意欲的なアルゼンチンの音楽界


さて、リオでの仕事も終わり、今度は朝6時30分ガレオン発というとんでもない便でブエノスへ。早朝からまたまたテツの世話になってガレオンまで送って貰うことに。本当は最後の夜はロス・エルマーノスのリオ公演があって、友人から招待されていたのだが、昼間に懐かしいサルヴァドールに住む写真家オースケ氏ともう一人若い写真家でだいすけ氏の二人に会い昼間からしこたま飲んでしまって、朝の便に乗れなくなっては、とロス・エルマーノスは諦めた。ちなみに友人サイモンの情報によると、復活ロス・エルマーノスの公演は現在ブラジル中で展開、各地とも万を越える大会場のどれも一杯の大人気らしい。

 ブエノスアイレスでは、この到着の日大分前から注目していた若いオルケスタのCD発売コンサートがあるというので急いで帰ってきたのだった。2年前来日したビクトル・ラバジェンのピアニストだったパブロ・エスティガリビアが新たに結成した「セステート・メリディオナル」と言うグループだ。あのラバジェンの2ヶ月にわたるコンサート中、暇さえあればピアノに向かって練習。マエストロのラバジェンも彼の熱意に開演ぎりぎりまでプグリエーセの奏法はこう、とか、かなり綿密に彼に音楽を教えていた姿を思い出す。まだ20代前半だが、もの凄い演奏をする。で、彼はアルゼンチンに帰国してからはラバジェンの楽団で活躍していたが,昨年後半くらいから新しいセステートの結成に動き始めていた。FBでその動きは知っていたのだが、今年の初めにやってきた時にちょうど初めてのコンサートをやるはずが、中止になって残念な思いをした。それが、今度は彼から滞在中にCD発売のコンサートをやるからと連絡があって、カメラ持参で向かうことになった。

 CD発売コンサートで、売るCDが間に合わないというのはこちらではよくあることで,案の定CDは間に合っていなかったが、会場は我々がよく撮影などで使わせて貰っているカサ・デル・タンゴ。いつものタンゴ・ファンとは少し違った若い,しかもなかなかセンスの良さそうな若者たちが集まってきた。メンバーも素晴らしい。バイオリンにセサル・ラゴ、ラミロ・ミランダ、バンドネオンは何度も日本に連れて行ったマルコ・フェルナンデスとニコラス・エンリッチ、ベースがニコラス・サカリアスそして歌手は色々なところで名前を耳にしてきたエステバン・リエラ、ピアノはパブロ・エスティガリビアと言う若手ではあっても錚々たるメンバー編成だ。リハーサルの時間から入っていたので、パブロやメンバーたちと話をしていると、このバンドのご意見番みたいな男性が入ってきて彼らと議論を始めた。「どうしてもう少し前衛的なのをやらなかったんだ?」「うん、だけど、タンゴの本質をまず、と思ってやっている内にどんどんその面白さに引きずられて」とか、聞こえてくる。パブロにこの分かり難いバンド名は?と聞いたら「自分が一番尊敬し,影響を受けてきたラバジェンの名曲[メリジオナル]の名を貰ってグループ名にした」そうだ。「サルードス」「マラ・フンタ」と演奏が進む。名ピアニスト、オルランド・トリポディの名曲「ミロンガ・ミロンゲーロ」も登場する。ラバジェンの盟友フリアン・プラサの「ダンサリン」はパブロの素晴らしいピアノ・ソロから始まった。ラバジェンの影響たっぷりの素晴らしい演奏だ。コンサート開始当初はやや硬さがあったが,途中からは目を見張る名演奏がくり広げられて行く。驚くほど力強い、熱い、もの凄い演奏だった。アルゼンチンではダンサーだけでなく,この辺の若い世代の音楽家たち、歌手たちがたくさん生まれてきている。しかも、例えばパブロは一時はバークレーへの留学を考えたりと,世界に向けた目や耳もできている。かなり面白いムーブメントが期待できると思う。

さて、今度の大仕事は一応現在のこのブエノスアイレスで一番評価の高い演奏家たちとの交渉だったが,大分めどがついてきた。問題はあの311大震災が結構尾を引いている。大震災があったからこそ,日本に行きたいというものもいるにはいるのだが、家族が心配するから,と言うものまでいろいろあるが、まぁ、概してアメリカ経由で入ってくる危険な情報に長い日本公演は「家族が心配する」というものだ。こればかりはどうしようもない。しかし、なんとか解決法を見出して、結論が出はじめている。

 それと、今回は特別な録音があって,その仕事も今回の目玉。いくつかのスタジオでファビオとか、フアンホとかの録音をやった。一番多く使ったのが、スタジオ・ソニカ。有名なスタジオだが,私は今まで一度も使ったことがなかった。ここの経営者はあのピアソラの「レジーナ劇場ライブ」を録音した名ミキサー,コセンティーノ氏。ピアソラが「この録音が出来てもう何時死んでも良い」と言い放ったという名録音だ。今回休憩中にたまたまそのコセンティーノ氏にあって話を聞いた。明るい人柄で、ピアソラが最後に病床にいた時に彼は良く見舞いに行ったそうで、その度にピアソラ自身の音楽を聴かせた。「彼はもう意識はなく、植物人間状態だったが、自分の音楽が聞こえると手でリズムをしっかりととったもの。でも面白かったのは,ついでにもっと明るくと、クンビアをかけると、彼は手のひら全体で楽しそうにリズムをとったんだ」と笑いながらエピソードを語ってくれた。それにしても、ピアソラの生前はこのアルゼンチンでは結構辛らつな批評を浴びたもので,決してこの国のタンゴ・ファンは良いことばかりは言わなかったもの。もっとも、音楽家たちにはしっかりと評価されていたが、それほど、アルゼンチンのタンゴ・ファンは保守的だったわけで、彼の死後10年経って世界が注目して始めて、ブエノスのファンもピアソラ、ピアソラとまさに手のひらを返したように言い出すようになったのを思い出すと、今でも悔しい気分になるものだ。

 今回はその他、昨年日本,台湾で公演したコティートがアルゼンチン中を巡るカホンのワークショップとコンサート・ツアーをやっていてのぞきに行った。あの企画を実現するのに,日本から何度もペルーに足を運んだのに、なかなかしっくり来る形に出来ないでいたリマへの最後の旅でコティートに遭遇。彼のおかげで非常に質の高いコンサートに仕上げることができたのはついこのあいだの想い出だが、コティートはその後もペルーでは、あのカボチャの楽器チェコを国民文化財として認めるパーティに出席(サーニャ村で発見されたこの古楽器は最近コティートによって演奏されるようになった)したり、アメリカ公演、そして、このアルゼンチン公演と忙しく世界を動き回っている。今回のアルゼンチン公演は、アルゼンチンの音楽家や文化団体が中心になって招聘し、コルドバ、サンフアン、ブエノスアイレスなど数ヶ所で彼のカホンの妙技や、ペルーのリズムを学び、小コンサートで繋いで行くと言う、まぁ地味なツアーだ。しかし、コティートはペルー音楽の普及のためだったら、どんなところにも飛んで行く。アルゼンチンの結構有名どころのパーカッショニストや音楽家たちがかなり真剣に彼の演奏に見入っている姿を目撃できた。日本には連れてこれなかったが、アフロ・ペルーのギターの名手、フェルクス・ロベルト・アルゲダスの妙技に触れられたのも収穫だった。

今、アルゼンチンの若者たちはなかなか意欲的で,これに近い活動があちこちで見られる。これからやってくるであろう不況の風がこの勢いををどこかに持っていってしまわなければ,と思うが。

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