ブエノスでの仕上げと大ポカ


今度のアルゼンチン滞在ではNHKの「栗山千明のタンゴ・カフェ」のブエノスアイレス編のコーディネートの仕事も平行して進めることになった。今春8回に分けて放送された同番組は大好評で制作スタッフは賞まで頂いたそう。で、当初からの予定通り、今度はそのブエノスアイレス編を7月に取材、録画して秋頃に放送という予定だという。

今までに何度もいろいろな番組のコーディネートをやってきたが、ブエノスアイレスもどんどんカメラを回すのに簡単な街ではなくなってきた。少し前、日本のコマーシャルでいかにもイタリアかどこかの街の石畳を日本車が走って…と言うのが流れていたが、実はあれも規制が厳しいヨーロッパでは難しいので、このブエノスアイレスで録ったものだった。しかし、ブエノスアイレス市でも今や規制だらけになった。ボカやサンテルモでクレーンでも使おうものなら,すぐに許可,許可だ。まだNHK側から具体的な内容は渡されていないものの、コーディネートするからにはおおよその見当で許可を取る作業を開始しないと間に合わない。市や国、仲間を総動員する体制だけは敷いてきた。ダンス関係で頼りになるのはエドゥアルドだ。彼は6月28日からはパリでの仕事が入っているからそれまでになにかと準備に協力して貰うことにした。共演相手のGはすでにヨーロッパ公演に出かけるから殆どぶっつけだ。もっとも,今回は栗山さんがブエノスにやってきて滞在中にどれだけ覚えられるか、と言うのがテーマだそうで、それが見所と言うから逆に事前の準備はしない方がよいらしい。とは言え、テレビ・カメラを回す色々な許可だけでも結構多変な作業だ。このおかげで,今回の旅後半は色々な人間たちと会った。政府関係、市政府関係から、出演して貰う楽団やダンサーたちなどなど。しかしせっかく評判の良かった番組の集大成、うまく行くように協力してあげたい。

今度の滞在も最後にさしかかって、難題だった大企画の覚え書きまでサインできることになった。全体ではないが、重要なアーティストたちの殆どはサインまで漕ぎ着けた。はっきり言って相当ホッとした。この手の仕事は本当に身体に悪い。

さて、約4週間にわたってしまった今回のアルゼンチン、いよいよ仕事を終えて、エセイサ空港に向かったが,ここでも一事件。と言うか大ポカ。この日は日本へ運ぶ荷物の調整で朝からディアナと準備。とは言っても,昨夜の内から大体は決めていたから結構早く済んだのだが、夕刻になり,6回の部屋から来るままで荷物をを降ろす頃には暗くなっていた。結構荷物があるのと、ディアナの所に残していく荷物を合わせると,結構な量になったためにペルー人ポルテーロに助けを依頼。このポルテーロは本当にいい奴で、話し好き。あのコティートのは無しをしてやった頃から随分親しくなっていた。で、彼が手伝ってくれてすべての荷物を車に入れて出発。と、まずここで問題。実は私は2年くらい前からブエノスアイレスで車を借りる時には必ずカーナビを一緒に借りることにしている。でミズ小野情報とディアナの頭の中の情報が大分違うことに気付いて、ディアナにはことある毎にカーナビを買うように進めていた。日本の立派な奴と違って200ドル前後で十分のが買えるからだ。でも、なかなか首を縦に振らなかったディアナがこの帰国日の前日にようやく購入した。で、この日空港まではじめてディアナのカーナビ通りで行こうと言うことになった。が、いつもと少しルートが違うと思いつつも,私はカーナビがあるから安心と寝てしまった。

ところが予定を随分超過して目を覚ますとまだ途中だった。で、ディアナに確かめたら「すいません、おかしいと思ったら高速を使わない設定にしていたみたい」という。でもなんとか時間一杯に到着して荷物をおろし始めたら、なんと荷物がひとつ足りない。悪いことに我がアパートの1階がこの日に限って改装していて2階でエレベーターを降りてから今度は階段で荷物を運ぶことになっていた。で、ポルテーロ氏が、ひとつ2階に置きっぱなしにしていたのだ。ところが彼の電話番号も知らないから、お手上げ。どう考えても間に合わないから,私はカウンターに言って事情を説明、便を帰る作業。ディアナは不動産屋に連絡をとってポルテーロの電話番号を手に入れることにした。まず、便の方だが、さすがアメリカン航空、ダラス行きの3時間後にマイアミ〜ロサンジェルス経由の便があるからそちらに代えてくれるという。で、ディアナも彼の電話番号を手に入れることに成功。早速電話すると、彼は我々が出発してから間もなく荷物に気がついたそうだが、電話も知らなければ,空港もどちらか聞いていなかったのでアパートでの勤務時間が終わっていたのに待っていてくれたのだという。で、申し訳ないがREMISというタクシーに乗せてくれと頼むが「鍵がかかっていない荷物だから(アメリカ経由の便は鍵をかけない仕組み)自分が行く」と言ってくれた。はっきり言って、荷物の積み忘れはすべて本人である私が最終チェックをしなかったことが悪い。彼にはひとつも責任ないのにここまでしてくれるという。世の中本当に良い人がいるものだ。で、エセイサでは一件落着。ポルテーロ氏にはたっぷりお礼をして別れた。

さて、そのマイアミ便。出発時間が大分遅れた。心配はもともとロサンジェルスで乗り換え時間が1時間しかないこと。もう、こうなったらマイアミでわかったら,久しぶりにマイアミで1泊のつもりで出発。案の定2時間あったマイアミでの乗り換えが1時間に。もう間に合わないからと荷物を引き取って再チェックインカウンターに。と、アメリカン航空のおそらくキューバ人おばさんがまた親切にも「ロスが駄目でも、シカゴ経由があるし、成田到着も最初の予定と3時間ほどしか違わない」という。あわてて再度チェックインしてゲートに向かった。シカゴでは流石にくたびれてしまったのでアップグレードできるかと聞いたらOKだったので、シカゴからは思い切り寝て成田に向かった。海外旅行ではこの手の失敗は全部自分の責任だ。自分がチェックしていれば何でもないこと。今回は本当に魔が差したとしか言いようがない。お恥ずかしい失敗談だった。それから、今後この国を訪れる人たちに,大事な情報。今まではこの国についてドルを現地通貨のペソに好感し、帰国時に余ったペソをドルに換えるのは多少の損で問題なかったが、これからはドルからペソは問題ないが、ペソからドルは簡単ではなくなった。ドルからペソに換えた時の領収書というかメモがないとドルを買えない。だから、必要な額を少しづつ換えて行くのが賢明だ。

帰国して、まずは寿司とスーパー銭湯三昧だったが、あの寒いブエノスから暑い国に戻ってきたというのに風邪をひいたり、時差に悩まされたり,今回は相当身体に響いた旅になった。

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