リオのデザイン・ホテル


ブエノスで頓挫してしまった仕事の別企画を立ち上げてかなり前が見えてきたところで、日本のブラジル大使館企画で3日間だけリオへ。便利になったもので、ネットで飛行機も宿泊先も簡単に,早く、安く手に入れることが出来る。飛行機も安いのがあるのだが、リオまで2ストップだの、酷いのは3ストップなんてのもあるから要注意。で、日本の国内線も同じで、直行で安いとなると朝早いか夜遅いかどちらかになる。今回は夕方ブエノスのアエロパルケ(今回のアパートからはすぐの所にある)からでて、夜中にリオに到着という便。

今回の宿泊はサンタ・テレーザ地区とあるが、同じサンタ・テレーザでもあの水道橋のある新たな若者文化発信基地となっているラパ辺りからはかなり離れていて、昔だったらとても近づけなかったフェヴェーラに限りなく近いところにあるよう。写真を見ると景色は素晴らしいのだが、気になる書き込みがいろいろあった。「問題はロケーション。街へ降りるのにもタクシーを呼ぶのに時間はかかるし、逆に街からタクシーに乗って住所を言ってもなかなか辿り着かない…」のらしい。今回は時間も短いし、ライヴをひとつ見る以外は仕事がないから,とここに決めたが、夜中に到着となるとやや心配だ。で、元弊社の社員で現在はリオで活躍するテツの世話になることに。リオのガレオン空港に到着してテツに会ったのがもう夜中の12時を過ぎている。だから、この日はすでに寝るだけかと思いきや、金曜日の夜だ、まだまだ夜は長いというのでラパの行きつけのレストランで一杯。

何が変わったと言っても、このラパ地区の変貌ぶりには驚く。昔はこの辺の夜というと、売春婦が立っていたり、麻薬の売人たちが屯していたりで、とても近づくところではなかった。それが、特にルーラ元大統領になって、かなり変化してきた。リオの人口増加率はさほど多くないが、モーホの人口増加は元々異常なほどだった。そこに政府も色々手を入れてきたのだが、一向に改善しなかった。それが目に見えて改善されたように感じたのが2002年12月の選挙で遂に大統領になったルーラが政権になってからのこと。あの「飢餓ゼロ計画」が、現実に動き始めてからのことだ。私自身も目にしてきたが、あの水道橋(アルコ・ダ・ラパ)の下で、政府に雇われた人間が、この辺りの貧しい者たちに実際に食料を配給している姿があった。当時は貧困者をなくすために社会政策にばかり入れ込みすぎて、経済政策や外交面ではかなり疑問符と噂されていたルーラ大統領だったが、労働党出身の割には急激な左派路線はとらずに、前職のフェルナンド・エンヒーキ・カルドーゾ大統領の経済政策を基本的には引き継いで、素晴らしいブラジルを作り上げた。

現地にいると、汚職やいろいろなスキャンダルの噂も耳にするが、あの考えられないほどのインフレに泣いて経済が目茶目茶だったブラジルを現在の様に立派に立て直したのはエンヒーキとルーラという偉大な人物に引っ張られたからだ。日本の政局だけに引っ張られた,信念も理屈もないリーダーたちを思うと、やりきれない気持ちになる。その点ルーラが大統領になった時に「大学の学位がないと何度も非難されてきたこの私が、生まれて初めて免状を手にします。それがわが国の大統領という称号です」と涙ながらに宣言し、以来ブラジル中の労働者たちが、何だか誇りを持って仕事に打ち込み始めた姿を目の当たりにしたことを思い出すが、国の発展はリーダによって大きく変わるものだと思う。

 さて、そのラパが現在は若者たちの重要な文化発信基地になっていることは何度も書いてきたが、その水道橋近辺だけでなく、そこからサンタ・テレーザの丘を登って、山の裏側にあるリオ最大のファヴェーラ、ホシーニャに至るまでの間も随分改善されてきている。2年前にリオに来た時にファヴェーラ・ツアーというのに参加して、そのレポートも書いたが、その時もホシーニャのサンタ・テレーザ側から入ったが、2年前はまだ「ここでは写真を撮らないように」とか色々注文をつけられていたが、今ではその規制も終わりまったく安全になっていた。この辺を仕切る最後のギャングの親分が昨年末遂に逮捕されて、それまでギャングの集会所として使われ、裏切り者のリンチなどが行われていた集会所は子供たちのスポーツや、音楽の練習場となって解放されていた。2005年から「ファヴェーラ・バイホ」計画が施行されて、何と6億ドルもの資金で公園や街路作業が進められ、ここに住む貧困層には行き届かなかった電気や上下水道、ゴミ収集サービス、託児所などがファヴェーラの中に配置されるようになった。ファヴェーラには「住所」というものがなかったのが、今ではしっかりと住所も制定されて,郵便物も届くようになっている。

 さて、今回選んだのはサンタ・テレーザの奥にあるデザイン・ホテル。事前に遅れると連絡していたから問題ないのだが,なにしろ、昔の邸宅を改装したような一口は普通の邸宅の入口風。しかも、通された部屋に辿り着くまでは真っ暗な会談を降りて、しかも入口は単にガラスの扉一枚だ。かなり悪い予感がしながら眠りに就いたが、翌朝目が覚めるとガラスの扉の向こうには絶景が。右手にコルコヴァード、左前方にパゥン・ヂ・アスーカル、グアナバラ湾が一望できるのだ。ネットも最初少しトラブったが、ロビーで少しいじらせて貰ったら,全く問題なく稼働。言うことなしだ。しかし、場所が場所だけに今回はすっかりテツの世話になってしまった。午後、テツと会って仕事の打ち合わせと、夜は撮影。場所はイパネマのスタジオRJ。むかし、エリゼッチ・カルドーゾやバーデン・パウエルの演奏を良く聴いた「ジャズ・マニア」が経営も内装も変わって、これも若者の素晴らしい音楽文化発信基地。いかにもアンテナの高そうな若者たちが屯して一杯になった。今回の仕事はまだ世界的に名前が売れているわけではないが、現在のブラジルで最も注目されているアーティストを日本に紹介するというもの。で、日本では知られていないと言うだけで、リオ、サンパウロ辺りではもう十分知られている女性歌手で、すでに貫禄すら感じられる歌手だった。発表時期などの約束もあるからここでは書けないが、次から次と素晴らしいアーティストを生み出すブラジルという国には恐れ入る。国の予算があるので自由には行かないが、なんとか、一人でも多くのミュージシャンと来日させてあげたい。

さて、このデザイン・ホテル、眺望は素晴らしいし、朝食も豪華、ネットも従業員の態度も文句なしの上、ジャグジーが広い。が、2日目にさっそくシャワーのお湯が止まった。抗議すると今建設中の新しい部屋の工事で行き違いがあって、水道に影響が出てしまったのだという。出かけている間に修繕するが、駄目だったら他のもっと良い部屋を提供するという。結局部屋も変わらずに済んだのだが、今リオ中があの「リオ+20」のせいで、ホテルというと照るが増築や部屋増のための建築ラッシュだ。ブラジルはあのワールドカップやオリンピックの招聘が決まってからと言うもの次々と国債イベントが開催されているが、今回の「地球サミット、リオ+20」でも政府はかなり力を入れてきているようで、あの手この手で超すと対策を行っている。ホテルの方も,あのワールドカップでFIFAが行っている悪徳商法を真似て、この期間中政府がホテルを押さえてしまい、それを各国の関係者に高額で売りつけるというもの。これが功を奏して一時はリオ中のホテルの値段が高騰。結局、世界からの抗議でこの政策は頓挫したようだが、この騒ぎに便乗してリオのホテルはすでに部屋増のための改築,増築が進んでしまっていた。わがデザイン・ホテルもそのせいで増築中だった。なにしろ自信のないこちらの増築は見ていて恐ろしいくらい簡単。セメントと煉瓦を積み上げて、壁を塗り,水廻りを整えて電気を入れる。簡単に言うとそれで増築が済んでしまう。見ていると「本当かよ」と言いたくなる代物だ。いずれにしても、結局はさほど値段も上げられずに大した増収は見込めなくなって、見当は大幅に外れただろうが,すでに6月柱のリオのホテルはどこも満杯だという。いろいろあるが、イベント続きでなんとか経済を引っ張っているブラジル、オリンピックまでにこの好調さを維持できるだろうか?かなり不安である。しかも、直前の現時点でも地球サミット関係の建築は大幅に遅れているそうだ。まぁ、最後の帳尻合わせだけはやる国柄だから,結局は間に合わせるのだろうが、関係者たちはハラハラドキドキの連続に違いない。

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