ガラスのCDの音に感動!!


4月に入ってから、昔の友人たちに会うことが多くなった。Facebookが登場して旧友たちとコンタクトし始めたのも大きな要因だが、何だかやけにお誘いが増えてきた。まぁ、旧友というのは何年もあっていなくてもつい昨日のように話せるから楽しいもの。お互い髪に白いものが一杯になっているのに、気分は若いままで話せるから楽しい。

4月に入ってすぐの頃、大学を出て就職したレコード会社の友人たちにあった。一人は当時のレコーディング・エンジニアの先輩、福井さんと、一人は同期で一緒に入社してクラシック畑でディレクターとして活躍した西脇。私 は不良社員だったせいか、当時のかなりつまらないレコーディングなども担当させられたせいかエンジニアの福井さんとは ずいぶん仕事をする機会があった。海外から送られてくる、例えばパコ・デ・ルシアのマスターの音が気に入らないから手を加えてほしい、などという滅茶苦茶な要望にも面白がって応えてくられたこともあるし、あの「カストロマリン」の録音では一緒に興奮した。福井さんは腕は抜群だが、行動、特に夜の行動には曰く付きの先輩だった。暴れるのだ。あの会社には面白い人間がたくさんいたが、女性には非常に優しい人が多かった。男どもの不始末をいろいろもみ消してくれたりした。そんな中でも一番面倒見の良い人と福井さんは結婚。世の中うまくできているもの、と関心もした。

もう一人、同期の西脇。当時のレコード会社は、大卒の就職では一番の人気業種だった(今では考えられないが)。あのCBSとソニーが作った会社が大成功していたからだ。我々の入ったフォノグラムという会社は、松下系のビクターとオランダのフィリップスが出資して作った会社で、我々はその新会社の1期生。先輩たちはビクターから移ってきていた。で、1期生は約30人ほどだったが、その中に西脇がいた。私は要領よく営業本部という所に3ヶ月解いた後念願の洋楽部に配属になったが、西脇は名古屋のオーケストラで演奏もしていたこともあってか、最初は商品管理部という不人気な部署に配属になった。やがてクラシックのディレクターとして活躍しだしたと記憶している。実は私もその営業本部から洋楽部にほんの少しの間配属になったのだが、横に念願のポピュラー課があっては仕事に集中できず、仕事でのミスを繰り返した。一番酷かったのは「乙女の祈り」と「エリーゼのために」の曲違い。どちらも知ったメロディで、少し聞いただけでOKにしたのだった。思い切り怒られて、すぐにポピュラー課へ。張り切って最初に手がけたのがパコ・デ・ルシア、そしてフォルクローレ、ブラジル音楽、タンゴなどなど。

この会社に就職してオリエンテーションが終わった頃、社長と新入社員の懇談会があって、私は「この会社に骨を埋める…」と勇ましく宣言したのだが、恥ずかしいことに同期の中では2番目に早く退社することになった。パコ・デ・ルシア、カマロンを中心にしたフラメンコ・シリーズ、メルセデス・ソーサ、クリスティーナ&ウーゴを中心にしたフィリップス・フォルクローレ・ベスト・コレクション、ガル・コスタ、マリア・ベターニア、ジル、カエターノなどなどブラジル音楽界の名盤シリーズ、さらにピアソラのタンゴなど、この会社のカタログの好きなアーティストを大体世に紹介できたのと、当時としてはあまりに数字数字で追いかけられることや、後で入ってきたできない先輩や口だけ同僚に嫌気がさしたこともあった。それから短期間ジャズ評論家の池上比紗之氏の紹介で彼が働いていたヤマハ社内誌の編集のアルバイトをした後スペインへ逃亡というわけだった。

さて福井さんたちとはその後も何度か会っていたが、今から5,6年前だっただろうか、ちょうどブエノスアイレスのホテルにいた時、ヤフーJAPANのニュース記事「ガラスCD発明」でこの二人の名前を目にして驚いた。福井さんはフォノグラム在籍中からCDの音質を向上させるために色々研究を重ねていたが、結局行き着いたのが「ガラスのCD」。廉価版やダウンロードで「デジタルになった今や音質は変化しないし充分」と思われがちだが、市販のCDは、プレス工場によっても音は随分違うもの。福井さんの研究もそれがきっかけで始めたのだと言う。

現在普通に出回っているCDはポリカーボネートという一種のプラスティックでできている。CDの研究時にはガラスも使われていたのだが、コストがかかりすぎて現在のポリカーボネートに落ち着いた。CDが世の中に出てきた頃にはデジタルだから経年変化もなく、と言われたこともあったが、実際には薬品溶剤や温度湿度に弱い上、反り出すと高額に大事な透明性が著しく低下する。だから、CDでもっていれば年数が経っても大丈夫というのは大きな間違いだ。

福井さんは、この問題解決の途上でガラスに辿り着いた。ガラスならば理論上は1500年 の耐用年数があると言われ、貴重な音源の永久保存媒体に適しているし、なにより「価格、品質共に負のスパイラルに陥っているディスクの価値を引き上げたい」という会社設立以来の願いを実現するものとして力を入れてきた。ただ、実際にはコストを引き下げられたと言っても一枚10万円程度から下には下げられず、今でも苦労しているという。ただ、「ディスクの価値を高める」という願いはSACD(スーパーオーディオCD)の方は、世界的にまだまだムーブメントが起きているとは言えないが、日本に関しては「伸び」ていて、新たなディスク文化市場の獲得に光明が見え始めているという。

 で、その二人がサンプルとして持ってきてくれたガラスのCDを聴いてみた。アルゼンチン屈指のピアニスト、マルタ・アルゲリッチの「シューマンとショパンの協奏曲」と懐かしい森山良子の「日付のないカレンダー」だ。凄い。確かに凄い。以前、サンスイからオルトフォンに移って社長をなさっていた前園さんの招きで高級針でのLP試聴会に参加したことがあるが、あの時と同様、我々が普段聞いている音楽は材質によってはこんなに違うのかと唸ってしまった。なにしろ音が空間に漂う、例えばコンサート会場でも非常に上手くいった時に感じるあの状態よりも素晴らしい。私はオーディオ・ファンではないが、確かにこれだけ違う音を体験すると、音楽に対する前向きさが確実に戻って来る。そんな感じだ。

この音の違い、福井さんによると使うプレーヤーを選ばずにその良さが実感できるという。確かに。しかしずっしりと重い。ディスク質量はCD企画上限の33gもあると言うが、上限だから当然問題ない上、重い分回転がなめらかになる。久しぶりに「音」の世界の素晴らしさを体感した。

この森山良子の音源は1976年に福井さんがエンジニア、その後飲み仲間になっていた本城ディレクターの名録音だったが、私がいた頃の「さとうきび畑」や「この広い野原いっぱい」もボーナス・トラックでいれてある。応接室でひとりあの耳朶にタイムスリップしたように聴き惚れた。やはり、「便利」「廉価」だけでは辿り着かない高音質の世界をもう一度音楽業界は目指す必要がある。第一、今のままのコピーし放題ではプロの音楽家というものが育たなくなるのは目に見えている。真剣に考える時だろうと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください