ブエノスで正月

皆様、新年あけましておめでとうございます。

 色々と苦しかった昨年から心機一転、とは言っても一番大事なのは被災者のみなさんの大変な生活が何も解決されていない中で、それを忘れないことが一番大切なのだが、とりあえず新たな気持ちで自分のやるべき仕事に向かおう…と思っていた。ところが、実は昨年からの宿題で1月3日まではほとんどパソコンに向かいっぱなしで、恥ずかしい話、腰痛に苦しんでしまった。少しづつ重くなり出して最後には曲がらないほどに痛み出した。

 昨年の暮れから続いたこの終わりのない仕事に夢中になっている中、この所まったくやっていなかった「ラティーナ大忘年会」を企画。昔は業界でも話題になるほどたくさんの人が集まった忘年会ですが、今年は企画が出てきたのが直前、「書いてくれているライターの皆さんや、仕事仲間の方々の顔が見えないようでは大きな動きにはならない!」とばかり無理矢理強行と相成った。で、本当は暮れの押し詰まった26日などもうすでにいくつもの忘年会があって誰も来てくれるわけがない、と言う声もあって小さな会場で肉を中心とした焼き物と飲み物で開催することにしていた。ところが、なんと50人以上もの方々に参加の返事を頂いて大盛会となってしまった。中にはせっかく来て頂いたのに、 我が家の狭い別宅で座る場所もなく、 あまり話もできずに帰られた方もいたようで申し訳なかった。しかし、こうした馬鹿馬鹿しい、しかし意味のある会を今年は少しづつ増やしていこうと思う。考えてみると、ブラジル音楽もフォルクローレもこんな中からブームを呼んだのだから。みなさん、これに懲りずに又来てください。

 さて、17日から来日するアルゼンチンのタンゴ楽団、ファビオ・ハーゲルの最終打ち合わせのために4日成田からブエノスに向かい、今このブログをブエノスのホテルで書いている。機内では腰痛が心配であまり眠れなかったが思ったよりも経過が良く、殆ど問題なく到着できた。で、到着日の5日は今度ファビオとやってくる女性歌手、ノエリアが日本公演壮行コンサートを開くというので予定を入れておいたが、一昨年ラバジェンと一緒に日本にやってきた若いピアニストのパブロが自身のセステートで初コンサートをやるというのを彼のFB出発見、これにも出席したいと申し込んでいた。ところが、パブロの方は突然メンバーの都合で1週間延期という。残念ながら1週間後にはブエノスを発ってしまうので聴くことはできなくなってしまった。若手では一番期待しているピアニストだけに聴きたかったのだが、残念至極。

 今回は、心機一転と言うことでホテルも今までとは違うところを選んでみた。ブエノスの中心、オベリスコからすぐ近くにあるNOVOTELというホテル。ネットで見ると、どうもバスタブはなさそうだが、かなり良さそうにみえた。で、着いてみると、その通り、全体にモダンな洒落た造りでネット環境も問題なし。近くには本屋街や電気街もあるから何かと便利そうだ。

 少しだけ仮眠して夜はノエリアの壮行コンサートへ。ホテルからは歩いて5分くらいの距離にある伝統的カフェ=レストラン「36ビジャーレス」。5月大通りにある1894年創業の古いスペイン風の店だ。ブエノスにはこの手の古いカフェがたくさんあって、一番有名なのがやはりこのすぐ近く、ボルヘスたちが屯した「カフェ・トルトーニ」だが、この36ビジャーレスもトルトーニと同じくビリヤードのプール・バーで有名だった。

 ノエリアのFBでは、「日本行き壮行コンサート」となっていたが、この日は「ノエリア、タンゴとの10年」というタイトルで、ピアニストのマティアス・アルバレスと二人のステージ。ノエリアは今までのタンゴ歌手よりも、間を大切にした、表現力で歌う歌手だから、実はマティアスとのように単楽器とのステージで、より実力が発揮される。この日は、私も知らなかったが、途中では特技?の腹話術まで披露しながらのリラックスした、しかし非常に中身の濃い、表現力抜群のステージを見せてくれた。日本公演が楽しみである。

彼女を最初に日本に連れて行ったのは2005年春、エル・アランケ日本公演の女性歌手としてだった。彼女、最初はウーゴ・デル・カリル・タンゴコンクールで優勝して世に出てきたのだが、初々しさはあるものの、まだまだ当時はステージで歌い上げるのがやっとといったところだった。しかも、アランケとの相性がもう一つだったこともあって日本ではさほど話題にならなかった。しかし、彼女のここ数年の活躍ぶりは目覚ましく、大きな劇場で3週間に渡るロングランを成功させたり、海外での活躍も多くなってきた。なにより、彼女の特徴は「表現力」だ。この若さで歌の世界に入り込んで行く歌いぶりは圧巻。ファビオとは今回が初めてだけに、心配もあるが非常に楽しみでもある。

 さて、2012年もこうして忙しく始まったが、元旦から大きな地震に見舞われるなど、今年も安心して過ごせるわけでもなさそうだ。これらの天変地異が太陽の黒点やフレア現象から起こされるものだとしたなら、今年も引き続き太陽の異常気象はピーク時となるから、まだまだ油断はできない。1986年のカナダの列車事故、1989年のブラック・マンデー、2001年9月のBSデジタルの全チャンネルが1時間にわたって不能になった日本での事件など、いずれも太陽が原因とされている。ほんとうに我々は不気味な中に住んでいるというのに、復興どころか再発防止策すら遅々として進んでいない現状は恐ろしいと言うしかない。まぁ、我々が太陽を中心とした太陽系宇宙の中の地球に住んでいる以上、地球が生きている限る避けられないことが実はたくさんある。地震はその良い例で、プレートとプレートとのぶつかり合いと言うよりは、地球ができたときの内部の高音がまだまだ残っていてその熱が宇宙空間に戻る途中で、冷たい地表近くで力の「せめぎ合い」に遭い、そのバランスの限界で一挙にプレートが動くと言うことらしい。だから、我々人間には為す術はなく、とにかくできるだけ危ない場所に住まない、危ないものを作らない、この基本に立ち返るしかない。

 とりあえず、前を向いて新たな年への気持ちを高めるしかなさそうだ。