コロナ騒ぎの裏から覗けるいろいろな人間性!!!

 先の見えないコロナ禍の中、日本中に巻き起こる悲鳴はさらに大きくなっている。誰が見ても早すぎる緊急事態宣言の解除。普通に誰が考えても、阿部の頭の中は「これ以上続けていたら、補助金、助成金が限りなく膨らむ、それではオリンピックどころかすべてが立ちゆかなくなる。潰れるところは潰しても自分を守る」という風にしか見えない。このところ危機の度に自分が表に立った振りをして評価を上げてきた安倍政権だが、今回はその対応を巡ってどうにも立ちゆかなくなってきた。もうやけくその一手として、自分の犯罪だけは追求されないよう打ち出した最後の一手が黒川検事長を巡る、検察官の定年引き上げを盛り込んだ検察庁法改正案だ。しかし、この時期に、しかも「政権の守護神」と呼ばれる黒川氏の検事総長実現に向けての定年延長案、誰からも支持されないこの条項を付けたもので、今日、ようやく今国会での実現はなくなった。

por yohoo news

 黒川氏の実力を評価する関係者も多いが、「官房長時代の14年10月には経産大臣の小渕優子、16年1月には経済財政政策担当特命大臣の甘利明に、事務所の不正経理が明るみに出る。さらに事務次官時代の17年から18年にかけ、森友学園の国有地取引や加計学園の獣医学部設置を巡り、政権を揺るがす事態が続いた。加計学園では文科大臣の下村博文の裏献金疑惑が浮上し、森友学園では財務省の役人たちによる公文書の改ざんまで発覚する。ことに森友事件は市民による背任容疑の告発を受けた大阪地検特捜部が捜査に乗り出し、捜査渦中の18年3月、近畿財務局の職員が自殺した。つい先頃、当人の遺書が発表されたのは記憶に新しいところだ。これらの事件は、いずれも検察が捜査に乗り出している。しかし、捜査は政権中枢どころか議員本人にも届かなかった。」(文藝春秋)—「官邸の門番」たる所以だ。この黒川氏を実力者と認めるには、今となってはあまりにもダーティなイメージが強すぎる。本当は、黒川氏の方から辞退するのが一番良い結末になったような気がするのだが。

 もともと検察庁改正は、与野党揃って賛成できる少ない案件だが、何故今?は誰の目にもわかりやすすぎる。それを感じない鈍感さは、いくつもの修羅場を黒川と言う友を得てくぐり抜けてきた阿部に自然と身についてしまった結果なのだろう。しかし、問題は、とりあえず「今国会を先送りしただけ」だ。秋の国会で邪魔な管とか二階派、古賀派、その他反阿部たちを完全に切って、再び同じ法案を通そうとする可能性もある。わが国民は、他に心配事がないと、意外とは簡単に問題を忘れてしまうから。

 さて、日本の政治も問題だが、弊社にとっての仕事は、我々は勿論、必死で会社のために頑張っている社員達にとっても一大事だ。日本の感染率は少しは落ち着いてきたが、余りに早すぎる緊急宣言解除の動きに、はっきり言って不安を増大させている。日本に第二波、第三波が来てしまったら、それこそ今年予定している企画もすべて潰れてしまうし、それでなくとも、南米の当該国は、一つは南部で感染者が増大しているから空港閉鎖は何時になるのか全く不明だし、もう一つは元々デフォルト目前だったのにこのコロナ騒ぎ。なんとか欧米の債権者達に示した返済条件が通れば少しは安心だが、それが通らない可能性だって大きい。そうすると、過去の教訓からして、中国の魔の手に手を染めるか、デフォルトだ。今のところテクニカル・デフォルトで済んでいるが、いずれにしてもどの場合も綱渡りのようなもの。内も外も、この緊張感にいつまで我が老体が耐えられるか?しかし、これはほとんどの企業が直面している問題だし、投げ出したところでなんの解決にもならない。せっかく、次世代へのバトンタッチにあと少しの所まで来たのに…が実感。

 さて、件のアルゼンチンタンゴ・ダンサーのファミリー、昨日電話でウルグアイに帰国が決定した。旦那がコロナに感染し、20日間、女房と子供が友人のマンションに残された。その間、まるで犯罪者のようにみんなに言われたこともあった。あり得ないほど酷い誹謗中傷だ。仲間からも、他のダンサー達からも…。彼としては、確かに感染が広がっているから、余り過激な動きとか、仲間で一緒になって飲み会をやるとかは良くないと言われてきた時だ。海外に来て、仕事もやりにくくなってきて、仲間と憂さを晴らしたい気持ちもあっただろう。だから、彼にも全く責任がないとは言わない。しかし、一日だけ高熱と、気になったのは少しだけ血痰が出て、さすがに彼も気になって私に電話をかけてきた。で、まず、私が日本滞在中に彼らにかけていた保険は、私の仕事との契約が終わってしまっていたので使えない。しかし、彼らは日本の後、アジア、ヨーロッパへの仕事があって、そのために独自で保険をかけてきていた。そこで「まず、その保険会社に連絡を」と言ったらさすがにプロの保険屋だ、すぐにコロナには日本の最高の病院を指定してきた。そうでもなかったらPCR検査もすぐには受けられなかったが、一日おいてすぐに指定された病院に行けることになった。本当のことを言って、その段階では熱も不快なことはとっくに収まっていたが、念のためにと病院に向かったのだが、結果が出るまでに3日ほどだったろうか…その間は我々もまさか陽性になるとは思っていないほど、元気だった。しかし、結果は陽性。驚いた。すぐに病院を指定された。都立駒込病院、最高の指定医院だが、ここに入院となった。後は、毎日検査、検査。最低2週間はそこで検査だ。で、彼は長く日本の仕事をしているから、片言の日本語を愛嬌良く話すものだから、担当の医師もすっかり彼のことを気に入ってくれたようで、恐らく大丈夫。でも他に感染する可能性があるので、2週間は出られない、と言って、毎日検査をしてくれた。その後、彼に住居と簡単な仕事を与えてくれていた友人のビルで酷いことが起こった。別の階にもタンゴの教室があったらしいのだが、そこが「このビルからコロナの感染者が出た」という内容の、彼の写真入りの沢山のポスターをビル中に貼り付けた。更に、そのビルのオーナーにビル全体の消毒を、と注文。別にそうではなくとも、陽性になった以上、保健所が立ち会いの下清掃に入ることになっているのに、だ。

 ビルのオーナーの代理人も困ってとんでもない言いがかり(といって彼も被害者だが)を言ってきたので、私が説明。いくら他の住人からそう言われても、保健所が付き添いで消毒作業をするまではやったところで何の意味もない。指定されたのが次の日だから、それまで待ってやってといったが、ビルのオーナーはその住民の剣幕に堪えきれなく、日曜日に消毒作業をすることに。清掃業者に100万位はかかると脅かされただの、オーナーも苦しい立場だっただろうから、私は他の業者を紹介するから、と言ったら結局はまるで金はかからなかった様子。その頃は、すでにタンゴ教室の練習やミロンガ等は自粛するように言われていた時だ。なのに、すぐ消毒を、という。これはコロナ以前の問題があったに違いない。まぁ、同じタンゴを愛する者同士とは言えない、とても醜い騒動だった。そして、2週間が経って、またPCRの検査が始まった。ところが、体調的には頗る調子が良いものの、なかなかウィルスが消えてくれない。ウィルスがいたからと言って具合が悪くなるとは限らないのだが、病院を出て、家族や他の人に移させるのはまずい。2日おきに検査だったが、なかなか陰性にならない間に、女房と子供はその誹謗中傷に堪えきれず、教えたエージェントを通じて広くて安い物件に移動していた。そして8回目の検査で晴れて陰性に。医師から「今度はコロナは完全になくなったから、もう子供にキスをしても問題ない、と言われたとかで喜んで帰ってきた。それからのコトは以前にこのブログでも書いたが、コロナ感染というのは、どんなに用心してもかかる時にはかかる。感染してしまった人間をそこまで追い詰めるのは、要するに人間性の問題だ。感染者を出した以上それをすぐに発表するべきだ、とか、そんな人間に限って、みんなが酷い状態にあるというのに、自分だけはしっかり多額のボーナスを受け取るような醜い人間ばかりだ。感染した本人も、その友人も何も隠そうとかではなく、どうして良いか迷っていたのだと思う。事態を知って、これはもう発表するべき、と言ったら、逆にその友人もホッとして様子で、喜んでFBに発表したというわけだった。その友人に至っては、単に日本を離れるまでの数日間部屋を貸しただけのはずだったのに、契約相手国が次々とキャンセルになって、滞在が長くなっていたのだから、彼にしてみればとんだ災難でもあっただろう。世の中進んできても、どうもこの手の根の腐った人間たちが増えてきたようにも思う。

 そして、今日の夕方最後の日本を大好きな焼肉で占めることに。友人の店で客は我々だけの広い個室でソシャル・ディスタンスを守りながら、ゆっくりと祝ってやった。今回何度も密の場所(病院とか法務省とか…)で彼らを助けるのに奔走してくれた元社員の伊藤亜矢にどうしても感謝したいとの申し出に応えた形での食事会だった。勿論、我々はその息子は大好きだが、何かで彼に感染させたくないから連れてこないで、ということで日本最後の晩餐を安心しながら迎えられて良かった。じつは、この帰国劇を援助してくれた二つの国の大使館の対応は天と地ほど違っていた。このことについては、今書けないので、いつか触れたいと思う。この世の中、さっきのような酷い人間ばかりではない。海外には、心優しい役人もいるものである。たった2人の行為で、その二つの国を比べてはいけないが、今までに漠然と感じていた両国の国民性をはっきり見る結果になった。日本、今回のコロナ騒ぎで見せている政治家と役人の所作を見るにつけ、もっとまともになって、というより普通の感覚を持ち合わせた人間になって欲しい、と心から願うばかりだ。