館のポリカストロ文化担当が、友人のプロデューサを連れてやってきた。パーカッション・グループ、フォルクローレのグループ、タンゴのグループなど、中国や韓国に結構アーティストを送り込んでいる女性のプロデューサー。中国や韓国に行くついでに日本に寄ってくれるのはありがたいが、なかなか日本無機なのにぶつかることはない。しかし、ポリカストロ氏、今までのどの文化担当よりも音楽を知っているので話は盛りあがった。

久しぶりなアーティストたちもたくさん訪れてくれた。中でも現在セステート・マジョールを実質的にリードしているオラシオ・ロモ。素晴らしいバンドネオン奏者だが、この前まではなかなか若かったが、リーダーとして働いているせいか大変に大人になった感。セステート・マジョールの他、自身のクアルテート、セステートも率いてい流他、市立タンゴ・オケでも活躍中。その他莫大な数の録音に参加しながら、南米、ヨーロッパと海外ツアーも多い。まさに偉大なマエストロとしての階段を上っている、そんな雰囲気を携えてきている。

そして、8月のタンゴ世界選手権でもし意の下ですべてを取り仕切っているシルビア女史。今回はたくさん話があったのだが、ちょうど私の滞在中に短い家族旅行に出るというので、挨拶に来てくれた。なにしろ翌日が市長選挙の決選投票日とあって、ここまでは世界選手権の準備もなかなか大変だったよう。選手権そのものはまだ良いが、その前のタンゴ・フェスティバルの方がいつも大変。選挙時期と相まって予算がころころ変わる。わかりやすく言うと次の予算の目途がついては次のアーティストを決める、という離れ業をモッシとやっていたが、これかrしばらくはモッシとフアンホで廻していかなければならないらしい。 そして、考えtみると、このしるびあかんかんかんがかんがえて考えて見ると、この世界選手権を始めたイバラ元市長が事故の責任をとって解任され、ホルヘ・テレルマンがその後を継いだまでは良かったが、2007年の市長選挙で現在のマウリシオ・マクリが市長になった時、イバラが肝入りで始め、人気が上がっていったこの世界選手権を取りやめるかも、と誰もが噂したが、結局まくりはロンバルディ元文化大臣を市の文化大臣に据え、より積極的に展開することになった。当然、スタッフは総入れ替えとなった。その時に知り合ったのがグスターボ・モッシとシルビア女史だった。この2人も当然選手権のことは何も知らずに担当することになったわけで、最初の頃は特にこの声の高いシルビア女史とは口角泡を飛ばして喧嘩したものだった。しかし、大会の運営や、何よりタンゴの知識はこちらの方が上、と言う頼りない(別な世界では実績があるのだが)責任者とも結局は話を重ねていくうちに仲良くなって、お互いに切磋琢磨するようになった。その後モッシ氏も、シルビア氏も日本を訪れていて、その時に更に親交が深くなったというわけ。シルビアの旦那さんは、屈指のシンガー&ソングライター、レオン・ヒエコはじめ大物アーティストの音響エンジニアで、世界選手権でも結晶体科の音響を取り仕切っているから、弊社も多くの事で世話になっている。海外で、少ない時間にこうして挨拶に来てくれると本当に嬉しいものだ。

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さて、夜は有名ライヴハウス「トルクアート・タッソ」にセステート・マジョールの演奏を聞きに。このたっそと言う店は200人も入ったら一杯ほどの作りもさほど立派ではない店だが、クリスティーナ大統領直系の人間が経営しているせいで、タンゴに限らず大物たちが出演するので有名である。マジョールは今月の土曜日を4回とも出演しているそうで、行ってみると確かに立錐の余地もないほど一杯だった。ロモが一番前の席を用意してくれたのDSC_4522で、そこで鑑賞。昔のアレンジをかなり変えてはいるが、リベルテーラ存命当時からのあの熱い、迫力ある演奏は完全に引き継がれている。現在のメンバーは昨年12月1日にバイオリンのアブラモビッチが急逝しため、当時のメンバーではバイオリンのエドゥアルド・ワルサックひとりだけとなってしまったが、オラシオ・ロモ(Bn)を中心に、セサル・ラゴ(vl)、フルビオ・ジラウド(p)、キケ・ゲーラ(b)、ルシアーノ・シアレッタ(Bn)となっている。

この日は、偶然リベルテーラ夫人や家族、現在マネージャーを務めている息子のフアン・リベルテーラたちも来ていて楽しい夜になった。リベルテーラが日本に来たのは1981年か82年、つまり「タンゴ・アルヘンティーノ」をパリでデビューさせる少し前だった。「タンゴ・アルヘンティーノには、メンバーこそ違え、お前とやった日本でのショーを随分取り入れたんだよ、と言って、ブエノスアイレスで会う度にいろいろなところに連れて行ってくれた。その話を履ベルテー等が家でもよく話していたそうで、今日お会いしたご家族もなんだか初めてあった気がしないくらいだった。マエストロ、リベルテーラに心から感謝。気がつくと、夜12時をとっくに廻っていた。ここの法律では選挙当日はアルコール禁止のはずだが、2時頃までみんなと楽しくやった。こちらはクリスティーナ大統領に感謝?