リオ,想い出のセントロ散策


アルゼンチンでの滞在も約2週間が過ぎて、この辺で夏休みでも,と言うことで行き先を考えた。なにしろここは寒いからどこか暖かいところを、と探す。昔はこちらから買うとヨーロッパなどもかなり安いのがあったりしたから探してみるが、日本よりは多少安い程度でそう都合良いツアーはない。で、ラテンアメリカ内では、やはりブラジルだ。そういえば、ブラジルにはここのところも何度も行っているが,昔一番好きでよく行ったバイーア州のサルヴァドールにしばらく行っていないことに気付いた。

で、ネットの格安サイトで調べるとなかなか便利なサイトがいくつもある。まず航空券を探して、ついでに宿泊も同じサイトで探すと割引率が半端じゃなかったりする。で、心はすっかりサルヴァドールへ。

サルヴァドールに最初に行ったのは84年のカルナヴァルだった。大親友、故浅田英了が日本からやってきて、私はたしかブエノスアイレスからで現地集合だった。あの時の体験は弊誌上でもレポートしたが、まさにめくるめく、もの凄い体験だった。以来、ジルベルト・ジルの日本招聘や、TV局の取材コーディネート、ザ・ブームのサルヴァドール公演、宮沢和史の録音など、毎年のようにサルヴァドールを訪れていたもの。当時のジルのマネージャーで、あのモントルー・ジャズ・フェスのブラジリアン・デーのプロデューサーだったダニエルと知り合ったのも最初はここだった。ジルベルト・ジルが「政界に進出する」と言い出したので、ダニエル家族もサルヴァドールに移住することになった。ジルがバイーア州の文化長官になった頃の話。ジルの家に泊まって政治家1年生の彼の姿を見送ったこともあった。

その後、ザ・ブームの宮沢氏と知り合い、最初に一緒の海外ツアーにやってきたのもここだった。その時は私はTV朝日の取材で来る用事があったのだが、その旅に宮沢氏が直前になって来ると言い出して,確か彼は2泊5日みたいな凄いスケジュールでやってきたのだった。そこから、宮沢氏との世界ツアー計画が始まった。第一回目は初めてのブラジル人との仕事で散々な目にもあったが、あれからブーム、宮沢関係で何度ブラジルやサルヴァドールに行っただろうか?

なにしろ、自分の海外経験の中でも一番濃い、想い出が一杯詰まった土地だ。それが、考えてみると2002年トランジットで空港に立ち寄って以来だから、ここに正しく滞在するのは13、4年ぶりになる。そう思うと、飛行機のチケットを予約していながらも笑みが浮かぶ。

昔は南米というとVARIGブラジル航空だったが、今やそのVARIGも破綻し、GOLに吸収され、この辺の海外路線で一番巾を利かせているのはLANチリと統合したTAM航空。安いだけというなら色々な航空会社があるが、それだと途中でもの凄い時間のトランジットがあったり3回も乗り継いだりで身体が持たない。ダイレクト、あるいは1回乗り継ぎで探すとTAMに落ち着く。で、せっかくブラジルに行くのだからリオにも少し顔を出して行くことにした。サルヴァドールのホテルを探すのも楽しい作業だ。今までいろいろなホテルに泊まってきたが、今回はまったくのバカンス旅行だ。今まで泊まってきた中で一番景色の良いホテルに決めた。

さて、出発は7月30日早朝6時の便だった。しかもブエノスの近い方の空港ではなくエセイサ空港だから、4時起きで空港に向かう。最近はWEBチャックインができるから,どの世界旅行でも座席も先に決められるから便利だ。少しは荷物もあったのだが、結局全部手荷物でOKにさせてリオへ出発。リオではアドリアーナ・カルカニョットのマネージャーのHiromiさんとも連絡が取れていて一緒に食事でも、と言うことになっている。朝9時半、リオに到着。タクシーでホテルに向かうが、リオの港周辺にさしかかると、なにしろ建築中の建物が多くなる。歴史的セントロ地区の再開発は大分進んでいるのだが、さらにブエノスアイレスのプエルト・マデーロを意識したベイ・エリアを建造中らしい。たしかに、ブエノスの税関倉庫らしい建物が新たに模様替えしている建物がたくさん見えたりした。ワールド・カップ、オリンピックと続くブラジルは、すでにその観光客を見込んでかなり活発に動き始めているようだ。やり過ぎてオリンピック後大変なことにならなければと危惧するほど。

今回のブラジルは、まったくのバカンス、仕事は抜きにリオの空気をゆっくりと堪能することにしていたが、ホテルに着くとやはりカメラ片手に歩き回りたくなる。手始めにセントロ周辺を散歩するが、リオも昔に比べると考えられないくらいの様変わりだ。昔は昼間でも危ないとされてきたセントロ、ラパ、グローリア周辺も今ではまったく危なさを感じない。流石に夜は注意した方がよいが、それだって、世界中の大都市を歩くのとさほど大差ない注意程度。今ではアルゼンチンの方が飛び道具も出てきたから、ひょっとするとブラジルの都市の方が安全かも。

ラパの水道橋近く、夜になるとまさにネオンの色とりどりになるが、昼間はあまり人が歩いていない。ダニエルの手配でブームの最初のリオ公演をやったフンヂサゥン・プログレッソの建物が見えてきた。ダニエルがこの建物を選んだのは、これからこのラパ地区が再開発されて、この建物は文化発信の重要な基地になる、というので決めたもの。しかし、当時はまだまだ再開発は進んでいないから、治安も悪い。スタッフも日本から来たファンたちもいたからはっきり言って相当気を遣ったものだった。それが,今では非常に立派な施設に様変わりしている。隣接するシルコ・ヴォアドールと共に,文字通りリオ音楽文化の発信基地として重要な役割を担うようになっている。そこから、今度はカテドラル。1976年に建造された、リオの守護聖人聖セバスチャンをまつった円錐形の形の斬新なデザインの教会。 先端部を切り取った円錐形の建物は、高さ80m、直径106mで、5000人を収容できる。一番韻書的な建物で良く近くを通るが立ち寄ることは少なかったところ。あの高い天井の建物なので,中のステンドグラスは美しい。

カテドラルからホテルの方向に歩くと,今度は歩道橋が現れるが、そのすぐ横に超近代的なビルが2棟並ぶ。世界に名を馳せるブラジル石油公社ペトロブラスの本社だ。次から次と石油が発見されて今や世界トップの企業に上り詰めているが、そこは金融界が先走りしたつけが廻って、鉄鉱会社のリオドセ同様、かなり厳しい経営を余儀なくされているがそれにしてももの凄い勢いであることには変わりない。文化活動の援助でも昔から大きな役割を果たしてきた会社なだけにぜひ頑張って欲しい。しかし、この辺りに来て,なにやら若いのがどうも私の後をつけている。臭い。海外での経験からその臭覚はあるつもりだが,明らかにおかしい。で、何度か後ろを振り返る度にやはり立ち止まる。何回かそれを繰り返すうちに,姿を消した。まぁ、これは、なにもブラジルに限ったことではなく海外での必須行動。安心するな,と言う警告だろう。で、ホテルに帰ってリオに住む元社員のテツと連絡。夕方会うことにして一休み。

さて、夜はテツと食事。ブラジルの景気が段々悪い方向に向かっている話など。さきほど書いた世界一になったとかで騒がれたリオドセも,現在は大不調で、首が回らなくなっている話など…あまり景気の良くない話を聞かされる。まぁ、アルゼンチンにしてもこのブラジルにしても、今までの好景気は金融が集中してのものだったから、これだけ世界が不況になると良いわけがない。でも、中ではBRICSはまだ良い方、くらいのもの。それでも、見た目まだまだブラジルは相当元気だ。

翌日、仕事で来るとまず行くことのないコルコヴァードに行くことに。今日は晴れているから、と決意したのに、どうもキリストさまの辺りには雲がかかっている。でも、もう動き出したから…。で、ついこの間まで危なかったファヴェーラを通ってコルコヴァードの駐車場へ。このコルコヴァード、昔は自由に無料で見学できたのだが、昨年までの改装工事でリオ・ドセが援助したにもかかわらず、随分金がかかる仕掛けになった。私は車で行ったが、普通はまず登山電車まで行ってそこで金。これが結構安くない。登山電車を降りると、ここから2Km頂上まで歩こうと市経営のバスを使おうが一律の金。まぁ、パゥン・ヂ・アスーカルを考えると金を取るのはしょうがないが、キリストさまも泣くに違いない。と思いながらキリストに辿り着くと、雲の中でまったく見えない。時折風で下のリオの景観が現れる程度。何人ものカメラマンらしき人間がカメラを持って瞬間を待つ。と、3分くらいだったろうか,完全にキリストが顔を出した。まぁ、しかし、ここからリオの街が見下ろせなければ殆ど意味がない。しかし、雲の中のコルコヴァードもなかなか、と思い直すことに。

さて、ヒロミさんとようやく連絡が取れたが、まだサンパウロでこれからリオに帰り,その後もスタジオ作業が入っていて,夜になって会えそうと言う。それまで、テツとラパの街で食事を楽しんでいる内にかなり疲れが。どうせまたすぐ来るからその時にと言うことで今回は会わずじまいとなった。

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