タンゴダンス世界選手権のアルゼンチンへ

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マネージャーのヒルベルト氏と弊社担当の宇戸
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マリンズ・スタジアム

前回の選手権終了からまたしばらくHPへの書き込みが滞ってしまった。ここに至るまで、マイアミとアルゼンチンへの短い旅をこなし、日本で忙しくしていたら、もう一度今回の旅となった。前回は、この10月にやってくるベネズエラのグアコとの打ち合わせでマイアミに、それからある政治家の依頼でブエノスアイレスの大使公邸でやる特別ミロンガに続いて、アルゼンチンの政界、文化関係者との謁見の手配が主な仕事だった。グアコとの打ち合わせは、マネージャーとの打ち合わせでは非常にうまくいくのだが、そのマネージャーとスタッフが出てくるとなかなか話が複雑になって頭がいたいところだが、大体の結論は出してきた。

で、ブエノスアイレスでの特別ミロンガの方は、在ブエノスの日本大使、関係者との話も順調で帰国した。が、帰国した翌日の朝、TVを観てびっくり。その政治家がなんと今度は閣内に入ってしまった。私は、自分の仕事に政治も何もないようにしている。その政治家の資質で、素晴らしい人ならば、何でもOK。たまたま今回の先生は元元タンゴが大好きで、毎回選手権にも顔を出してくれていたし、何回か食事も誘って頂いたが、店を選ぶセンスも素晴らしいし、どんなに仲間がたくさんいても「今日は俺が招待したのだから」とすべて自分が支払ってくれる。まぁ、東大出てからアメリカの大学でも勉強した人で、英語も堪能、趣味も半端ではない。選挙で押しつけがあるわけでもないし、そういう意味でも人間的に非常に尊敬できる人だ。だから、そろそろ大臣か、と思っていたら本当にそうなってしまった。大臣になると、簡単に海外に行けるわけではないから、当然今回のミロンガは中止になったが、日本アルゼンチン友好議員連盟の会長も拝命されたから、今後アルゼンチンに行く機会がないわけではない。今回は「中止」の連絡を各方面に連絡して謝ったが、概して「おめでとう」の言葉が並んだ。動きが徒労に終わったけれど、嬉しい」中止であった。先生にはますます頑張って実際に頑張って頂きたいと思う。

 

さて、実は今回もう一人弊社のおつきあい頂いている会社のトップもアルゼンチンに行くことになっていた。前回の旅は同時にその方の謁見の作業も進めていたのだが、今回直前になって病気でこちらも行けなくなった。悪いことは続くものだが、こちらは急遽代役の方が行く事になって、アレンジしてきたことは無駄にはならなかった。で、今回の旅では、将来の企画に上がっているコロンビア企画の変更の件もあって、ブエノス〜ボゴタと続く旅になった。

 

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ダラスのダウンタウン。
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狙撃犯とされたオズバルドが狙撃した1階上からみたケネディの乗った車の方向をみる。
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ダラス・フォートアース空港からダラスに向かう電車駅

dsc_8773 今回もアメリカン航空での旅だ。ただ間にコロンビアを入れるためと、急に変更があったためダラスで12時間のトランジットの便しかとれず、なかなか複雑な旅程になった。今朝は5時半起きで10時40分のダラス行きに。大典社員とも半年ぶりの旅。まぁ、12時間だったらダラスとかフォートワースの街でも見学しながら、と思っていた。で、予定通りダラスに着いたが、まず空港発のツアーでもないかと探したが、そんな美味い話はない。とりあえずターミナルAから出ている電車でダラスのダウンタウンへ。考えて見ると、もう何十回とUSAに行っているが、空港の連絡電車以外では、電車は初めてだ。ほとんど客のいない電車に乗って訳40分、目的地に到着。ダラスというからにはとりあえずはケネディの暗殺された「シックス・フロアー・ミュージアム」に向かった。このミュージアムは、とりあえずケネディを狙撃した犯人オスワルドがここから銃を撃ったというテキサス教科書倉庫ビルを残したものだ。6回の狙撃した場所はガラスで囲まれて当時のままの姿に保存されている。また、その階全体で、この事件の概要をつたえるミュージアムとなっている。日本語の音声ガイドがあるのでわかりやすい仕掛けになっている。我々の世代には衝撃の事件だっただけに、なかなか感慨深いものがある。狙撃犯については誰もが疑問を持ってはいるが、2039年に極秘文書が公開されるまでは真相が明らかになることはない。まぁ、何度もTV出見てきた映像よりはダラスの当時の中心地から近かった、と言うことがわかったり、当時の南部のケネディを取り巻く複雑な背景も思い出させてくれたり、一度は行っておいて損のないところだった。

    さて、12時間の旅の後、ミュージアム見学というのは実に疲れる作業だ。他の事はすべて止めて空港に戻り、ラウンジで一眠り。で、起きて予定を確認すると、なんと便が3時間半遅れることが判明。がっくりだ。合計16時間近いトランジットとなった。こうなるんならばホテルでも取って寝るべきだったが、ホテルをとってもこの遅れは予測できない。とにかく疲れるトランジットとなった。

 

で、今回は40時間近いブエノスへの旅となってしまった。今日もいろいろ予定があったが、とりあえずすべてをあきらめて眠ることにした。

今年のアジア選手権評価

dsc_4944大変だったアジア選手権も終わり、いろいろな評価が届き始めている。一番は「海外勢に比べて日本人参加者が少ない、そして特にピスタ部門での海外勢に比べて日本勢の劣勢が酷すぎ」など。私も同感だ。アジア選手権を始めた頃には、圧倒的にステージが選手権の華だった。しかし、ヒロシ&キョウコが世界チャンピオンになってピスタが俄然注目されたこともあって、タンゴダンスの真の醍醐味は「ピスタ」と宣伝されすぎた感がある。確かに、先に知らされていない曲を、その場で聴いて振り付けを競うピスタは大変に奥深いものであることは確かだ。が、ステージの派手な振り付けは圧倒的だし、ソシャルダンスからの転向組が多かった、以前のタンゴダンスの先生たちのせいもあるのだろうか、アジアの近隣諸国に比べても日本のカップルの振りは圧倒的にアルゼンチン感が足りない。リズムの捉え方、今の本場での流行りを何故か近隣アジア勢の方が良く捉えてい_d3s7113る。日本にはかなりの数のアルゼンチン人教師もいるし、日本アルゼンチンタンゴ連盟もできてたくさんの「教師」も生まれてきている。それでいて、昨年に続いて今年もピスタ部門の決勝に残ったのは10組中わずかに1組という惨状は理解できない。果たして日本アルゼンチンタンゴ連盟の役割はこのままで良いのだろうか?「教師」は負けるわけにいかない人々の集団だとしたらこれも情けない。例えば、選手権で勝つことだけがタンゴダンスの目的ではない、という意見には私も賛成だが、選手権があって、アジアから優秀なカップルが来て、タンゴダンスの大いなる宣伝の場であるアジア選手権に出場する生徒にはせめて「勝つ」踊り方くらい教えられなくてどうする? 選手権が終わって、日本タンゴダンス連盟の何人かの先生たちにとこんな話をした。実はみんな同じ感覚を共有していた。来年は出来るだけたくさんのカップルに参加してほしいと思うし、出来れば「勝って」欲しい。このままでは連盟の将来も非常に危ういと思う。

 

_d3s7208さて、アジア選手権に限らず、昨今の公演会場難は酷すぎ。2020年に向けてなのか何が原因なのか知らないが、修理、建て替えが続いて都内の使える会場は本当に少なくなった。特に公的な援助が全くないアジア選手権では公立の安い会場でなければ成り立たないからさらに大変。今回は連盟の先生たちに応援を依頼したところ結構な数の先生た_d3s7172ちがいろいろな形で応援してくれた。やはり、タンゴダンスのプロモーションやタンゴダンスの未来を心配する先生たちもたくさんいるのを実感できた。おかげで来年もなんとか選手権の方も実現できそうだ。

 

アジア選手権の後は、今度は世界選手権。今回はスポンサー筋の一番偉い方が8月に行くためと、タンゴファンの代議士もブエノスに向かい、大使公邸でミロンガを開いてくれるそうなので、その下準備もあって18日からマイアミ経由でブエノスに向かう。8月には世界選手権の録画・取材もあるのでもう一度行くことになるが、そのスケジュールを決める今回は重要。今秋、ベネズエラの超大物グループ、グアコがやってくるために、もっと前からカラカスに行かなければならなかったが、ちょうど7月20日近辺にマネージャーがマイアミに出てくれるというので、マイアミで打ち合わせすることになっている。グアコという大物を決めたのは良いが、スポンサーにとっては大物かどうかはあまり関心がないのか、恐ろしいことに内部の問題から弊社に正しく仕事が決まったのがつい最近。スタッフの手配はなんとか押さえたままにしていたが、ホテルの予約や国内の遂行など難題はたくさんある。今回マネージャーとの打ち合わせは非常に重要になる。昔のレコード会社もそうだが、音楽に携わる業界で、上にいる人間が音楽そのものに興味がない人間だと確実に弱体化する。どんな音楽が欲しいのか、しかもそれが国際的にどのくらいの価値なのかわかっていなければどうやって交渉するのか、私には全く理解できない。まぁ。愚痴はこの辺にして、あと数日で旅に出る。まとめてくること多すぎ。