アルゼンチンの少しだけ明るい話題!

 コロナで会社はほぼ完全にリモートにした。毎日一度ネット会議をやっているが、実際にまったくビジネスにならない。コロナってのは、我々イベント業界を潰すためにあるんじゃないか、と思うくらい悲惨だ。これだけ感染者が増えているのに「ゴートゥー….」で観光業界を喜ばし続ける事はどうしても止めないらしい。これを放っておいて、感染が止まるのを遅らせていると、とにかくイベントはいつになってもできるわけがない。それでも、オリンピックはやりたい。オリンピックをどんな形にせよ開けてしまって、そのあとに選挙をやって勝ちたいすが首相の下心が誰の目にも明らかなのに…。また今度もダメか…日本の政治家には本当にうんざりさせられる。

 さて、コロナが世界の芸術、芸能界を直撃しているのは誰もが知るところだが、アルゼンチンのタンゴダンス世界選手権の仲間から、丁寧なメールが届いた。今年の夏に、どうしても選手権の火を消さない、とネットで選手権を開催。市の予算はほとんどないのと、goの許可が下りたのが直前だったから、選手権の方の盛り上がりはイマイチだったが、選手権の担当をする前は、タンゴなどほとんど興味のなかった市の担当者たちが周りのわき業者を巻き込んで立ち上げた映像は、なかなかよくできているものもあった。名誉市民のグローリア&エドゥアルドのグローリアが亡くなったから、その追悼をやりたいが、映像はないかと聞いいてきたから、エドゥアルドの家はタンゴ関係の映像や音源の宝庫だから、と言ったら乗ってきた。それまで、すっかり塞ぎ込んでいたエドゥアルドも、市からの協力の要請に少しは元気を出してくれたようで、インビューにも結構長く応じてくれた。グローリアとエドゥアルドの歴史を紹介するにはあまりに短い時間だったが、何よりエドゥアルドが元気になってくれたのが嬉しかった。

 日本はもちろんだが、アルゼンチンのタンゴ業界は本当に酷くなっている。何しろ、体と体をくっつけるダンスなのだからしょうがない。ミロンガは全滅だし、レストラン・シアターも全滅、活動は全面的にストップしている。来る連絡はというと、寂しい話ばかり。

 そんな中、件のの選手権の仲間から「ご存知のように、アルゼンチンではまだCOVID-19の健康上の緊急事態に対処していますが、伝染曲線は下降しており、新鮮な空気を吸えるように夏を待っています。ブエノスアイレスではすでに野外文化活動が立ち上がっており、2021年の見通しは誰もが不安に思うところですが、徐々に改善されていくと確信しています。来年のタンゴBAフェスティバルと世界選手権を観客入りで実施できるようにしたいと考えているのは、このような自信があるからです。あくまでも前を向いていますが、例えば、各国のどこかの選手権が、それぞれのプロトコロに従わざるを得ないために、万が一今年も観客を入れての選手権が無理、となった場合は、お互いに意見を出し合って、ダンス・ファンの期待に応えなければなりません。私たちも非常事態と考えて、何か代替案を正式に認めるなど、適切に対処したいと思っています。これはパンデミックという状況では、厳密には例外的なことです。しかし、なんとか観客を入れてタンゴをみんなで楽しむ場を夢見て頑張っていきましょう」と力強いメールをもらった。

 確かに感染曲線は下がってきているようで、少しづつ明るい話題も出てきた。ブエノスアイレスの繁華街、フロリダ通りの165番に、パサッヘ・グエメスと呼ばれている歴史的ギャラリーがある。1915年に落成して、当時最先端の後期アール・ヌーボー建築として話題だった.今行くと単なる古い建物と見えないこともないが、修復とメンテナンスの面では総統優れている建物で、タンゴの歴史とも深い関係を持ってきた場所だが、カルロス・ガルデルは1917年2月27日に地下で活動していたここの劇場で公演。その後、そこはキャバレート踊りの「アブドラ・クラブ」となったそう。

 ブエノスアイレスの中心、オベリスコとコロン劇場の間にあって観光名所になっていた「タンゴ・アルヘンティーナ」というタンゴのシアター・レストランがあったが、そこでアート・ディレクターをやっていたフアン・ファブリは、そこでつくったショーを世界に持って行ったリ頑張っていたbのだが、再起になってオーナーと喧嘩して別れ、、このパサッヘ・グエメスの地下に二つの劇場を作りやはりアート・ディレクターをやっている。個人的にも知っているが、この人は別にタンゴの世界出身ではなかったが、タンゴが下火と言われた時代にFMタンゴというラジオ局の設立に参加し、成功させた人。たんごは、もともと貧しい民衆の音楽だったから、CDを録音しても売れない、書には高くては入れない、しょうも無い音楽と思われていた時に、ブエノスアイレスの母親達は、洗濯中も掃除中もタンゴを歌いながらやる。しかも昔ほどではないが、ミロンガというダンス・パーティには、世代を超えて沢山のファンが集まる。そのことに気がついてFMタンゴをはじめたところ、ラジオならタンゴを聴くファンの多さに驚いた。しかももっと驚いたのは結構スポンサーに名乗りを上げた人間が多かったのだ。で、FMタンゴは大成功、新たなタンゴ・ブームも生まれたわけ。やがて、ブエノスアイレス市は、40大の若い市長が世界にはタンゴ・ダンスの大きなマーケットが創られつつあることを知り、タンゴ・ダンス世界選手権を2003年に開いた。この直後に、私はこのフアン・ファブリと一緒に仕事をしたが、商売熱心で時にはわるくいわれることもあったが、現在のタンゴ界には大きく貢献してきた人だ。

 そのフアンが、その「アブドラ・倶楽部」を改装して創ったのが「テアトロ・アストル・ピアソラと、続いて「カルロス・ガルデル・タンゴというタンゴの世界やダンスを楽しむスペースを創った。なかなか好評だったのだが、このコロナでやむなく休止に追い込まれていた。だんだん冬から春になって暖かくなって、ようやくコロナのカーブも下降気味になってきて、12月初旬の金曜日、この地下の「パラシオ・タンゴ」が正式に再オープンした。

アストル・ピアソラ劇場

 「以前は毎日営業していましたが、今は週2回の営業になるかもしれません。この状況のため、観光客の大規模な流入はありませんが、この再開では、アルゼンチンの公衆を引き付けるために試みるつもりです」とファブリは語る。現在のプロトコルによると、部屋の容量の30パーセントが利用可能になっているので、古典的なディナーショーに加えて、金曜日の再オープンで、ジャーナリストのビクトル・ウーゴ・モラレスが歴史家フェリペ・ピグナによって書かれた本「」Gardel(プラネタ、2020年)が発表されるらしい。今年生誕130年目を迎えたカルロス・ガルデルをテーマにしたショーが披露される。ファブリは、先に書いたオベリスコ近くのレストランの他、アバスと地区にもエスキーナ・カルロス・ガルでるでもアート・ディレクションをしていたが、そこでやっていたショーをグレードアップして、コロナ前にモナコに持って行った豪華なショーを再現するという。まぁ、観光客がいないから入場料もかなり低めの設定で、「街にタンゴを呼び戻す」のらしい。2020年遅れになって、ブエノスアイレスのタンゴにもようやく明るい話題が出てきた。

「タンゴ・カルロス・ガルデル」

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