網走、流氷、ウトロ、領土…


札幌公演の翌日、天気が良ければこの日から休暇を貰ってと決めていた。朝になって見ると快晴だ。で、故郷の北見経由で流氷を目指すことに。まず、特急オホーツク(ネーミング、金に関係ない分これは素晴らしい)で北見へ。もともと寒いところだが、今年は又特別らしい。今朝の温度はマイナス21度を示したとか。しかし、故郷のこの肌を刺す寒さは久しぶりに嬉しいもの。冬のNYだって、この故郷の寒さをまず感じて嬉しくなるもの。北見市は近隣の街を合併して現在10万人くらいの人口だが、以前より少しだけ活気があるように感じる。で、突然の電話にも関わらず仲間が集まってくれて友人の家で痛飲。

 翌朝7時起床。前日から頭は「流氷」で一杯。なにしろ北海道出身というのに流氷未体験なのだから。北海道でも沿岸に住んでいる人なら体験しているだろうが、誰もが流氷を体験しているわけではない。簡単ではないのだ。

オホーツク海の流氷は、中国、モンゴル、ロシアの国境辺りを起点とするアムール川が、ロシアのハバロフスクからオホーツク海に流れ込んで、冬の間、そのアムール川からの流水によって塩分が薄くなった海水が氷結して作られる。これが北海道の沿岸に到着するのが1月下旬頃。肉眼で水平線上に見えた日を「流氷初日」と言い、今年は網走で1月17日だったとか。流氷が接岸した日を流氷接岸初日と言い、流氷サイトによると網走では2月17日、根室ではそれより早い2月14日とある。今年は網走や知床、根室だけでなく稚内の方にも結構流氷が来ているようだ。さて、流氷の各サイトには色々な情報があるが、せっかく接岸しても特に風の向きによって流氷はすぐに岸を離れて沖に出てしまう。しかもかなりのスピードだ。今回はまず、網走港から出る流氷砕氷船「オーロラ号」で初体験をするつもりだったが、情報によると、同じ日でも流氷に出会える日と出会えない日がある。で、前日にこのオーロラ号事務所に電話。「今日は全船とも流氷を確認できましたが、明日は気温も上がるようですし、風の状況では何とも…」と歯切れが悪い。しかし、普通は団体の予約ですぐに一杯になるのに、一番早い便はかなり空きがあるという。「明日の8時頃から出発時点で流氷に会えるかどうかわかりますから、その時点で流氷がなければキャンセルも出来ます」という、いかにも北海道的な応えに安心して予約。

北見のホテルを朝7時半にレンタカーで出発。こちらのレンタカーは当然スタッドレスだし、友人にタイヤの専門家がいて「お前は昔スキーもスケートも選手までやっていたんだから国道さえ走っていれば大丈夫」という訳のわからない激励に不安も少し解消し、レンタカー勝負に出た。朝の道路は凍結しているから簡単ではない。国道は大体が路面が出ているから問題ないが少し日陰に入るともう氷そのもの。とにかく、スピードを抑え気味で、急ブレーキは御法度との友人たちのアドバイスを守って網走へ。車の運転はなるほど、多少滑ってもスキーの感覚があれば大分楽と言うのを実感。

1時間と少しで網走港に到着。オーロラ号の乗船所は道の駅「流氷街道」にあった。早速尋ねると「今日の少なくとも最初の便は確実に流氷を体験できます」とのこと。目の前に2隻のオーロラ号(アウロラ号と呼びたい!)、450人乗りで、たしかにそんなに客はいない。目の前のカモメが空を飛んだり海面で休んだり。ところが海面でじっと休んでいる時のカモメの流されるスピードが半端じゃなく速い。そんなに風が強いわけではないのに、これではたしかに流氷も現れたり、消えたりするはず…。そしていよいよ出発、沖合には何にも見えていない。20分たって、30分たっても…と思った途端遠くの水平線が白くなってきた。右手には知床連山が美しく並んでいる。特に斜里岳の雄姿は感激。で、少しづつ周りの海に氷のかけらが浮かび出す。あるものは川のように列をなしている。これが幻想的で美しい。夢中でシャッターを押していると、すぐに大きな氷群が現れた。流氷初体験はなかなか感動もの。10分くらいだったろうか?流氷の中にいたのは。オーロラ号は砕氷しながら円を描くように廻る。なかなかの迫力だ。で、氷群の先を見ると、知床半島の方に伸びている。これは斜里やウトロの方では接岸しているに違いない。

どこかで流氷ばかりを撮っている写真家の記事を読んだことがある。流氷の海の下から眺める風景は特に素晴らしいらしい。氷の厚さで色が何段にも分かれて幻想的だ。しかし、上からは簡単に割れる氷も下からははなかなか割れないから危険なのだそう。入口がいつもでも開いているとも限らないわけだし…。そんなことを思いながら氷の隙間を狙って撮っていると、あっという間に初流氷体験は終わってしまった。

 オーロラ号を興奮の内に降りて、早速流氷のビュー・ポイント、天都山に向かう。車で約15分くらいにある小高い丘の頂上に360度の展望台がある。ここからはかなり遠くまで流氷の位置がわかる。たしかに、恐らく斜里辺りからウトロ(宇登呂)にかけては完全に流氷が着岸しているよう。大昔の夏に一度このウトロから知床岬まで観光船で行った記憶があるが、確か道路はさほど整備されていなかった。でも、あれから何十年経って観光客も来るのだから、大丈夫だろうとウトロを目指すことに。斜里からの国道は海から離れるから流氷の所在ははっきりしないが、ウトロに近づいてきて海が見え、完全に接岸していることを確認。船の上からとはまた違った広大な風景に感激。ウトロの少し手前では「オシンコシン(アイヌ語=川下にエゾマツが群生するところ)の滝」という知床八景に数えられる滝にも遭遇。冬の滝は又格別だ。

ウトロの港は完全に氷で覆われていて、「流氷ウォーク」のツアー客が楽しんでいたりする。知床の恩人、森繁久彌の歌碑もある。しかし、冬のウトロは温泉以外には船も冬眠中。静まりかえっている。そこでもう少し半島沿いに車を進める。大正時代、知床半島に開拓民が入って最初に鍬を入れたのがウトロ、その次がその少し奥の岩尾別だった。中でも岩尾別に開拓に入った開拓民は、苦労の連続。例えば木を切り開いても地面には岩が散乱し、井戸も掘れない。その後も何度か開拓を受け入れたが問題を超えられずに結局は国立公園として鍬を入れない地区になったところ。ここまで足を伸ばそうと走り始めたが、もう道路は完全に雪。

暗いところではすでに凍り始めているし、坂が多い。この辺の道路は環境保護の観点から「通過型道路」として沿線に新たな施設を作らない決まりだから、車に何かあったり、例えば坂が登り切れなくなっても助けはない。と、突然エゾシカの群れが現れる、最初は4頭程度だったのが進むにつれて増えてくる。おそるおそる近寄ってカメラを向けてみるが、意外に人なつっこい。こうしてたまに鹿に出会うとなんて可愛い、と思ってしまうが、これが現地の街にとっては結構厄介だそう。特に冬の知床にはエゾシカたちの食料が減って、集落進出や、農産物の被害も増えて大問題なのだという。幸い銃器による駆除は効果が期待できないという理由から断念され、とりあえず集落にフェンスを張り回すことで対処することになっている。ここには他にキタキツネや、エゾクロテン、エゾタヌキ、エゾリス、さらにヒグマまでフツーに生息していて、人間と動物の共生の姿が直に見える。知床連山も完全な雪景色で青空にまばゆく輝いている。夏には知床岬までの観光船もある。さて、ここまでは嬉しい知床を楽しんだが、やはり先に車を進める勇気はなく、断念。もう一度夏に訪れたい。じつはウトロから羅臼までその昔大きな話題になった、知床横断道路がある。ハイマツの覆う高山帯を通過して、知床連山を眺めながら走ることが出来るので人気の道路だが、この横断道路を通って羅臼に出れば、国後も見えてくる。

私は昔知床岬から、国後島を間近に見て、驚いたことがある。晴天の時には向こうの家の屋根まで見えるという近さだ。北方領土返還問題はもうずっと続いているが、この領土問題というのは実に難しい。どう考えてもこの4島(2島ではない)については元々日本に帰属していた島であることは明白だが、歴史に翻弄されてまだ解決の糸口もない。2005年7月にヨーロッパ議会が「極東の関係諸国が未解決の領土問題を解決する2国間協定の締結を目指すことを求める」とし、さらに日本韓国間の竹島問題や日本台湾間の尖閣諸島問題と併記して「第二次世界大戦終結時にソ連により占領され、現在ロシアに占領されている、北方領土の日本への返還」を求める決議をした。これが日本の議会では何も採りあげられないことも不思議だが、以来日本の政治の弱体を見据えてメドベージェフが2010年11月1日にこの国後を訪問してまたまたこの問題を巡っての解決を難しくしている。メドベージェフの後ろにいるプーチンは、なんとか1956年の日ソ共同宣言での2島返還で最終決着を図りたいと言うのが本音で、その駆け引きでメドベージェフを送り込んだのは間違いないところだ。いずれにしても、2009年2月に麻生首相時代にメドベージェフとの会談で領土交渉に明るい光が見えたかと思ったそのすぐ後の7月、「北方領土問題等の解決の促進のための特別措置に関する法律」を改正して「我が国固有の領土」とあえて明記して怒らせるなど、まさに交渉下手な日本外交、というより、この国のトップがこうコロコロ変わっていては世界が好き勝手に翻弄してくるのは当然だ。

領土問題というのは、本当に難しいが、いつかは解決しないと、それに引きつられて国民感情が右往左往するのは決して良くないことだ。が、歴史を無視して性急に解決するのも危ない。

アルゼンチンのマルビーナス(フォークランド)も、今年4月2日にあの82年の開戦からから30周年を迎えるが、イギリスは今年2月初め、フォークランドに最新鋭の駆逐艦と原子力潜水艦を配備して、アルゼンチンを挑発した。アルゼンチンはアルゼンチンで昨年の第42回メルコスール首脳会議で、アルゼンチン沖の英植民地マルビーナス諸島(英名フォークランド諸島)の旗を掲げた船舶のメルコスール域内の港への入港を禁止することを決める事に成功した。米国務省からも「同諸島におけるイギリスの行政監督権を認めるが、主権に関して判断する立場にない」と言う声明を引き出した。しかし、これも双方とも再び開戦できない事情があることは承知の上での、対国内向けのパフォーマンスに違いない。イギリスは財政難から、現在あの時に活躍した軽空母の戦闘機も攻撃機もすべて退役させているし、ユーロ危機や国内の高い失業率、さらにはスコットランドの独立問題に頭を抱えている時だし、アルゼンチンだって、異論はあるものの20%に達する消費者物価の高騰、それに伴う社会保障などの大幅な削減を迫られている時だ。去勢を張るのには訳があるわけで、どうも領土問題を真摯に解決する時代は世界的にまだ来ていないのかも。あの82年の開戦はといえば、当時アルゼンチンの統治能力の全くない軍事政権が、まさに国民の目を眼前の問題から逸らそうと、大昔からの懸案を引っ張り出してきて起こした戦争で、馬鹿馬鹿しく簡単に敗戦となった。でもあれがきっかけで、南米諸国の民政化が始まったのだから、ある意味歴史的な戦争だった。

それとは別にあの名古屋市長のいかにも軽率な南京発言と言い、日本の政治家たちのやることは、いかにもデリカシーに欠ける。国内問題に関してもそうだが、外交問題に関してはもうどうしようもない。もう少しましな体制は何時になったら出来るのだろうか?

ウトロからの帰り、運転しながらこんな事を考えて、何だかこの日の感激を忘れそうになった。ただ、国境問題は人為的なもの。違う人間が勝手に境目をつけるわけだ。北方4島だって北海道だって、元はと言えばアイヌが住んでいたわけで、それは4島に自国民を移住させているロシアの側から見たって同じこと。ロシアもこの際ムキになって乱開発などせずに、とりあえず自然保護だけは守っていって欲しいものだ。

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