天才ネストル・マルコーニのこと…


さて、今回は今年招聘作業を手伝うことになったネストル・マルコーニとも会う必要があった。マルコーニとは古い付き合いで、もう70年代の後半からブエノスに行けば彼の出演するタンゴ・ハウスを求めて出かけたものだった。

最初は「カーニョ・カトルセ」。この店は最初は気の良いユダヤ系の経営者がいて、観光客向けではなく、圧倒的にブエノスのタンゴ・ファンに向けて開店した店だった。70年代にはセステート・タンゴやまだ若かったビルヒニア・ルーケなどが出演していた店だが、マルコーニは当時からとにかく即興の演奏が大好きで、後年あまり客が入らなくなった頃は、なんとあのフアンホ・ドミンゲスと客がいようといまいと連日即興タンゴ大会を演じていた。

 次ぎに83年、軍政が終わってパリから帰国したスサーナ・リナルディが名付け親になって開店した「カフェ・オメロ」。今やブエノスで一番アンテナの高い若者たちのファッション街、パレルモ・ソーホーの真ん中で、やはりブエノスアイレスの知識人やタンゴ愛好家向けに創られたタンゴ・ハウスだった。もっとも、当時はと言えば、今のような華やかな街並みではなく、真っ暗な中にこの店だけがポツンと出現する感じの店だったが、マスコミ関係者、ファッション関係者、粋な政治家達による客層は民政アルゼンチンを象徴するような素晴らしいものだった。この店の出演陣も凄かった。マルコーニにリドルフィ、タランティーノといった巨匠たちに歌手はゴジェネチェとアドリアーナ・バレーラというもの凄い編成。それは凄い演奏だった。89年、外務省の大イベントで行った「タンギッシモ」のアイデアはここから生まれた。マルコーニは、ここでも毎日同じ曲をまったく違ったスタイルで演奏する。タランティーノは最初はよいが、ピアノの上にワインを置いて飲みながら演奏するから後半には指が動かないなんてことも。でも、あの左手の低音リズム聴きたさに来る客も多かった。ゴジェネチェは「国民的なスター」ということで恐らくアルゼンチンで唯一あの白いものを人前でやることを許された人だったから、客と一緒にだいたい吸いながら酒を飲んでいる。で、そのうちマルコーニたちがステージに現れて練習風に音を出すと、ゴジェネチェがそれに気がついたように「もう始めるのかい?まだ早いよ」などと冗談を言い合いながら即興詩でタンゴに入っていく。冗談の喋りからそのままタンゴ・ショーに繋がっていくというもの凄い展開。この頃はブエノスに着くとすぐマルコーニに電話してここを訪れたものだった。

その次はまたまたあまり観光客の臭いのしない「カサ・デル・ビーノ」という店。ここはさほど大きくはないが立派なステージがあって、客席も普通のコンサートスタイルで行われる店だったが、マルコーニは大体土日はここで演奏していた。息子のレオナルドがプロ・デビューしたのもこの店だったと思う。この店ではサルガン・デリオやアグリ、スアレス・パスなんかも出演していて、今から考えるともの凄い店だった。今は殆どタンゴとは関係なくなったが、ここにも良く通ったもの。とにかく、マルコーニという人はミュージシャンズ・ミュージシャン、売れていようが売れまいが音楽家たちからはとにかく尊敬の念を集めていた音楽家だ。

 知らなかったが、ブエノスアイレス市立タンゴ楽団は彼とカルロス・ガルシーアが始めたそうだ。私は何度かこの市立タンゴ楽団を聴いてきたが、素晴らしいメンバーに恵まれている割に、アレンジも演奏も面白くない。指揮をしていた故オスバルド・レケーナによると「給料制だからね、とにかくいわれるままに演奏していれば給料もらえるから」というわけでレケーナも何度も指揮者を辞めたことがあった。そんなことがあって、数年前、マルコーニが指揮者として戻ってきたと聞いてコロン劇場に出かける事があった。そこで聴いた市立タンゴ楽団の演奏はまったく違って、格調高さの中にウィットまでも込められたオーケストレーションでの素晴らしい演奏だった。マルコーニという音楽家の凄さをまた違う角度から見せつけられた瞬間だった。

 この辺りからは、マルコーニはすでにアルゼンチン・タンゴ界で最も重要な立場にいることになる。もともと音楽家の間では尊敬されていたし、その後、ブエノスアイレスの名誉市民となるなど一般的にもようやく実力通りの評価が認められたことになる。

今回は、昨年中止になった三浦一馬との師弟デュオ公演だ。一馬は10才の時からバンドネオンを始めて小松亮太に師事した。2006年に別府で開かれたアルゲリッチ音楽祭でマルコーニに出逢ってからはアルゼンチンに渡ってマルコーニに直接師事するなどマルコーニを師と仰いできた。昨年は311の地震のために予定していたコンサートが中止となったが、今年はそれをもう少しグレードアップして開催する。今回はピアノにフランソア・キリアンも加わって格調高いステージとなりそうだ。しかし、マルコーニという人、実際は相変わらず冗談大好きで、「俺さぁ、名誉市民だぜ。年取ったものだ」と照れる辺りは少しも変わっていない。息子のレオナルドもすでに十分な演奏活動を続けている音楽一家だ。

契約のことも10分ほどの話で終了。12月がすっかり楽しみになって来た。

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