しばしのアルゼンチン滞在

NHKのスタッフが帰国して、いつもならば私もいったん帰国するのだが、また8月にやってくることになる。実は毎年企画に出しては忙しさのあまり実現できなかったタンゴ、ブエノスアイレスに関する紹介本を今年こそ発刊したいと思っている。そのこともあって、少し長いがアルゼンチンにとどまることにした。

予定している本は、日本でのタンゴ・ファンにタンゴ・ガイドをするのが一番の目的だが、このところブエノスにやってきてタンゴ修行に励むファンも圧倒的に多くなってきた。そんなファンへの優しいガイドでも出来たらとも思い、できるだけ多くのページをブエノス紹介に当てたいと言う思いもある。ブエノスアイレスという街は、タンゴだけでなく、ファッションやその他のことでも大いに世界に誇ることを持つ都市だ。個人的には76年に最初にこの街を訪れて以来ほぼ40年間この街を見続けてきているが、83年の民政化以降、90年代、デフォルト以降の動きなど、相当荒っぽい政治に国民は踊らされ続けてるが、それでも確実にこの街を前へ前へと進めてきた。

今、私の住んでいるパレルモ地区。ここは昔は特に人が住みたがる街ではなかったし、安売春街や、競馬場もあったせいでどちらかというと寂しい地域だった。ただ、静かだったところから、あのボルヘスが好んで住んだ地区でもあった。もともと、ポーランド、アルメニア、ウクライナ、レバノンといった国からの移民たちが住み着いた地区で(もちろん、スペインやイタリアの移民が中心ではあったが…)、83年に民政化すると同時に言論、報道の規制が解除され、マスコミの重要性が一気に増大して来ると同時に、このパレルモ地区にテレビ局が開局した。それが、アメリカTVで、日本でも有名になった「SHIMAUTA」のアルフレッド・カセーロ(宮沢和史の島唄を日本語で歌いチャートのトップに躍り出て、日韓WCの年に来日)がコメディ番組をスタートさせ全国的に大ヒットさせたあのTV局だ。さて、センターからさして遠くないやや落ちぶれたこの地域が、このTV局の開設と共に急激に活性化してきた。このTV局目当てのライヴ・ハウスや、国際色豊かなレストランやバーがオープンするようになったからだ。ただ、不動産の価格が急騰したせいで、かなりゆっくりとではあったが、新しい街並みに化粧換えしてきたわけだ。この辺りをパレルモ・ハリウッドと称して、一気に価値を高めたのは不動産屋の戦略だった。

ついでに、このハリウッドと隣接する「パレルモ・ソーホー」という地域がある。ここも不動産屋の命名だが、もともと裁縫屋や、生地の専門業者、問屋がいた地域だった。ここも、ハリウッドの活性化に伴って、新しいファッションの地域として発展することになった。プラサ・セラーノ(正しくはプラサレータ・コルターサル)という広場を中心に、アルゼンチンの有名ブランドのブティックやインターナショナル感覚のレストラン,バーが建ち並んで、ストリート・パフォーマーまで現れるようになり、アルゼンチンの若者たちや観光客までをも惹きつける地域になった。

と、ここで備忘録。アルゼンチンのテレビ事情。
<テレビ>
全国向け地上放送は、国営放送のCanal 7と商業放送の4社(Telefé、Artear、Canal 9、América2)が実施しており、Canal 7のみが24時間放送を行っている。地上放送のチャンネルはすべて衛星経由で全国のケーブルテレビ事業者に配信されている。
TeleféとArtearが2大人気チャンネルであり、前者には通信大手のテレフォニカ、後者にはクラリン・グループが出資しており、両社を併せた視聴シェアは80%に達する。2009年10月に新しい放送法改正法が成立したが、クラリンはArtearをはじめ複数のテレビ局を所有し、またケーブル事業のCablevisionも所有しているため、同法の施行から1年以内に事業の売却・縮小が求められている。
<ケーブルテレビ>
アルゼンチンはケーブルテレビの普及が進んでいる国の一つである。これは地上テレビ放送の代替として、ケーブルテレビが安価な料金で提供されてきたからである。2009年末現在のケーブルテレビ普及率は5割を超え、加入世帯数は約587万となっている。ケーブルテレビのデジタル化は遅れていたが、IPTVや地デジとの競争の激化を見据え、ケーブルテレビ事業者はケーブル回線のアップグレードに着手し、トリプルプレイ提供に注力している。
1994年にケーブルテレビの外資規制が撤廃されてから、米国やスペイン等の外資が資本参加している。主要事業者はケーブルビジョン、Multicanal、Red Intercable、Telecentroの4社であるが、ケーブルビジョンとMulticanalはクラリン・グループの傘下にあり、これら2社を合わせた加入世帯数は約303万(2010年3月現在)である。(クラリンの独占を防ぐ為の法律で、市政府側と親しいクラリンと、政府側の放送戦争)
<地上デジタルテレビ放送>
アルゼンチンは1998年10月に、南米諸国で初めて地上デジタルテレビ放送方式に米国のATSCを採用すると発表したが、メルコスールで別方式を採用する動きがあったため、2000年春にブラジルに続きアルゼンチンも先のATSC採用決定を無効とし、再検討することとした。
2006年6月、ブラジルが日本方式のISDB-Tを基礎とするブラジル方式のISDB-Tb採用を決定したため、ブラジルと同じ方式を採用することを表明していたフェルナンデス大統領は2008年9月にブラジルのルーラ大統領と会談し、ISDB-Tb採用に向けた共同プロジェクトチームの設置に合意した。2009年8月、アルゼンチン政府は、地上デジタルテレビ放送方式にISDB-Tbを採用することを公表し、同31日には、ISDB-Tb採用に関する規則を公布した。
2010年5月には、「第2回ISDB-Tインターナショナルフォーラム」をブエノスアイレスで開催、日本を含むISDB-T採用国の政府、放送事業者、放送関連機器メーカーなどが参加し、今後の地デジ放送の発展、普及に向けたさらなる連携について協議した。
2010年4月から国営放送Canal 7がブエノスアイレスで地上デジタル放送を開始した。政府の基本方針によると、地デジへの移行期間を10年間とし、地デジのカバレッジは最終的に95%となり、残りの5%は衛星放送で補完するという。

…とまぁ、ブエノスアイレスを語るのに忘れてはならないいくつものことも紹介しながら、タンゴを紹介する,そんな本を目指しているわけだ。まぁ、毎年企画を出しながら時間がなくなって消えてきた企画だが、今度こそ実現したいがどうなるか?

さて、改めて車で街を走ってみると、前回から僅か2ヶ月も経っていないのに,随分様相が変わっていることに気付く。清掃業者もストライキなのか、まず、街が汚くなってきている。しかも、もともと露天商が多かったオンセ地区などは歩道一杯に新たな露天商も加わって幅を利かせるようになっている。商人の肌の色も様々で、海外からここにやってきて商売しているのも一目瞭然。

この間も書いたばかりだが、アルゼンチンの経済状態を反映してか、街中とにかくストライキだらけだ。まぁ、もともと抱えている大きな借金をアメリカからヨーロッパにすげ替えて、上手くいっただけの話だったのだが、ヨーロッパがここまで窮地に陥った以上借金の返済も迫られる。だから、インフレに対応した収入を、とほぼすべての労働者たちが要求するわけだから大変だ。インフレへの対応を遅れさせて、月給を実質押し下げる政府に組合が反発しているが、この国の多くの国民は国の置かれた立場を理解しているから、必ずしも、ストが支持されているわけではない。先週の金曜日から続いている地下鉄のストライキは、結局金曜日の午前中まで続きそうだ。

ところで、まだ日本にいる内からここの水上日本大使から、友人のロペス副官房長官との食事会を招待された。ロペス副長官は市の文化長官時代にタンゴダンス世界選手権を始めた人で,その後国営のカナル7の会長を経験、地デジ関連での政策立案、実施のために、弁護士でもある彼がクリスティーナ大統領から直々に今の職に就くよう依頼された人物だ。中南米局長を経て、アルゼンチン大使に就かれた水上大使は、非常にざっくばらんなお方で、今回も食事をしながらマルビーナスの話など、かなり幅広く意見を交わされていた。ロペス長官も近くに住んでいることから今後は両国の接近に大きな力になってくれることを願うし、そうなると思う。

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