カティアとの打ち合わせ

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マナグアの街中で

昨年ここにやってきた時にはベネズエラのカラカスから直接(といってもパナマ経由だが)マナグアに入った。カラカスと言えば、今では世界でももっとも治安に問題があると言われている都市で、緊張してから入ってきたからかなんだか安堵した気分になっていたが、とんでもない、このマナグアはカラカスがああなるずっと前から危険な街だ。大体、昼間でも道を歩いている人間が少ない。強盗の話もよく聞く。それで、昨夜はマネージャーのアルバロの車で夜のマナグアを散策することにした。時間が時間だったのでアルバロの奥さんも招待して食事もすることにした。

 

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命の木

とは言え、このマナグア、1972年の大地震で街はほぼ壊滅的な打撃を受けて以来復興は遅々としてあまり進まない。でも、今のオルテガ大統領(あの養女へのセクハラで有名にもなった)が政権に復帰してなかなかよくやっていると言われている。で、ネットでマナグアの街の観光で一番最初に出てきたサルバドール・アジェンデ港という、ベイ・エリア開発地区に行くことに。マナグアの街には至る所に「命の木」(アルボル・デ・ラ・ビーダ)と呼ばれるオブジェが建っている。特に夜になるとその木にカラフルな色が入るから美しい。聞くところによると、オルテガの今の夫人で、情報戦伝送をつとめている詩人のロサリオ・ムリージョの発案でマナグアの街のエンブレムとして始めたのだそう。マナグアと言わず、ニカラグアはエネルギーのインフラが極端に遅れているから暗い。そこで「光」の有り難みを国民に訴えようとでもしたのか、とにかく目立つ。特に最近開発されたアジェンデ港に近づくとますますオブジェの数が増えてくる。中には同胞だったベネズエラの故チャベス大統領のと命の木が一緒に輝いているものも現れた。ベネズエラ、ニカラグア、エクアドル、ボリビア、ブラジルの左派政権は確かにタッグを組んで援助し合っているからなのだが、エネルギー不足の国民には奇妙にしか写らないのではないか、と感じたが、アルバロに言わせると国民の大半がこの「木」を快く思っていないのだそうだ。

 

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マナグア湖畔
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アジェンデ港のカテドラルのミニチュア
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マナグア旧市街のミニチュア
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ルベン・ダリオの博物館にある絵
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ルベンダリオ博物館の時計

さて、サルバドール・アジェンデ港。肝心のチリでは左派系の政党支持者以外にはあまり騒がれなくなっているアジェンデだが、こうした左派の国々では圧倒的に人気がある。で、アジェンデよりも選ぶべきアイコンがたくさんありそうなのに、この名前がついた新開発地域へ。この地域は、地震前には市街地の中心だったらしいが、倒壊しなかったのは今もあるルベン・ダリオ国立劇場と、旧カテドラル(ここは倒壊の恐れがあるとかで現在は入場を制限されている)、あとはわずかな建物だけ。その地震でこのマナグア湖の岸に膨大に積み上げられた廃棄物を埋め立てて作られたのが新しいマレコン地区のこのアジェンデ港という訳 らしい。アルバロがまず連れていってくれたのはアジェンデ港の中の旧市街をそのままミニチュアにして作って展示してあるところ。お世辞にも欲でいているとは思えないが、あの地震を体験した老人たちはここにやってきてきて昔を懐かしみ、涙を流す人さえいるという。日本では、こうした被災者たちの心に訴える復興作業はあまり耳にしないが、マナグアではこうしてミニチュアにして記憶を残しているわけだ。アルバロが面白い話をしてくれた。このカテドラルもルベン・ダリオ劇場も、被災しなかった建物は全部日本の技術で建てられた建造物だけとか。劇場に日本の援助があったのは聴いたことがあるが、その他の真意は定かではない。
次に、このニカラグアを代表する詩人ルベン・ダリオのレオン市の生家付近を忠実に再現した記念館。ルベン・ダリオは、19世紀のラテン・アメリカで最も偉大な詩人と称される。革命の英雄アウグスト・サンディーノと並んで国民的な英雄となっている。しかし、ここから車で1時間少ししか離れていないあの美しいレオンに本物があるのに何故?との疑問も湧くけれど、まぁ大統領夫人の発案だから。そして、いよいよ日本のベイ・エリアの再開発に似たなんだか安っぽい(世界の若者がこんな薄っぺらな街作りに騙されているかと思うと可哀想としか言いようがない)、レストランやバーが建ち並ぶ地区に。道端にプラード博物館とあるから何かと思いきや、プラードのベラスケス等の作品の写真を展示しあるだけ。どうせ金持ちの息子たちが粋がって遊んであるだけかと思いきや、結構地元の市民や観光客には親しまれてきているようだ。

この港にアルバロ夫人がやってきていよいよ食事へ。何かニカラグア的なものと言ったが、アルバロが「まだ行ったことがないペルー・レストランがあって美味いらしい」というのでそこに向かった。La Terraza Peruanaという店。セビーチェとか、パエーリャ風のものを食した。美味いが、何故マナグアでペルーなのか…。そういえば、マナグアにやってきて入ったレストラン、わがホテルの中にあるニカラグア一の日本食堂「京都」と、最高のステーキ・ハウスという「ドン・カンデイード」と、ニカラグア料理のレストランにまだ入っていないことに気がついたが、後の祭りだ。

 

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カティア・カルデナル

翌日、朝10時、ホテルにカティアがやってきてくれた。「前回の撮影で本田がミュージシャンのレベルが低いと怒っていたと言うから最高のを用意した」とラス・クネータを選んだことを誇ってきた。しかし、その通り、ここまで一気にレベルが上がるんだ、と感心する。カティアと言えばニカラグアの国民的歌手だから、選ぼうと思えば誰でも選べるらしい。だったら、前回から揃えてくれと言いたいところだが…。カティアはノルウェー人と結婚して2度ほどノルウェーに住んだことがある。その時にノルウェーの民謡を歌って録音したところ年間のベストセラーになったことがあるらしくノルウェーでも有名人だ。その後、2007年にニカラグアのフォルクローレを録音したが、その時に選んだのがこのラ・クネータの面々だったそう。彼らはその後、すぐにクネータを結成してサンフランシスコへ。そして知り合ったのが昨日も書いたグレッグ・ランドゥ。彼はマリンバを駆使したり、ラップが飛び出したり、クンビア, ロック, スカ, ラップ, ジャズ, ルンバ・コンゴレーニャ, メレンゲ, パンク, レゲエ, ファンク等の要素をごちゃ混ぜにした、ととにかく彼らのユニークで面を最大限に破棄させたアルバムを創り上げた。これが2016年のグラミーにノミネートされた「モンドンゴ」だ。今や世界はもちろん日本のアンテナの高い連中から既に愛されている若いグループ。メンバーは:

Ernesto Matute López (batería y timbales), Omar El Profesor Suazo (guitarra), César El Puma Rodríguez (teclados), Carlos El FrijolGuillén (voz) y Augusto El Negro Mejía (bajo).

 ただ、ドラムのエルネストは今はクネータを抜けている。あのニカラグア解放戦線(FSLN)のテーマ・ソング「サンディニスタ賛歌」の作者で世界的にも知られているカルロス・メヒア・ゴドイの甥も二人入っている。まぁ、ニカラグアの代表的な血が詰まった連中によるステージができあがりそう。ヨーロッパ公演中の彼らと細部まで話していよいよ実現の運びとなった。楽しみである。

 

ところで、日本から悲しいニュースが届いた。あの青山のCAYでオープン当時から東京の新しい音楽ムーブメントを牽引してきた宮川賢左衛門、通商ケンさんが亡くなったらしい。亡くなったらしいとしかわからないが、一体何が起こったんだろうか?音楽家だけでなく、音楽の新しいムーブメント作りに貢献してきた人たちもいなくなるのはどうにも寂しい。誰かもっと情報がある人、是非送ってください。