アルゼンチンにしのびよる暗い影


アルゼンチンでの仕事が本格化して1週間。概ね順調だったのだが、週末に肝心のプログラムで暗礁に乗り上げた。少しは予感できたことだったから滞在を長くしていたのだが、最初は非常に好感触だったものが、急に崩れるのはなかなか辛い。しかし、その原因がいたしかたのないものだったので、気持ちを切り替えて次ぎに進むしかない。しかし、その他は概ね順調に進んでいるので、気を引き締めて向かおうと思う。

今のアルゼンチンのタンゴ事情。特に音楽家は現在の40代以下のアーティストたちの活動が活発だ。歴史を支えてきたいわゆるマエストロたちは、もちろん、世界的なプロジェクトでは登場するものの、演奏技術など実際的な評価ではその40代以下の世代が完全に中心になっている。しかし、世界中「タンゴ」というと、そのムーブメントを支えてきた世代はすでに70才を優に超える世代だ。だから厄介だ。しかし、その世代でもシーグレルやマルコーニのように今でも「闘う」アーティストもいるし、さすが歴史的なマエストロの名人芸は素晴らしいものがある。しかし、若い世代の実力はもう誰も否定できなくなってきている。

ブエノスアイレスも、15年ほど前までは若手の音楽家が「いくら頑張っても、マエストロクラスの人たちがタンゴ・クラブを占領して、我々若い世代は働き場を見つけるのも大変せっかく音楽家の数は極端に多くなってきているというのに…」と嘆く声を良く聴いたものだ。しかし、今ではタンゴ・ハウスの中心は当時の若い世代が完全に中心だし、録音や演奏会なども若手がいよいよ中心になってきている。これが「タンゴの第2の祖国」と言われる日本ですらあまり知られていない。弊誌でももっともっとこの辺の事情に留意して活動しなければ、と思う。

慣れたアルゼンチンとは言っても、毎回慣れるまでには時間がかかるもの。今回もようやく慣れて来た感じ。なにしろ物価が上がっていることは実感する。と言っても、ブラジルのように為替でここのペソが高くなっているわけではないので、まだまだ我々外国人には「高い」とは感じないのだが、現地の人間にはかなりのインフレで、生活は厳しくなっているよう。政府発表では消費者物価の伸びは10%程度としているが、民間による公式統計では23%とも25%ともいう数字が発表されている。1月に来た時と為替はさほど変わっていないから、確かに物価は上がってきているのが実感できる。

なにしろ、アルゼンチンは2001年にデフォルトを経験した国である。その後キルチネル大統領の経済政策でかなりの成功を収め、IMFからの借金は一応パリクラブから借りて完済。2008年には一度パリ・クラブと約束した一括返済を行うとしたが、その後の世界金融危機などの影響を受けて方針を撤回していた。それをクリスティーな大統領は昨年末に、2012年中に返済すると発表したから大変なわけだ。とは言え、今のままパリ・クラブと合意できないままでは、国際金融にもアクセスできない。せっかく天然資源も豊富で、リチウム、カリウム、銅などの鉱物資源に恵まれ、シェールガスでは世界第3位の埋蔵量もあるとされているのに、鉄道などのインフラさえ不足しているから、資源の開発など雲の上の出来事となっている。国際金融にアクセスできればよいと言うものではないが、まずはインフラ整備だ。しかし、道のりはかなり険しくなってきた。

とにかくドルを引き留めるために、輸入を制限する。そのために事前輸入宣誓供述制度(DJAI)を2月から発効させているが、これは厳しいものだ。分かり易い例で言うと自動車の販売台数は急伸張してきたが、ここで遂に翳り始めている。まだまだ悪い状態とは言えないものの、問題は部品の輸入だ。これが先ほどの制度でなかなか思うようにいかないから、壊れたところで修理が出来ない。私も、この土日に撮影のためにレンタカーを借りたが、いつもの知り合いだから安いのだが、左側のミラーが言うことを聞かない。まぁ、なんとか手で押し込めば使えたから文句を言わずに借りていたが、これもレンタカー屋は直したいのだが修理屋に部品がない。だからそのままにしているのだそう。今の状態では自動車の販売台数は、こんな所からも鈍るのが目に見えている。

弊社のCDやDVDの輸入に関しては、ドルを支払う方だからまだ良いのだが、それにしても送金で又以前のように苦労することになって来た。ドル送金でドルでの引き出しが難しくなった。まぁ、外貨準備が少なくなると急激にこんな制度を導入する。まさに南米だが、これがすぐに効果を上げて外貨準備高がはっきりと好転しているのだからしょうがない。それから。昔は南米中の国で正規のカンビオ(両替)の他にカンビオ・ネグロというのがあって、ドルの価値が時に2倍になったりしたものだが(もちろん今でも存在する国はある)、これが復活しているらしい。私はまだネグロがどこで行われているのか知らないが、例えば正規のカンビオでは4.5ペソなのが、ネグロでは5.2ペソくらいになっているとも聞く。これからドルの価値は上がって行くばかりだろうから、本格的にネグロが復活するのだろうか?

この間、日本からやってきている日本のダンサーたち二人と食事した。いずれも過去にアジア大会のチャンピオンになった素晴らしいダンサー。一人は昨年の大会からここに残ってやってるのだが、ここに至ってもアルゼンチン人のパートナー探しで苦労しているらしい。まぁ、日本人と見ると、金に見えるらしいからこちらのダンサーでもよっぽど良い人に出会わないと不愉快なままの滞在になってしまう。彼女は幸運にも今頃良い結果になっていると思うけれど。もう一人は南アメリカから豪華客船でブエノスに来るまでの船中でショーをやる仕事を引き受け、ブエノスで解散、毎日を楽しんでいる。タンゴ・ダンサーたちの行動力には頭が下がる。なんとか、本物のタンゴダンスをたくさん学んでいって日本に広めて欲しいものだと心から思う。

 なかなかここに仕事の件は書けないものだが、今回ほどいわゆるタンゴのマエストロたちと会い続けていることはなかった。みんな元気だ。海外での仕事の方も、ヨーロッパがあんな状態だから大変だろうと思いきや、けっこうヨーロッパでの仕事は続いているようだ。もちろん、特に一番関係のあるスペインの元気な無さは行った人間たち全員が実感しているようだ。そんなせいかタンゴ界、全体に内向き、と言うのだろうか。家族の中に戻る様子がどのアーティストからも感じられる。「アルゼンチンのタンゴ音楽家はもっと世界と闘え」と叱咤していたピアソラの言葉を今こそ肝に銘じるべきと思うが。

 火曜日、若手の一番活躍頭、ビセベルサの兄弟と会った。彼らの演奏は実は彼らがあの超豪華ホテル、ファエナでやっていた頃から聞いてきているし、一昨年はわがアウロラとの共演もしたから実力はよく知っているが、会って話してもなかなかの好青年だ。彼らは日本でも確実にスターになれるに違いない。その日の夜、以前に外務省OBの国安さんに紹介されていた水上日本大使に電話。大使がタンゴの勉強できる本をと言うので弊社から本を2冊ばかり届けに、と思って電話したら何と公邸に招待された。水上大使は3月からの赴任だが、非常に活力溢れる明るい方で、必ずや日本とアルゼンチンの交流を活発にしてくれる方と確信した。国連であの緒方貞子さんと働いていた時代のことなどいろいろ貴重なお話しを伺って、随分お邪魔してしまった。宇野さんという中南米研究員の方も紹介頂いて、今後は何か弊誌にも書いて頂けるようお願いもしてきた。水上大使のここでの活動に大いに期待したいものである。

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