素晴らしかったルベン・ラダの日本公演!

これだけ間が開くと前回何を書いたかも思い出せなかったが、今見るとちょうどシコ・ブアルキのことを書いていた。1980年代のキューバといえば、本当に景気も良かったし、素晴らしいものイベントをやっていた。バラデーロ音楽祭というラテンアメリカの大物アーティストばかりを呼んで、物凄いイベントだった。あの頃はキューバから招聘するアーティストもあったり、人の招聘を助けるために何度もキューバに行っていたので、バラデーロ音楽祭も結構よく行っていた。

そのバラデーロ音楽祭では、まったく知らないラテンアメリカの素晴らしいアーティストたちの演奏を初めて見ることが多かった。ルベン・ラダは1985年だから、もうバラデーロ音楽祭の第6回目だったかに聞いた。バラデーロの美しい海岸沿いの心地よい風の中、海に向かった野外ステージではロック、とかポップス、サルサ、なんでもありだが、勢いのある音楽が得だ。パブロ・ミラネスもシルビオ・ロドリゲスも聴いたが、あの暑い、そして熱いステージでは今ひとつ盛り上がりにかける。パブロもシルビオも、彼らだけのコンサートでは、室内野外問わず二数万のk男客を黙らせるのに、こういったフェスティバル形式ではどこかが違う。

そんな中でルベン・ラダが登場した。最初はトリオで、どちらかというと物静かな弾き語り風の音楽で始めたから、さほど真面目には聴いていなかったのだが、どんどん新しいサウンドが現れる。その度に身をのりだす羽目になった。

ルベン・ラダは、1960年頃からプロとしての活動を開始し、幾つもの重要なバンドを作って、注目を集めるが、国際的には76年にマイルストーン・レコードに差書のアルバムを録音、発表してからだ。そのアルバム「Goldenwings」には、ギターのDavid Amaro、フルートとパーカッションのHermeto Pascoal、パーカッションのAirto Moreiraが参加していた。ウルグアイという国はブラジルトアルゼンチンに国境を接している。るべんのいるウルグアイは、スペイン語圏だから、主な活動はウルグアイとアルゼンチンだったが、その後アメリカに渡って苦労を重ねながら、ブラジル人の仲間と交流するようになった。ルベンの母親はブラジル人で、ルベン自身は、一時でも黒人を追い出したアルゼンチンよりもブラジルに好感を抱いているようで、何度もブラジルに出入りしている。今回も3月26日に、そのブラジル人の母へのオアマージュとして、ポルトガル語で歌われたサンバとカンドンベのアルバム「リオの夜/ カンドンベエアーライン」をリリースした。ロナルド・バストスが歌詞を書き、Carlinhos Brownが出演している 「マンゲイラの大地」のビデオが作られ、ブラジルでも評判になっている。以下、彼の言葉。

 私の母カルメンはブラジル人で、叔母とは双子だった。私たちはとても貧乏で、一部屋に6、7人で住んでいた。母と叔母は二人ともメイドで、仕事と言えば皿洗いから床磨き、もちろん病気に備える金はほとんどなかった…今では腫瘍か何か見つかっても手術をして、あと10年は生きられる時代。人々は長生きできるけれど、当時の黒人家族にはそういうものはなく、神様が望んだ時には逝くしかなかった。私はと言えば、子供の頃は2歳から4歳まで結核を患い、発育不良で、黒人で、無知。黒人で無知は最悪だった。だから、世界中を巡りながら、その言葉を覚え、知らないことは読んで学習するしかなかった.、この録音は、そんな苦労をかけた母に感謝を捧げたアルバムなんだ…

 カルリーニョス・ブラウンはパーカッショニストとして昔から知っていたが、2019年に彼が ”Los Tribalistas” でモンテビデオに来た時に個人的に会ったんだよ。アルバム最初に収録されている曲「Chão da Mangueira」(歌詞:ホ ナウド・バストス)をホナウドと考えている時に、カルリーニョスにレコーディングに参加してもらうことを思いつきすぐに電話したんだ。快く引き受けてくれた。彼の参加には非常に満足している。彼はバイーアから参加してくれて、カリスマ性と愛情をたっぷりと注いでくれたことにとても感謝している….

 今は、全部は思い出せないが、キーボードと音楽制作は、私と一緒にグスターボ・モンテムーロがやってくれた。ベースのナチョ・マテウとギターのマティアス・ラダ、彼はいつも一緒だ。ルシーラとフリエタの姉妹がバッキング・ヴォーカル、「A Menina do Chapéu Azul」では、Silvaにも参加してもらっている。タンボールは私とロボ・ヌニェス(タンボール・ピアノ)だった…

このアルバムを聴いたときには、これで日本公演の選曲も楽になるな、とほくそ笑んだ。ホナウド・バスケスといえばブラジル、ミナスのクルビ・ダ・エスキーナの創設者の一人で、よく考えてみるとルベンの昔からの作風は黒人や現地の民謡、当時のポップスの要素が色濃く反映しているという点でクルビド・エスキーナのアーティストたちと似たところがある。二人の気が合って録音することになったのはとても自然だ。

さて、モンテビデオで最初にルベンに家に行って、レパートリーについても少し話したが、新旧に拘わらず、ルーベン・ラダの音楽人生の中からベストと言えるレパートリーで組みましょう、といってきた。

それ以来、メンバーの構成や、日本の前のスペイン・ツアーとの整合、何より日本入国のためのコロナ対策、困難なビザ取得などなど、普通の4倍も5倍もやることが重なって、具体的に話す暇は無かったが、日程もだ言う近くなって、一応予定のレパトリーをおっくって貰ったら、一気に嬉しくなってきた。どう考えても日本のファンが大喜びする曲が並んでいた。これには、本当に安心した。

いつもなら、彼らが日本に来る前に向こうで何度か実際に音を聴いて最終的に曲順などすべて決めてくるのだが、今回はコロナのせいで一度も向こうに行けなかったし、なかなか全員の時間が合わずに最後の合わせすら確認できないままの来日となった。だから、こちらで演奏させてみて驚くことばかり。まず、基本的に1曲の時間が長い。これは良くあることだが、今回はしっかり作り込んできていたからもある。でも、どれも外したくない名曲ばかり。しかし、主催者側の「今回はコロナ禍の中でのコンサートなので、2時間以内に収めたい」もあって最終的に以下の様なレパートリーになった。初日から数日間は「リオの夜」の中からも2曲入れていたが、カットせざるを得なかった。

東京公演では宮沢和史氏に登場してもらったが、これがまたピッタリはまって、2人とも「次はモンテビデオで」と約束するほど。そして、そこからMuriendo Plenaに至る流れは、もう誰にも止められない盛り上がり。コロナ禍だから、立って踊ってはまずいのだが、そこは百戦錬磨のルベンだ。録り方も押さえさせて、素晴らしい雰囲気を作り出した。そして、最後のアンコール。「No me queda mas tiempo」では、立ち上がっていた聴衆を座らせて、感動的に締めくくった。今回、直前に彼らのCDを輸入していたが、残念なことにこの曲はどこにも入っていなかった。いつか動画で紹介したい。

ルベンは、元々心臓疾患もあるので、余り大変な旅はさせられないのに、今回はウルグアイを出る前から腰の具合が良くなくて、痛み止めのクスるを飲みながらのツアーだった。普通はウルグアイに残してきたパトリシアという賢妻がすべて面倒を見ているのだが、今回は娘のフリエータがいつも面倒を見ていた。ところが薬に詳しいルベンが余りに日本の医者の言うことを聴かないので、あるときは泣いてマエストロを怒りつける。そうなると黙るルベンも凄く可愛かったが、何しろ簡単ではない旅の連続だった。

今回は、たくさんの日本のミュージシャン達が解除を訪れてくれた。誰もが感動してくれた。でも、大変だった思いが吹っ飛ぶような痛快なツアー出会った。

以下、日本公演の最終的なセットリスト。

01. Candombe para Gardel / 02. Don Pascual / 03. Quien va a catar / 04. Dedo /

05, Antidoto(Julieta) / 06. Santanita / 07. Camdombe para Figari / 08. Don’t stop el Camdombe

01. Cuesta Abajo / 02. Visionario(Julieta) / 03. Corazon Diamante(julieta) /

04. Malissimo(Julieta) / 05. Bulmana / 06. Shimauta / 07. Montevideo /  08. Cha-cha Muchacha / 09. Muriendo Plena / 10. No me queda más tiempo 

そして、だれもが感動した「時間が無い」の邦訳を元社員の鈴木多依子訳から。

No Me Queda Más Tiempo 僕にはもう時間がない

今日僕は一歩引き下がる  君に現実と向き合ってもらうために

そして僕は無になりたい  自分の威厳を抑えるように

僕は黙って君に背を向け 痛みに身を隠すだろう

君が喜ぶなら 僕は一時的に 隠れて君の手助けをしてあげよう

君への愛のためだから 僕にはもう時間がない 風が奪っていった 僕の気力とともに

君への愛のため 僕にはもう時間がない 風が奪っていった 僕の気力とともに ラララ…

このメロディーを君に贈る 君への愛を覚えておいてもらうために

君が喜ぶなら 僕は一時的に  隠れて君の手助けをしてあげよう

もうわかった すべては悪い方向に あの時のキスはもう二度とないのだと

君への愛のためだから 僕にはもう時間がない 風が奪っていった

僕の気力とともに

君への愛のため 僕にはもう時間がない 風が奪っていった 僕の気力とともに

キューバ・バラデーロで聞いた最高のブラジル!

1980年代、キューバ政府から招待されて何度かキューバのバラデーロで開かれた「バラデーロ国際歌謡フェスティバルに招待されて何度か行った。当時のキューバは、崩壊前のソビエト連邦がキューバの砂糖を大量に高い値で買い上げるなどして、大幅にキューバ援助をしていた。だから、ハバナのソ連大使館近くの外国人専用マーケットは、普通の外国人が欲しいものが安くたくさん並んでいた。だから、経済的にも問題なかった頃で、バラデーロのフェスティバルもステージが2面合って、一つのグループが演奏し終えると、ステージごと回転して、しっかり準備されたステージが現れるから、前の熱気が次のステージにそのまま繋がれる。出演者も世界中から素晴らしいのがやってきた。スペインに亡命中のメルセデス・ソーサにもあったし、メキシコで活躍中のデニス・デ・カラフェも聞いた。他の年にはジルや、カエターノも聞いた。しかも、バラデーロが今のようにマイアミ・ビーチやメキシコのカンクンを真似た、他と余り変わらない大リゾート然とはしていなくて、海は透明、ホテルだって古めかしいが、自然の風景に溶け込んだ素晴らしいものだった。海も全く手を入れていない自然のままで、あの頃キューバが出兵していたアンゴラ帰りの兵士たちが家族と楽しむ風景にも出会ったりした。しかし、キューバ政府はこのフェティバルの参加者をネット用のデーターとしては公表していない。例えばオスカル・デ・レオンのように、ようやく活躍できたアメリカで入国禁止になるなど、キューバのイベントに参加すると酷い仕打ちを受ける場合があるからだ。さて、80年代前半の何年だったか記憶は定かではないが、シコ・ブアルキの生演奏を初めて聴いた。海沿いのアンフィテアトロでMPBクアトロをバックにした、それは素晴らしい演奏だった。あの汗が止まらない熱狂の中で、最後の曲が「カリシ」だった。あまりの素晴らしさに、一瞬凍り付いた様になってしまった。シコの声が録音で聞いていたよりも数倍素晴らしかったし、終わって一瞬空気が止まってその後すぐに強烈な熱狂的オーベーションとなった。

今回のe-magazine LATINAでは、そのシコ・ブアルキの「カリシ」をテーマにした記事から、中村安志氏の「シコ・ブアルキの作品との出会い」という連載が始まった。中村氏とは、彼がまだ外語大生だった頃から良く飲みに連れて行ったりして知り合いだったが、その後彼は外務省に入り、リオ、ブラジリア、ブリュッセル、ボストンなどに着任して今は日本に帰国中。自身が7弦ギターも演奏する音楽家だが、奥様はブラジル音楽ファンなら知らないものはいない城戸由果さん。外交官で文化に詳しい人は結構いるが、彼のブラジル音楽の知識はもの凄い。今回も、「カリシ」に関する深い話が一杯。シコに関する話が続いた後はジョビンの話へと続くそうだ。彼のポル語は日本の皇室や政治家などの通訳で鍛えられた超の字のつく本物だし、なにしろブラジルでは音楽家やその周りの人間との付き合いも半端じゃなかったから彼の訳詞はこれ以上ないもので、しかもそれへの深い解説がこの連載で語られる。本当にためになる面白い記事が登場している。

フランスが共有する最大の国境はブラジル!?と言う話

 ブラジルの古い友人が、e-magazine LATINAにとブラジルの面白い記事を送ってくれた。その友人の知り合いが書いた記事。「フランスが共有する最大の国境はブラジル…」と突拍子もないタイトルなので目を通して読み進むと、かなり過激になる。トランプの真似をしてコロナにかかったボルソナーロ大統領の友人かも、とも見えるが、そうではないらしい。ま、とにかく読んでください……

アマゾン、考えるべき事件

本当に知らなかったのか!

フランスが共有している最大の国境はブラジルだと知っていましたか?

フランス領ギアナではアマパとの国境が730km、ヨーロッパではベルギーとの国境が652kmです。

ブラジルは、ブラジル人の承認、ビザ、パスポートを必要とし、まだ南米のフランスに到着するために手数料を支払うが、フランスの完全な特権と無料アクセスのクロス 2 つの国を接続する 378 メートルの橋を介してヨーロッパに接続されています

今話題のアマパは、アマゾンでは常に世界各地の外人さんたちの門戸が広く開かれています。100年以上も前から出入りして好きなことをしていたそうです。彼らは地域を支配し、何百もの秘密の上陸路を作り、ガリポを搾取し、木材や金、宝石を盗み、動物を密輸し、植物の特許を薬に登録しているのに、外国の政府からは、アマゾンから手を引いているのはブラジル人だという話を聞かざるを得ないのです。

その地域の世代から略奪されています。当社のマホガニー材は、ヨーロッパやアメリカのほとんどの宮殿や邸宅に使用されています。

外国政府が口を開いてブラジル・アマゾンの話をする前に、違法・犯罪・隠れた国民を召喚して自国に帰るべきだ。

アマゾンには、宣教師、科学者、大学の学者、NGOが「研究・調査」をしているように偽装した外人がいっぱいいます。

この地域には、小型機の飛行機で派遣を待つ動物たちの仮設動物園がたくさんあります。

前提条件を報告していません。これらは事実です。

父は映画プロデューサーでした。彼は70年代初頭にトランザマゾン・ハイウェイの建設を撮影した。父は何十機もの秘密の滑走路を見ていました。何百機もの小型機がアマゾン/フロリダ州の航空橋を作って、すべてを運んでいました。父は何十人もの外国人があらゆる方法でこの地域を探検しているのを見ていました。

アマゾン北部からマイアミまでは3000km(空路)。サンパウロはそれよりも遠くにある。

1935/1937年にナチスがパラ州に遠征したことを知っていますか?その関心は常に世界的なものになっています。

アマパでの領土問題と金の発見により、オイアポーク川を挟んだ対岸のフランス軍は、1895年にアマパのエスピリトサント村で大虐殺を行い、女性や子供を含む約40人の民間人が殺害されたことをご存知でしょうか?

「アマパの疑問」は、フランス・ブラジルの問題を超えている。ブラジルはこの地域の主権を持つ必要があります、この国境にロックをかけてください、そうしないとゲートが永久に開放され、「ブラジル人」がすべてを破壊しているという主張の下で領土を失うことになります。

S.O.S.アマパがハッシュタグに! これで私たちは全員アマパです。そうしないと、ブラジル人は自国の歴史を知らずにマスコミに出てきてしまいます。……….どうやらこの地域に「落雷」があり、州全体が暗闇の中に放置されていたようです。雷だったのか、それともまたこの過疎の地域を不安定にしているのか。

彼らは、この地域におけるブラジルの力量を疑問視し、主権を弱めるために極論を展開する外国のデモをもっと起こしたいのだろうか。

私たちはこの地域の主権を肯定し、アマゾンでは外人がクソをやっていることを世界に示し、アマゾンの問題が新しいものだという無意味な考えに終止符を打たなければなりません。目を覚ませ!外国政府は駒を大切にするゲームをしながら

森の中のキリンやゾウに目をつけています。金、油、貴石が名前を変えました。彼らはラテンアメリカを略奪し、ヨーロッパで自分たちの森を破壊し、石炭で生産されたエネルギーを使い、今は環境問題でここに噛みつきたいと思っている。

もちろんブラジルの森林伐採もあります。もちろん汚職はあります。もちろん問題は、何十年も機能していないあらゆる分野の権威や法律の無能さによるものです。

特定の地域に経済的・領土的な利害関係が多い場合、奇跡的なことやマキャベリズム的な計画が実行に移されることは、歴史がすでに示しています。

目を離さないようにしましょう! 理解に苦しむ人がいたら、点と点を繋げてみてください。

リナルド・ダマスケノ

 とまぁ、過激な文章….リナルド氏はもともと中道右派の人でボルソナーロとは関係ないらしい。世界の科学者らは、さらに破壊が続けばアマゾン熱帯雨林は回復不能点に達し、熱帯雨林からサバンナへと変貌する枯死サイクルに入ってしまうのではないか、と懸念しているが、そんな中起きたアマパー州の火災事故(11月3日にアマパーの駅での火災が発端で電気が不足し、大規模な停電が起こり、25日頃まで停電が続いた)に対し、もともと鉱業、林業、農業での利用を目的としたアマゾン開発を主張しているボルソナーロ大統領が、アマゾンは国内問題として開発を進めようとする…….世界の自然環境保護団体は世界的規模で反対の声を上げている。

 ブラジル国内でも、ブラジル国立宇宙研究所(INPE)は、ブラジル国内の熱帯雨林の破壊が2008年以降で最悪の状態に加速していると発表して、大統領の開発奨励に反対している。スウェーデンの17才の環境活動家グレタさんがボルソナーロが国連演説をする前日に気候行動サミットで「永遠の経済成長なんておとぎ話ばかりして地球気候の変動に取り組んでいない」と各国首脳を非難したのは誰もが知るとおり。

 米国、日本、ドイツ、イタリア、英国、カナダの首脳が、ブラジルを含む森林火災の被災各国に対する「技術的・資金的支援」の合意案について、毎年恒例のG7首脳会談で採択できるよう最終調整に入っているし、英国のジョンソン首相、ドイツのメルケル首相は、アマゾン川熱帯雨林の破壊を懸念して、貿易協定阻止は適切な対応ではないと述べている中、フランスのマクロン氏は「ボルソナーロの嘘」を理由に合意案に反対した。上記のリナルド氏の過激発言は、そのマクロン・フランスを逆恨みしたものらしい。ブラジル政府は、火災の原因を雷と言っているが、証拠はなく、仮に爆発が原因で発電機を損傷したのが雷だったとしても、電力会社は予備の発電機を用意する義務があるのに、発電機が6ヶ月もメンテンス中などと擁護するボルソナーロにはブラジル国内でもさらに非難が集まっている。地球市民としては、あの広いアマゾンの管理をボルソナーロ・ブラジルに負わせいては恐ろしく危険だが、ブラジル政府の無能ぶりを騒ぎ立てるだけでも、逆に多くのブラジル国民の反発を買うということか。

 とここまで書いていたら、マクロンのコロナ感染ニュース。与党の重鎮10人と食事だと。まだ日本の総理大臣よりはましだが、政治家の言うこととやること違うのは世界共通?冗談言ってる場合じゃない。海外からのアーティスト招聘を専業としている我々は自殺寸前だ。

アルゼンチンの少しだけ明るい話題!

 コロナで会社はほぼ完全にリモートにした。毎日一度ネット会議をやっているが、実際にまったくビジネスにならない。コロナってのは、我々イベント業界を潰すためにあるんじゃないか、と思うくらい悲惨だ。これだけ感染者が増えているのに「ゴートゥー….」で観光業界を喜ばし続ける事はどうしても止めないらしい。これを放っておいて、感染が止まるのを遅らせていると、とにかくイベントはいつになってもできるわけがない。それでも、オリンピックはやりたい。オリンピックをどんな形にせよ開けてしまって、そのあとに選挙をやって勝ちたいすが首相の下心が誰の目にも明らかなのに…。また今度もダメか…日本の政治家には本当にうんざりさせられる。

 さて、コロナが世界の芸術、芸能界を直撃しているのは誰もが知るところだが、アルゼンチンのタンゴダンス世界選手権の仲間から、丁寧なメールが届いた。今年の夏に、どうしても選手権の火を消さない、とネットで選手権を開催。市の予算はほとんどないのと、goの許可が下りたのが直前だったから、選手権の方の盛り上がりはイマイチだったが、選手権の担当をする前は、タンゴなどほとんど興味のなかった市の担当者たちが周りのわき業者を巻き込んで立ち上げた映像は、なかなかよくできているものもあった。名誉市民のグローリア&エドゥアルドのグローリアが亡くなったから、その追悼をやりたいが、映像はないかと聞いいてきたから、エドゥアルドの家はタンゴ関係の映像や音源の宝庫だから、と言ったら乗ってきた。それまで、すっかり塞ぎ込んでいたエドゥアルドも、市からの協力の要請に少しは元気を出してくれたようで、インビューにも結構長く応じてくれた。グローリアとエドゥアルドの歴史を紹介するにはあまりに短い時間だったが、何よりエドゥアルドが元気になってくれたのが嬉しかった。

 日本はもちろんだが、アルゼンチンのタンゴ業界は本当に酷くなっている。何しろ、体と体をくっつけるダンスなのだからしょうがない。ミロンガは全滅だし、レストラン・シアターも全滅、活動は全面的にストップしている。来る連絡はというと、寂しい話ばかり。

 そんな中、件のの選手権の仲間から「ご存知のように、アルゼンチンではまだCOVID-19の健康上の緊急事態に対処していますが、伝染曲線は下降しており、新鮮な空気を吸えるように夏を待っています。ブエノスアイレスではすでに野外文化活動が立ち上がっており、2021年の見通しは誰もが不安に思うところですが、徐々に改善されていくと確信しています。来年のタンゴBAフェスティバルと世界選手権を観客入りで実施できるようにしたいと考えているのは、このような自信があるからです。あくまでも前を向いていますが、例えば、各国のどこかの選手権が、それぞれのプロトコロに従わざるを得ないために、万が一今年も観客を入れての選手権が無理、となった場合は、お互いに意見を出し合って、ダンス・ファンの期待に応えなければなりません。私たちも非常事態と考えて、何か代替案を正式に認めるなど、適切に対処したいと思っています。これはパンデミックという状況では、厳密には例外的なことです。しかし、なんとか観客を入れてタンゴをみんなで楽しむ場を夢見て頑張っていきましょう」と力強いメールをもらった。

 確かに感染曲線は下がってきているようで、少しづつ明るい話題も出てきた。ブエノスアイレスの繁華街、フロリダ通りの165番に、パサッヘ・グエメスと呼ばれている歴史的ギャラリーがある。1915年に落成して、当時最先端の後期アール・ヌーボー建築として話題だった.今行くと単なる古い建物と見えないこともないが、修復とメンテナンスの面では総統優れている建物で、タンゴの歴史とも深い関係を持ってきた場所だが、カルロス・ガルデルは1917年2月27日に地下で活動していたここの劇場で公演。その後、そこはキャバレート踊りの「アブドラ・クラブ」となったそう。

 ブエノスアイレスの中心、オベリスコとコロン劇場の間にあって観光名所になっていた「タンゴ・アルヘンティーナ」というタンゴのシアター・レストランがあったが、そこでアート・ディレクターをやっていたフアン・ファブリは、そこでつくったショーを世界に持って行ったリ頑張っていたbのだが、再起になってオーナーと喧嘩して別れ、、このパサッヘ・グエメスの地下に二つの劇場を作りやはりアート・ディレクターをやっている。個人的にも知っているが、この人は別にタンゴの世界出身ではなかったが、タンゴが下火と言われた時代にFMタンゴというラジオ局の設立に参加し、成功させた人。たんごは、もともと貧しい民衆の音楽だったから、CDを録音しても売れない、書には高くては入れない、しょうも無い音楽と思われていた時に、ブエノスアイレスの母親達は、洗濯中も掃除中もタンゴを歌いながらやる。しかも昔ほどではないが、ミロンガというダンス・パーティには、世代を超えて沢山のファンが集まる。そのことに気がついてFMタンゴをはじめたところ、ラジオならタンゴを聴くファンの多さに驚いた。しかももっと驚いたのは結構スポンサーに名乗りを上げた人間が多かったのだ。で、FMタンゴは大成功、新たなタンゴ・ブームも生まれたわけ。やがて、ブエノスアイレス市は、40大の若い市長が世界にはタンゴ・ダンスの大きなマーケットが創られつつあることを知り、タンゴ・ダンス世界選手権を2003年に開いた。この直後に、私はこのフアン・ファブリと一緒に仕事をしたが、商売熱心で時にはわるくいわれることもあったが、現在のタンゴ界には大きく貢献してきた人だ。

 そのフアンが、その「アブドラ・倶楽部」を改装して創ったのが「テアトロ・アストル・ピアソラと、続いて「カルロス・ガルデル・タンゴというタンゴの世界やダンスを楽しむスペースを創った。なかなか好評だったのだが、このコロナでやむなく休止に追い込まれていた。だんだん冬から春になって暖かくなって、ようやくコロナのカーブも下降気味になってきて、12月初旬の金曜日、この地下の「パラシオ・タンゴ」が正式に再オープンした。

アストル・ピアソラ劇場

 「以前は毎日営業していましたが、今は週2回の営業になるかもしれません。この状況のため、観光客の大規模な流入はありませんが、この再開では、アルゼンチンの公衆を引き付けるために試みるつもりです」とファブリは語る。現在のプロトコルによると、部屋の容量の30パーセントが利用可能になっているので、古典的なディナーショーに加えて、金曜日の再オープンで、ジャーナリストのビクトル・ウーゴ・モラレスが歴史家フェリペ・ピグナによって書かれた本「」Gardel(プラネタ、2020年)が発表されるらしい。今年生誕130年目を迎えたカルロス・ガルデルをテーマにしたショーが披露される。ファブリは、先に書いたオベリスコ近くのレストランの他、アバスと地区にもエスキーナ・カルロス・ガルでるでもアート・ディレクションをしていたが、そこでやっていたショーをグレードアップして、コロナ前にモナコに持って行った豪華なショーを再現するという。まぁ、観光客がいないから入場料もかなり低めの設定で、「街にタンゴを呼び戻す」のらしい。2020年遅れになって、ブエノスアイレスのタンゴにもようやく明るい話題が出てきた。

「タンゴ・カルロス・ガルデル」

コロナだけが問題じゃない。コロナで見えてきた人間性-2020年のある日の備忘録!

 このコロナ騒動から、普段だったら見えない人間性という者がよく見えてくる。例えば政治の世界、もう何もかもが滅茶苦茶だ。今日は飲食関係とか、文化関係の団体の、わかりやすく言うと「陳情」の会合があったよう。はっきり言うと、陳情以上にほぼパフォーマンスの機会を与えて、反政府の勢いを和らげる、そんな会合に終始していたよう。安倍もさすがにもう力はなく、これでオリンピックが開催不可能となれば、一気に政局が動く。まだまだ自宅にいる国民が、TVをよく見ていれば誰もがわかるように、そんな高尚な出来事が政界でおこっているはずはなかった。要するに、皆さんのご意見はごもっとも、必ずその問題点を考慮するように、と嘘でも良いから訴えるコトに終始したようだ。

NOTEより抜粋

 良くもまぁ、ここまで次々と「大問題」を引き起こす政権が過去にあっただろうか?持続化給付金。どの支援金よりも一番早く支払われたと思ったら、なんと電通がとんでもない金を抜いていた。その昔中曽根の立ち振る舞いに対するアドバイス企業として成功。あれ以来確実に政界に立場を作ったが、今となってはTV・新聞業界をはじめ、一番不況を言われている広告業界のトップ企業だ。その昔中曽根の立ち振る舞いに対するアドバイス企業として成功。あれ以来確実に政界に立場を作ったが、今となってはTV・新聞業界をはじめ、一番不況を言われている広告業界のトップ企業だ。しかも、内実は、一番落札させたかったサービスデザイン推進協議会(電通などが設立に関与していた)が入札に負けたが、キャッシュレス推進協議会という、別の一般社団法人が落札。なのに、その法人から何故かやはり電通などに丸ごと再委託したことがバレて、世の中的には大失敗。特別定額給付金は、これも早かったが、しかし、未だに受け取れていない世帯主は数知れない。アベノマスクの失態については話したくもないが、1枚あたり200円程度ともいわれている布マスクの推定調達費200億円に、郵送費60億円や人件費を出費していることになり、200〜300億円規模の出費に対して国に1億円程度の戻りが生じるという。まぁ、公共性の高い特殊会社は、民営化されても外部に買収されないために、つまり財務大臣が拒否権を持つために3分の一以上の株を持つ筆頭株主。これは重要な決まりではあるが、今回の恥ずかしいマスクの支出で、財務相には1億円以上の戻りがある。この多くの国民が危機状態に陥っている中で、仕事を外に出すのだったら、少なくともボーナスくらいは辞退させなさいよ!

 「あのさ、今度の都知事選挙では、自民党は候補を立てずに貴女を応援するから、なんとかオリンピック実現の方向を確実にさせるのに、コロナ、コロナはここいら辺でストップして、自粛解除に向けて協力し合おう.しかも、貴女の選挙も間近だし。こんどの選挙で争うのは両方にとって良くないよ。小池さん、今なら貴女は勝てるから、我が党の東京都ではどうしても候補者を立てたがっているようだが、今回は見送ろうと思う。自粛の解除の方向に向けて、オリンピック実現にさらに協力しあおうじゃないか」と誰かが言ったわけではまったくないが、あまりにもそう推測したくなるような成り行き。こんなやり方で、コロナの第二波なんかが起きたら、もう一巻の終わりと考える企業や国民が渦巻いているのに、こんな程度で進められているような気がしてならない。

 しかし、持続化給付金もまだわたっていないものも数多いほか、雇用助成給付金も何度も決定が覆り、ようやく決まったが、支給はいつになるのか?家賃支援給付金はようやく6ヶ月分の一括支給が決まったと言うが、先行きは全く不明だ。もの凄い予算規模を通したまでは良いが、とても本気になってこの危機から国民を救おうと言う意思が感じられない。自粛の完全解除を受けて、まずやったのが政権内部の首相X官房長官の関係修復だと。管を敵に回した首相には不都合なことが多すぎた。しかし、そう簡単に管がその手に乗るのかどうか?

youtubeより

 麻生副大臣の「国民のレベルが違う発言」は世界を驚かせたが、日本人なら誰もが、長い間自分たちで育ててきた日本国民の素晴らしさを誇りたいが、少なくとも、あんな品のない、一人ですべてをぶちこわそうとしている人間に言ってもらいたくないと思っているに違いない。広島の元法務大臣夫妻の買収事件での逮捕。司法を牛耳ってきた仲間が麻雀問題でいなくなったが、監督不行き届きで一緒にしようとした稲田検事総長が残りの任期でどこまで信頼を回復できるかの問題だが、不和が言われている全員がマズい立場にいるから彼らが結束して事に当たったらどうなるか?それにしても、法務大臣経験者のあまりにも軽はずみというか、アホくさい選挙の買収事件、反省の一言も言えない恥ずかしい政治家には寒気すら覚える。ところで、そんな問題よりも、約2,500万円が買収に使われたとして、あの自民党から拠出した1億5,000万円の残り1億2,500万円はどこへ言ったのか?

 と、政権側ばかりへの文句を連ねたが、野党に目を向けると、これも全く駄目だ。政権を取って苦労するよりも、このまま失政を追求していた方が良いと考えているのだろう。反対しているポーズだけで、給料は必ず貰えるし、ボーナスも300万超だ。いい加減に職業人としてのプライドを持って欲しい。今の日本の為体はひょっとしたらこの駄目野党にあるのかも知れないと思う。国民からしたら、予算規模を文句言う前に、もう少し選挙を真面目に考えろよ、と言うこと。宇都宮さんは本当に素晴らしい人だが、バラバラな野党がバラバラに候補を立てて、本気で勝つつもりなのだろうか?

 さて、一番大事なのは、官邸の司法人事への介入阻止だろう。これは現政権がどうという問題ではなく、それこそ日本国民が育ててきた美しいものを根底から覆す大問題だ。もっとも、アメリカやブラジルにも起きているように、先進国では考えられない勢力の台頭を今後も許すのか、という事案。しかし、他にも問題が多すぎて、この案件だけに勢力を結集する暇もない。コロナ以上に恐ろしい世界が待っているような気がしてならない。

 

 

この世のパラダイス!カリブのカージョス・コチーノス!

 最近は世界に出たがる若者が減っているという噂を聞くが、私の廻りには結構1人で世界を、しかもなかなかディープなスポットを歩き回る若者も沢山いる。どうせ廻るなら、人とは違ったパラダイスを歩いてみたい、そんな勇敢な仲間にお勧めの厳選旅スポットを紹介。このシリーズではLATINAの廻りにいる旅のプロや、現地滞在の友人達に登場して貰って紹介していきたい。

 最初は、なかなかディープで感動的なこの世のパラダイス。ホンジュラスの美しい街セイバのカリブ海に並ぶ島々、カージョス・コチーノスを紹介。ホンジュラスというと、首都のテグシガルパはフォルクローレの色濃い街、第2の街サンペドロスーラは大きな産業都市だが、あの中米から南米北部、果てはアメリカの大都市まではびこるマラスという暴力集団のせいで治安が問題。しかし、ここ、ラ・セイバは、ホンジュラスがバナナ共和国と呼ばれるほど、バナナの生産量が群を抜いていた頃(1956年には世界のバナナの85%を占めた)に、アメリカ資本の多国籍企業スタンダード・フルーツ社が大プランテーションを作り、バナナをニューオリンズへ向けて運ぶ港として栄えた街。教会や大学にゴルフ場、野球場まで揃った、アメリカ人やイギリス人も住んでいて欧米の臭いのする建築も多く見られる素敵な街だ。

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帰国「大」困難者の帰国顛末。給付金の問題!

成田出発前!
成田出発前のファミリー!

 昨日、アルゼンチンのタンゴダンス世界選手権の最初の世界チャンピオンガスパル・ゴドイとそのファミリーがようやく帰国の途に就いた。この飛行機の乗るまでにみんなの血の出るような努力があった。このブログでも書いてきたが、すべてはコロナのせい。彼らは今年春のタンゴ・ステージで日本にやってきた。昨年、そのタンゴ・シリーズが50周年を迎えて、彼の舞踊団と言うことで、それまでの毎年の編成から本物の自分の仲間を集めてのガスパル・カンパニーという形で招聘した。素晴らしいステージだった。なにより振付師としての腕が格段に上がっていた。その出来の良さから、今年もどうめんバーでと思ったが、3カップルという条件をつけられていたので、中から1カップルだけを外しての来日となった。今年も素晴らしかった。昨年の経験が生きて、今年もガスパルの振付師としての腕もさらに上達していた。キンテート・グランデという、未来を指向する楽団も良かったし、申し分ないステージを展開できていた。

 が、このコロナ騒ぎだ。2月7日に神奈川県民ホールでの初日から全国とも絶賛されて来たが、すぐに中国から新型コロナが、と言う騒ぎになってきた。1月半ば頃から本格的に騒ぎになってきて、弊社が2月29にちに企画していた「グランミロンガ」(日本の主にダンス・ファンのために行っているダンス・パーティ)は早々に中止を決定した。タンゴ・ダンスはどう考えても身体を密着して踊る訳だから、一番感染がどうのという話に目をつけられやすい。と言うわけで、早めに中止を打ち出した。他のダンス教室への影響も考えたが、万が一クラスターでも発生してニュースのなろうものならその方が怖い。ただ、コンサートの方はとにかく2月20日の東京の公演まではなんとか乗り切ったものの、それ以降は急にコロナ騒ぎが沸騰、結局2月25日の札幌公演までを最後に、後は北海道、東北の4公演すべて中止、3月5日からの台湾9公演も含めてすべて延期となった。で、他のメンバーは、28日急遽変更した便で帰国。台湾公演は10月に延期となった。

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