素晴らしかったルベン・ラダの日本公演!

これだけ間が開くと前回何を書いたかも思い出せなかったが、今見るとちょうどシコ・ブアルキのことを書いていた。1980年代のキューバといえば、本当に景気も良かったし、素晴らしいものイベントをやっていた。バラデーロ音楽祭というラテンアメリカの大物アーティストばかりを呼んで、物凄いイベントだった。あの頃はキューバから招聘するアーティストもあったり、人の招聘を助けるために何度もキューバに行っていたので、バラデーロ音楽祭も結構よく行っていた。

そのバラデーロ音楽祭では、まったく知らないラテンアメリカの素晴らしいアーティストたちの演奏を初めて見ることが多かった。ルベン・ラダは1985年だから、もうバラデーロ音楽祭の第6回目だったかに聞いた。バラデーロの美しい海岸沿いの心地よい風の中、海に向かった野外ステージではロック、とかポップス、サルサ、なんでもありだが、勢いのある音楽が得だ。パブロ・ミラネスもシルビオ・ロドリゲスも聴いたが、あの暑い、そして熱いステージでは今ひとつ盛り上がりにかける。パブロもシルビオも、彼らだけのコンサートでは、室内野外問わず二数万のk男客を黙らせるのに、こういったフェスティバル形式ではどこかが違う。

そんな中でルベン・ラダが登場した。最初はトリオで、どちらかというと物静かな弾き語り風の音楽で始めたから、さほど真面目には聴いていなかったのだが、どんどん新しいサウンドが現れる。その度に身をのりだす羽目になった。

ルベン・ラダは、1960年頃からプロとしての活動を開始し、幾つもの重要なバンドを作って、注目を集めるが、国際的には76年にマイルストーン・レコードに差書のアルバムを録音、発表してからだ。そのアルバム「Goldenwings」には、ギターのDavid Amaro、フルートとパーカッションのHermeto Pascoal、パーカッションのAirto Moreiraが参加していた。ウルグアイという国はブラジルトアルゼンチンに国境を接している。るべんのいるウルグアイは、スペイン語圏だから、主な活動はウルグアイとアルゼンチンだったが、その後アメリカに渡って苦労を重ねながら、ブラジル人の仲間と交流するようになった。ルベンの母親はブラジル人で、ルベン自身は、一時でも黒人を追い出したアルゼンチンよりもブラジルに好感を抱いているようで、何度もブラジルに出入りしている。今回も3月26日に、そのブラジル人の母へのオアマージュとして、ポルトガル語で歌われたサンバとカンドンベのアルバム「リオの夜/ カンドンベエアーライン」をリリースした。ロナルド・バストスが歌詞を書き、Carlinhos Brownが出演している 「マンゲイラの大地」のビデオが作られ、ブラジルでも評判になっている。以下、彼の言葉。

 私の母カルメンはブラジル人で、叔母とは双子だった。私たちはとても貧乏で、一部屋に6、7人で住んでいた。母と叔母は二人ともメイドで、仕事と言えば皿洗いから床磨き、もちろん病気に備える金はほとんどなかった…今では腫瘍か何か見つかっても手術をして、あと10年は生きられる時代。人々は長生きできるけれど、当時の黒人家族にはそういうものはなく、神様が望んだ時には逝くしかなかった。私はと言えば、子供の頃は2歳から4歳まで結核を患い、発育不良で、黒人で、無知。黒人で無知は最悪だった。だから、世界中を巡りながら、その言葉を覚え、知らないことは読んで学習するしかなかった.、この録音は、そんな苦労をかけた母に感謝を捧げたアルバムなんだ…

 カルリーニョス・ブラウンはパーカッショニストとして昔から知っていたが、2019年に彼が ”Los Tribalistas” でモンテビデオに来た時に個人的に会ったんだよ。アルバム最初に収録されている曲「Chão da Mangueira」(歌詞:ホ ナウド・バストス)をホナウドと考えている時に、カルリーニョスにレコーディングに参加してもらうことを思いつきすぐに電話したんだ。快く引き受けてくれた。彼の参加には非常に満足している。彼はバイーアから参加してくれて、カリスマ性と愛情をたっぷりと注いでくれたことにとても感謝している….

 今は、全部は思い出せないが、キーボードと音楽制作は、私と一緒にグスターボ・モンテムーロがやってくれた。ベースのナチョ・マテウとギターのマティアス・ラダ、彼はいつも一緒だ。ルシーラとフリエタの姉妹がバッキング・ヴォーカル、「A Menina do Chapéu Azul」では、Silvaにも参加してもらっている。タンボールは私とロボ・ヌニェス(タンボール・ピアノ)だった…

このアルバムを聴いたときには、これで日本公演の選曲も楽になるな、とほくそ笑んだ。ホナウド・バスケスといえばブラジル、ミナスのクルビ・ダ・エスキーナの創設者の一人で、よく考えてみるとルベンの昔からの作風は黒人や現地の民謡、当時のポップスの要素が色濃く反映しているという点でクルビド・エスキーナのアーティストたちと似たところがある。二人の気が合って録音することになったのはとても自然だ。

さて、モンテビデオで最初にルベンに家に行って、レパートリーについても少し話したが、新旧に拘わらず、ルーベン・ラダの音楽人生の中からベストと言えるレパートリーで組みましょう、といってきた。

それ以来、メンバーの構成や、日本の前のスペイン・ツアーとの整合、何より日本入国のためのコロナ対策、困難なビザ取得などなど、普通の4倍も5倍もやることが重なって、具体的に話す暇は無かったが、日程もだ言う近くなって、一応予定のレパトリーをおっくって貰ったら、一気に嬉しくなってきた。どう考えても日本のファンが大喜びする曲が並んでいた。これには、本当に安心した。

いつもなら、彼らが日本に来る前に向こうで何度か実際に音を聴いて最終的に曲順などすべて決めてくるのだが、今回はコロナのせいで一度も向こうに行けなかったし、なかなか全員の時間が合わずに最後の合わせすら確認できないままの来日となった。だから、こちらで演奏させてみて驚くことばかり。まず、基本的に1曲の時間が長い。これは良くあることだが、今回はしっかり作り込んできていたからもある。でも、どれも外したくない名曲ばかり。しかし、主催者側の「今回はコロナ禍の中でのコンサートなので、2時間以内に収めたい」もあって最終的に以下の様なレパートリーになった。初日から数日間は「リオの夜」の中からも2曲入れていたが、カットせざるを得なかった。

東京公演では宮沢和史氏に登場してもらったが、これがまたピッタリはまって、2人とも「次はモンテビデオで」と約束するほど。そして、そこからMuriendo Plenaに至る流れは、もう誰にも止められない盛り上がり。コロナ禍だから、立って踊ってはまずいのだが、そこは百戦錬磨のルベンだ。録り方も押さえさせて、素晴らしい雰囲気を作り出した。そして、最後のアンコール。「No me queda mas tiempo」では、立ち上がっていた聴衆を座らせて、感動的に締めくくった。今回、直前に彼らのCDを輸入していたが、残念なことにこの曲はどこにも入っていなかった。いつか動画で紹介したい。

ルベンは、元々心臓疾患もあるので、余り大変な旅はさせられないのに、今回はウルグアイを出る前から腰の具合が良くなくて、痛み止めのクスるを飲みながらのツアーだった。普通はウルグアイに残してきたパトリシアという賢妻がすべて面倒を見ているのだが、今回は娘のフリエータがいつも面倒を見ていた。ところが薬に詳しいルベンが余りに日本の医者の言うことを聴かないので、あるときは泣いてマエストロを怒りつける。そうなると黙るルベンも凄く可愛かったが、何しろ簡単ではない旅の連続だった。

今回は、たくさんの日本のミュージシャン達が解除を訪れてくれた。誰もが感動してくれた。でも、大変だった思いが吹っ飛ぶような痛快なツアー出会った。

以下、日本公演の最終的なセットリスト。

01. Candombe para Gardel / 02. Don Pascual / 03. Quien va a catar / 04. Dedo /

05, Antidoto(Julieta) / 06. Santanita / 07. Camdombe para Figari / 08. Don’t stop el Camdombe

01. Cuesta Abajo / 02. Visionario(Julieta) / 03. Corazon Diamante(julieta) /

04. Malissimo(Julieta) / 05. Bulmana / 06. Shimauta / 07. Montevideo /  08. Cha-cha Muchacha / 09. Muriendo Plena / 10. No me queda más tiempo 

そして、だれもが感動した「時間が無い」の邦訳を元社員の鈴木多依子訳から。

No Me Queda Más Tiempo 僕にはもう時間がない

今日僕は一歩引き下がる  君に現実と向き合ってもらうために

そして僕は無になりたい  自分の威厳を抑えるように

僕は黙って君に背を向け 痛みに身を隠すだろう

君が喜ぶなら 僕は一時的に 隠れて君の手助けをしてあげよう

君への愛のためだから 僕にはもう時間がない 風が奪っていった 僕の気力とともに

君への愛のため 僕にはもう時間がない 風が奪っていった 僕の気力とともに ラララ…

このメロディーを君に贈る 君への愛を覚えておいてもらうために

君が喜ぶなら 僕は一時的に  隠れて君の手助けをしてあげよう

もうわかった すべては悪い方向に あの時のキスはもう二度とないのだと

君への愛のためだから 僕にはもう時間がない 風が奪っていった

僕の気力とともに

君への愛のため 僕にはもう時間がない 風が奪っていった 僕の気力とともに

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