ガブリエル・モーレス、ロンバルディ大臣

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ガブリエル・モーレス

昨日は、ようやくマリアーノ・モーレスの孫、ガブリエルと愛顧とができた。今までもこちらの友人を通して何度も接触を試みてきたのだが、何故かうまくいかなかった。しかし、今回は、まずFBでメッセージを送り、マリア−ノの思い出を話し合いたい旨を伝えていたら、返事が来た。今まで会えなかったのはなんだったのだろう?5月4日1時、時間ぴったりに彼は現れた。以前通りあのモーレス譲りの笑顔で。で、早速小インタビューでもしようと思ったが、彼がマリアーノのこと、日本の思い出など、蕩々と話し始めた。マリアーノがステージ上で話した日本語は今でも覚えていて、上手に真似ができている。なにしろあの当時は彼は20才。モーレスの息子ニト(ガブリエルの父)が急病(癌だった)で来日できなくなって、ニトが歌うはずだった曲の1部をガブリエルが歌うと言う設定になった。それまで、ガブリエルはプロとして働いたことは一度もなかったわけだから、はっきり言ってモーレスも最初は反対だったそう。でも、ニトにも勧められてステージに立つことになったのだそう。だから、あのツアーのことは鮮明に覚えていて、モーレス自身も海外で行ってきたツアーの中で日本のは特別。音も照明も舞台も、ブエノスアイレス以外であれほど

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モーレスとガブリエル

の準備が整った海外公演は初めてと言っていたそう。あの公演では、途中でニトが亡くなり、一端モーレスとミルナ夫人、ガブリエルは帰国、でもとんぼ返りですぐに戻ってきて全国公演を続けた。あのプロ根性、じつは世界でも日本でも昔の芸人はみんなこうだった。ブラジルからやってきたエリゼッチもそうだった。エリゼッチは日本公演の途中で癌が発見されたが「私は大丈夫。この歳になればそれほど進行するわけがない。私は続ける」と言ってついに最後まで公演を続けたが、あの時も非常に疲れたがあのプロ根性を見せつけられて感動したものだった。

 

ガブリエルの言葉「祖父は98才で大分前から認知症も患っていたから、病院ではなく自宅療養と言うことにした。でも常時4人の看護婦を付け、家族も交代で週に3回は必ず行くことにしていた。そんな状態だったから、亡くなった時は、みんなが「ご苦労さん」と声をかける状態で、逆に楽になって良かったね、という感じで送り出した。翌日国会議事堂とかいろいろ用意されたけれど、やっぱり祖父に一番似合ったコロン劇場でお別れ会をやった。でも、祖父の亡くなった翌日は、クリスティーナ元大統領が、プエルト・マデーロに持っているマンションを通して資金洗浄の疑いで裁判所に出頭する日だったので、新聞もそれ一色。スペースこそ結構大きかったけれど死に至る詳細が少なかったのはそのせいだと思う」

 

ガブリエルはこれからもモーレス楽団を率いて活動を続けるそう。ただ、昔からいてモーレスをいろいろ助けてきたスニーニも5,6年前に他界したし、メンバーは組み直しだという。それよりも、今の関心事はマリアーノ・モレスの200曲近い作品オーケストラ・バージョンの譜面をきちんとして残すこと、これに精魂を傾けている。みんな200曲というと、首を傾げるが、モーレスは決して多作ではなかった。1曲に集中して時間をかけて作る人だったから、およそ8割が大ヒットした。だからもっとあると思われる訳だ。まぁ、いつの日か新しいガブリエルのモーレス楽団を聴いて、チャンスがあれば日本にも連れて来たい。

 

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いつものようにジーンズ姿で執務するロンバルディ大臣と

この日は、昨年の大統領選挙が終わってから初めて親しくして頂いているロンバルディ大臣に会うことになった。彼は公共メディア(TV6局、ラジオ全体)とCCK(セントロ・クルトゥラル・キルシュネル)の管理・運営、国営イベント会場の管理・運営する新しい省庁のの大臣になった。なにしろロンバルディという人は激しく仕事をする仕事人だ今のマクリ大統領が市長になると、ロンバルディを観光・文化大臣に任命、彼はすぐにタンゴをユネスコの世界無形文化財の指定に向けて全力をあげ、2009年には登録された。さらに、タンゴ・ダンス世界選手権も、いろいろ変遷させたが、最後は決勝大会をルナパークに持ってきて、まさに国民的イベントに仕立て上げた。そして、選手権開かれるこちらの冬は環境客が一番少ない時期だが、この選手権で多くの観光客を呼ぶことにも成功した。じつは、ロンバルディという人は実に多才な人で、少し前にも書いたが建築技師の資格も持っていて、ラ・プラタ市や、ブエノスアイレスでも新しい高層マンションで中心になって建築の運営を担当してきたし、観光面でも南部のティエラ・デ・フエゴやネウケンを開発、世界的に有名な観光地に仕立て上げた。

 

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CCKホール部分を建物内部から

午後4時半、いつも忙しい彼はたくさんの先客を裁いた後、両手を広げて迎えてくれた。いつもの通りジーンズ姿だ。早速日本から持ってきた紅葉饅頭と日本酒を渡すと大喜び。彼の事務所は現在CCKの中にある。CCKは、前政権のクリスティーナとマクリがコロン劇場の再オープンを巡って大喧嘩しそれ以来ほとんど顔も合わせなくなった事件の後、クリスティーナが国の施設として中央郵便局の跡のビルを改装してもの凄いコンサート・ホールにしたところだ。中は何回分も打ち抜いてスタジオの要領ですべてを接地面から浮かして外からの清池イオンをなくす工

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上から吊られている展示会場。

法で吊られていて、外側から見ると鯨のように見えることからバジェーナ(鯨)の愛称で親しまれている。しかし、これが公開された直後から「コロン劇場もあるし、その他にもたくさん国営、市営の劇場があるのに、大金をかけて何故」と批判の声も大きかった。たしかに、もの凄い施設で世界でも類を見ない建築物だ。しかし、この資金苦しむ国にどうしてこんなものをと言う疑問は誰しもが考える規模だ。しかも、クリスティーナは昨年の大統領線前に、この施設に何も関係のない人間を大量に雇うことにした。明らかに選挙対策だ。その他、他国と国境を交える地方では大量の外国人移住希望者がビザを取得できたと言う、あれも選挙目当ての事だった。まぁ、これは何もクリスティーナ政権だけがやることではなく、この国の政治ではよく行われてきたこと。今回はその規模が尋常じゃなかったと言うことだろう。さて、ロンバルディは就任直後の調査で、このことを発見、即座にに700人の職員の首を切った。だから、以前から予定されていたスケジュールは中止となっていた。ついでに、名前も前大統領でクリスティーナのキルシュネルと命名していることに大半市民から反発があったが、これはすぐには変更できない。しかし、ロンバルディ大臣はこれをも変更しようとしている。

 

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鯨の床部分。床底はかろうじて接地している。
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CCK入口のオブジェ

 

ロンバルディ大臣は、今度行くミケッティに同行する予定だったが、今のところ、この国でやることが多すぎてとても今回は同行できなかったという。ミケッティ副大統領の最大の後ろ盾はロンバルディ大臣だ。今回は見送ることにしても、近い将来、学ぶことの多い日本を今の職務の立場で言ってみたい、という。もちろん、このCCKのホールでも一番の仲間のモッシが官庁だから、Kならず何か大きなイベントをやろうと言うことで盛りあがった。で、ちょうどこの日は再オープンのパーティがあってマクリも出席するからと招待されたが、生憎この日はスケジュールを入れていたので辞退。かわりに金曜日、オープン第2日のシンフォニー・コンサートに参加させて頂くことにした。なにしろ、元気でじつに精力的、しかももの凄い知識を持っている人だけに、この大臣と友人でいられることは光栄なことだし、今後も楽しく付き合っていきたいと思う。