新たな友人とパレルモ散策

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到着した昨日は風邪でダウン。この日は多少調子が出てきたので、ついこの間日本のタンゴダンスアジア大会にブエノス市からやってきたフアンホとの打ち合わせ。日本で話していて、この男はなかなか面白そうと思った。何しろ彼はまだ40代というのに共通の知人が多い。ゴジェネチェ、ルベン・フアレス、メルセデス・ソーサ、テレサ・パロディ、グスターボ・サンタオラージャ…大物ばかり。実は前市長のイバラが1983年にタンゴダンス世界選手権をはじめ、次のマクリが市長になった時、実はスタッフにタンゴに詳しい人間がいなかった。総合プロデューサーのグスターボ・モッシは素晴らしいギタリストではあるが、タンゴだけに特別詳しいわけでもなかった。しかも、業界としてのタンゴの実態を知っている訳でもなかった。そこで、当時まだ30代後半だったこのフアンホが起用されたという。こちらでの我々の窓口には出てこなかったから、何度かは会っていたのに、個人的に話す機会はあまりなかった。が、サンタオラージャや天才・マルチ奏者ペドロ・アスナールのところではかなり中心スタッフとして働いてきている。今回は一つ重要な仕事を頼んでいるので、まずこのフアンホとの打ち合わせを優先。要件の方は」10分ほどで終了。来週火曜日あたりまでに決着しそうだ。

IMG_2098 で、どこかで飯を食おうというのだが、実はあまり腹も減っていない…ではパレルモに繰り出そうか、と言うことになった。パレルモ・ソーホー、若者たちのファッションの中心地だが、まだまだ大事なスペースが残っているので、そこでビールでも飲みながらと言うことになった。私も結構パレルモにも住んで詳しいつもりだったが、じつはそう知ってるわけではないことを思い知らされる。所謂高級レストランは誰でもいくから、タンゴを昔から要覧してきたクラブに行こうとなった。ブエノスアイレスには、各街毎にクラブがあって、元は会員制だが、地域の住民が誰でも楽しめる気楽な場所。アルゼンチン・タンゴは昔からこの手のクラブで開かれた「ミロンガ」の中で発展してきた。タンゴ・ダンサーたちがよく利用する「スンデルランド」もその一つだ。で、こちらはソーホーのど真ん中、セラーノ広場からそう遠くない、まさにセンターにある。まわりはファッIMG_2096ショナブルに変化しているが、確かにここだけは昔のブエノスアイレスそのものと言った雰囲気。中にはバーやレストラン、そして大きな集会場があって、今日はサッカーの練習をしていたが、この集会場で「ミロンガ」は育まれてきた。もちろん、今でもミロンガは開催されていて、何より、昔からこのソーホー地区(つい20年前までは普通のどちらかというと裁縫人たちが集まっていた地区だったが、不動産やたちが再開発して今では代ファッション街になった)に住んできた人間たちの息抜きの場である。名前は「クルブ・エロス」。この辺でこの

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古い作りの店には世界中の不動産屋がやってきて買おうとするらしい。このエロスもドイツの不動産屋が億の音をつけたが、オーナーは売らなかったそうだ。この心意気がブエノスアイレスの町並み全体を守っているのかもしれない。ここでビールを飲んで、ニョッキをつまみながらひとしきり放した後、今度は現在もミロンガやタンゴ・ショーを行っている「オレーハ・ネグラ」に立ち寄って一杯。ここでは今日も新しいファンのためのタンゴ講座が開かれていた。最後の一杯は、最近マIMG_2112ニアックに流行ってきているという詩の朗読を流行らせている「エル・ウニベルサル」と言う店へ。ブエノスのこの手の人間たちはこういった小さいが話題を集める店でいつも集う。あのボカの「オブレーロ」もアルフレッド・カセーロや後に文化大臣になったロンバルディも、総合プロデューサーのモッシたちが集まっては文化論を交わしながら発展させていったのである。さて、その「エル・ウニベルサル」だが、50人も客席がない小さな店だが、小さなステージと、空き地に屋根をつけたパティオがあるだけ。そこにバーがしつらえられていて、客はみなかなりファッショナブル。不安補はどこに行っても大の字のつく人気者だ。この日はギター2本をバックに市を朗読するレシタード大会。これが現在の新しいムーブメントなのだとか。パティオでは今日詠まれる詩の本の販売もある。結構楽しい雰囲気になってホテルに帰還。また新たなブエノスの顔も見る事ができた。フアンホとはこれからも長くつきあうことになりそうだ。

(写真はすべてiPhone)

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