2日目も続いてパブロの録画作業

DSC_3819アルゼンチンで客を迎えての2日目。まず国立タンゴアカデミーのソリア会長に挨拶のはずだったが、直前に「風邪でダウン」との報せ。午後1時半からの録画に備えて同じ「ビニーロに早めの準備に。この日は来年春の民音タンゴ・シリーズで来日するパブロ・エスティガリビアの撮影。ビクトル・ラバジェンの来日公演の時から目をつけていた若い、しかし実力十分のピアニスト率いるセステートだ。パブロは今年、日本でのレコード大賞に相当するガルデル賞を獲得したばかりで、今や大いに注目されている。日本公演の時も一番先に会場入りし、一番先にピアノの席に着き、一番先に音を出し、サウンド・チェックの後も一人黙々とピアノを弾き続ける男だった。日本にいる2ヶ月あまりの間にもかなりの十分上達したように見えた。「日本ではどの会場にも最高のピアノがある。恥ずかしい話アルゼンチンではグランド・ピアノですらすべての会場に揃っているとは限らないし、会っても質が悪かったり…」録音のスタジオでさえ、なかなか満足のいくピアノがないのだという。そんな彼とはあのラバジェンのツアー直後から「必ずパブロのセステートで日本ツアーを考えるから」と言ってあった。で、彼もその期待に応えてくれてすぐに背ステートを結成。今までに何度も録画してはプレゼンしてきた。あれからすでに5年の月日が経って、ようやく実現の運びとなったわけだ。

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パブロはガルデル賞の受賞後もラバジェン・トリオとのツアーに忙しく、なかなかセステートの練習に時間が割けないでいた。だから、今回も彼らの最高の曲目での録画にはならない。しかし、パブロの今一番評価の高いソロも加えて良いレパトリーを揃えてくれている。前日マエストロ、ラバジェンも招待したが、なにしろパブロもラバジェンもこの日夜にツアーのためNYに出発だ。やはりラバジェンは来ることはできなかった。しかし、ラバジェンはパブロの応援ビデオの収録のために26日には戻ってくるからその時に録画しようと言ってくれた。曲目は;

Saludo

Mala Junta
Por Una Cabeza
Adios Nonino
Desde el Alma
DSC_3685どれも素晴らしい演奏だった。メンバーも今ブエノスアイレスで大いに活躍している若手のトップ・ミュージシャンばかり。切れの良い、熱いサウンドを撮ることができた。特にピアノ・ソロの迫力は筆舌に尽くしがたいほど。
その後写真撮影、簡単なインタビューを録画(すでに息子の大典がそのすべてを担当)して時計を見ると、次のタンゴダンス世界選手権の総合プロデューサー、グスターボ・モッシ氏との約束時間を過ぎていた。で、大至急連絡を取って待ち合わせ場所を選手権の会場、ウシナ・デル・アルテに変更して出発。会場入口ではモッシ氏以下シルビア、フアンホと今回のプロデュース人が総出で迎えてくれた。今回の選手権の録画やいろいろな段取りを話し合った。今年は、実は今のマクリ市長が大統領選挙に出馬するから、市長が替わると基本的にはスタッフ入れ替えとなる。だから、今のスタッフでは最後になるかもしれない。10月、あるいは11月の決選投票いかんでは総入れ替えの可能性だってある。だから、誰も口にしなかったが、お互いを思いやる非常に中身の濃い打ち合わせだった。モッシによると、今年は今までよりも更に多い過去最高の申し込みと観客動員数で盛りあがっているそう。我々は翌日からリオ、サンパウロの視察が入っているため、準決勝からしか観戦できないが、アジア勢、ロシア、イタリアなどからの出場者の頑張りが聞こえてきた。そろそろアジア勢の上位入賞が聴きたいものだ。

リオでの観光の一日

仕事で海外に一人で来るとほとんど観光はしないのだが、客がいるとどうしても観光、となる。観光も嫌いではないが、いつも同じところばかりで飽きる事が多い。が、このリオ・デ・ジャネイロだけは別である。どこに行っても実に美しいし、いつも新鮮な感動を味わえる。リオではまず高いところから全体を眺めるのが一番。高いところと言うとコルコヴァードの丘の上にあるキリスト像か、グアナバラ湾の入り口南側にあるポン・ヂ・アスーカル。まぁ、一番楽で一番感動できるポン・ヂ・アスーカルから出発。ここはウルカの低地にロープウェーの登り口があり、そこからまず低い方の丘モーホ・ダ・ウルカ(220m)、そしてさらにロープウェイを乗り継いでポン・ヂ・アスーカル(396m)に到達する。モーホの方にはヘリポートもあって、ここからリオ市内への観光ヘリも飛んでいるし、中程にある野外劇場〔最近は壁で包まれている)ではカーニバル時に世界中の同性愛者たちが集い一大フェスティバルが開かれていた。カエターノや、ガル・コスタと言ったアーティストたちの元マネージャー、故ギジェルミ・アラウージョはこのフェステバルのオーナーで、ここには世界中の大金持ちの同性愛者が集まるからその収益だけでブラジル、ニューヨークの1年間の事務所経費からすべてを捻出していたと聞いたことがある。そこからポン・ヂ・アスーカルまでのロープウェイから眺める景色は抜群。目の前の岸壁ではロック・クライマーたちの姿に出会える。

リオはどこから見ても考えられないほどの絶景ばかりだが、個人的にはこのポン・ヂ・アスーカルからの眺望が一番好きだ。360度のパノラマで、ノルコヴァードのキリストも、ニテロイ大橋、れみ。コパカバー名海岸、遠くにはマラカナゥン・スタジアムも覗ける。今回も天気に恵まれてまさに絶景だった。ロープウェイは夜も運行していて、ここからの夜景も実に見事なもの。

さて、ポン・ヂ・アスーカルの下でこの日もテツと待ち合わせ、彼の車でマラカナゥン・スタジアムへ。ここは昔は25万人収容と騒がれていたが、92年に大規模な落下事故があって改築、現在は全席椅子席で80,000席収容となっている。しかし、各種イベントやコンサートではかるく10万人を超える人数を収容できるから今でも国内外の大アーティストのコンサートに使用されている。すべてが改築されて立派になっていたが、この日は残念ながらサッカーの試合がある日となって見学はできなかった。ついでに向かったのがテツが前からおすすめの中華レストラン「Primeira Pá」へ。こんな北部の危ないところにどうして、と言う場所にあるが、とにかく美味い。リオデジャネイロ中国文化協会の中にあるレストラン。入り口からして少しの気取りもなくゆったりした雰囲気。とにかく餃子(ニンニクはない?)が思い切り懐かしい。他にもエビ料理、炒め物などどれも最高の味だ。料金も決して高くない。マラカナンの方に向かったときには是非訪れてみた方が良い。ついで、サンボドロモを経由し、最後は昼間のラパを経由してテツの済むサンタ・テレーザを通ってドナ・マルタの展望台へ。コルコヴァードのキリストへはあのワールドカップの頃から市が介入してやれば酢煮のレダの、上るのに金も暇もかかるようになったし、何しろ展望台は狭い。このドナ・マルタの展望台はキリストもすぐ近くに望めるし、リオの街もグアナバラ湾も最高に美しい。しかも歩いてすぐのところにはヘリポートもあってそこからの形式も抜群。さすがテツだ。で、夜はラパの一番大きな3階建ての店「ヒオ・セナリウム」へ初めて言ってみた。今までもこの店の噂は聞いていたのだが、たまたま出ているアーティストが他とぶつかっていたりで行けてなかった。ラパの全盛時にはここを目指す客が行列を創ったそうだが、等パ任期が翳りを見せ始めている今では、一杯ではあるが普通には入れる感じ。しかし、店作りのセンスがよい。アンティークをたくさん並べてあったり、広くない建物にステージを作り、なんとどこからでもステージが見えるように吹き抜けにしたりとよく考えられている。周りのレストランも良い店が多い。ここでは前から名前を聞いていたマコさん二も会えた。10年以上も前にリオにやってきて昔リオの劇場かどこかで私と会ったと言うが、あまり良く覚えてなかった。しかし、こちらで歌手とパーカッションをやりながら生きているたくましいお嬢さんだ。これからも音楽の件ではいろいろお世話になるかも。

一日中観光の付き合いだったが、楽しい一日だった。