イニャッキのショー、ウルグアイ…


このブログを始めてから、初めて2ヶ月近くも休んでしまった。実は理由はいろいろあったのだが、今までも記したこと以上に、ブログの行間から忘れ去った故お柄を思い出させてくれるために大変に重宝していた。で、再開するに辺り、2ヶ月分のことは、何回かにまとめて書いて、あとは、できるだけ日記でも書くように再度始めて行きたいと思う。最初は本当にメモから。

まずは、8月5日のサルヴァドールのブログの後。思いつきではあったが、サルヴァドールでの夏休みは素晴らしいものになった。しかし、ブエノスアイレスの冬、しかも「タンゴの8月」はとにかくイベントが多い。今年は弊社でアルゼンチン盤の輸入を担当している鈴木多依子が、いつもはツアーの付き添いでやってくるのだが、ツアーのお客さんたちがいる間は殆ど輸入関係の仕事が出来ないので、彼女を先に来させて、大典社員がツアーを連れてくることにした。で、多依子社員は11日にやってくるので、その間の5日間はできるだけ、普段あまり行かないタンゴ・ハウスを巡ってダンサー探しに精を出すことにした。

 タンゴハウスの出演者情報と手配はすべて毎年招聘しているガスパルに任せることにした。ブラジル行きの前に行った「マデーロ・タンゴ」の他、ビエホ・アルマセン、タンゴ・ポルテーニョ、エスキーナ・デ・カルロス・ガルデル、ピアソラ・タンゴ、セニョールタンゴ…。久しぶりにこれだけ廻ってみたが、タンゴ・ハウスのショーのレベルが凄く上がっていることが印象的だった。以前はお客に媚びる何とも安っぽい演出がすべてを台無しにする場合が多かったのだが、概してその安っぽさは消えてなかなか良いショーになっている。ダンサーの年齢も随分と若返っていて、最初に行ったマデーラだけは頂けなかったが、スピード感、振付、いずれも申し分ない。恐らくタンゴダンス世界選手権の成果もあるのだろうと思う。

 そして、多依子社員が来るはずだった8月11日、ワシントンから連絡。天候のせいもあって乗り継ぎに間に合わず1日遅れるという。USA経由の2回乗り継ぎ便というのは、大体どちらか一方のトランジットが短すぎて、こういうことが度々起きる。出来るだけ避けた方がよいが…。11日朝は、ブエノスアイレスにも雹(ひょう)が降ってきて驚いたものだが、翌日は晴れ、朝多依子社員が元気に到着。本当は到着したその日にイニャッキのセルバンテス劇場での公演に招待されていたのだが、日曜日もあるので、振り替えて貰っていた。で、イニャッキの公演。クラシック・バレエのタンゴ・ダンスだからいつもとはまったく違ったものだが、それにしてもアイデア、照明、質の高さという面ではとにかく圧倒された。考えてみると、タンゴ・ショーの世界は昔は結構なレベルにあったのだろうが、世界的な規模・レベルで考えるとまだまだ始まったばかりと言って良い。アイデア一つとってもオリジナリティという面ではまだまだだ。イニャッキのショー、主役がさほど目立つわけでもなく、6枚ほどの照明の入った板と、やはり6個の四角い箱だけが大道具。しかし、曲毎にその配置が替えられて独特の雰囲気を醸し出す。アルゼンチンのクラシック・ダンス界でのタンゴダンス作品ではフリオ・ボッカが有名だし、振付では数年前に宝塚のために招聘したオスカル・アライスが有名だが、このイニャッキのショーはそのどちらにも似ないオリジナリティ溢れるものでまさに感動。この話を何人かのタンゴダンサーに話したら、みんなが同意してくれた。
 さて、タンゴ・フェスティバルは14日から始まるのだが、多依子社員はウルグアイ盤にも注目していて、ウルグアイに一緒に行くことに。ブエノスではフェスティバルのオープニング・パーティがあって招待されていたのだが、ビジネスが大事。朝8時のブケバス(船)でモンテビデオに向かう。嵐が来ているとかで心配したが、さほど揺れるでもなく、無事到着。アポは多依子社員が自分でとっていたので、私は付き添いの親父の気分。しかし、アウロラのモンテビデオ公演をやっていたので、何故か弊社の名前も結構知られていた。仕事の方はCD店やAyui, Sondor, Bizarroといったレコード会社、スタジオなどめまぐるしく2日間でこなしたが、僅かな時間も逃さず写真撮影にも。SondorのスタジオではLeo Masliaにも出逢って記念撮影。

やはり行ってみると、日本で知られていない良い音楽は結構たくさんあるし、音楽関係者たちの心意気がよい。小さなマーケットだからブエノスアイレニの影響は大きいところだが、一生懸命CDを録音し世界に向けて販売し、自国の文化を育てている姿は美しい。Sondorはモンテビデオの歴史的なレコード会社。フリオ・ソーサ、アルフレッド・シタローサ、ルベンラダといったアーティストの録音の殆どがこのスタジオで行われた。驚いたのは、最初の頃の技術だ。すべてこの会社の創始者エンリケ・アバルは、カッティング・マシーンからビニール盤の焼き付けまで、すべて手作りの機械で行っていたこと。彼らが「博物館」と呼ぶ部屋にすべてが保存してあったが、大したものだ。

 さて、今回の泊まったホテルは港のすぐ近く。前回ゆっくり行けなかった港の市場(ここは現在大食堂街になっている)の真前だった。ネットで探して非常にセンスの良いデザインホテルなのだが、まぁすべてにゆっくりしているし、返事は最高だが、行動が伴わない。しかも夜は非常に危ない所だ。次回、ホテルはセンターの方が良いと実感。しかし、目の前にある港の市場は最高だった。夕方5時までしかやっていないのだが、大きなスペースに何軒ものレストランやバーが建ち並んでいる。アルゼンチン風やブラジル風の肉やチョリーソ、近海物の魚料理、さらに嬉しいことにパエージャもある。ワインも地ビールもたっぷり飲んでも一人1000円くらいで楽しめる。なにしろ、ウルグアイ人は「人間」が優しい、これが一番だ。

1泊たっぷり二日の旅で仕事と写真撮影などで、帰りの船ではさすがの多依子社員もグッスリ。

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