ブエノス到着、いろいろなニュース

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Hotel The Brick

マナグアからマイアミ。マイアミでの入国もESTAのおかげで楽にできてマイアミではラウンジでゆっくりできた。で、ブエノスへの機中もほとんどぐっすり眠れたおかげでブエノスには順調に到着。で、以前泊まって気に入っていた予約していたオベリスコのすぐ近くのホテルNovotelに入ったが、ネットがどうもマックに相性が悪くうまくいかない。当然文句を言ったら、おなじチェーンの最高級のホテルHotel the Brick BsAsを用意された。昔のシーザーズ・パークで超高級のところ。文句は言ってみるものだ。

 

President Obama dances the tango during a state dinner hosted by Argentina's President Mauricio Macri in Buenos Aires. REUTERS/Carlos Barria
President Obama dances the tango during a state dinner hosted by Argentina’s President Mauricio Macri in Buenos Aires. REUTERS/Carlos Barria

ブエノスアイレスは、オバマがこの間来たようにUSAとの関係も大きく改善したから今後は経済も良くなるだろうが、まだ前政権の失政の影響で給料上がらず、インフレが続いてまだまだ成果が現れていない。政府の読みとしては6月頃からはインフレも収まるからそれまで我慢と言うことらしい。が世相は今のところ盗難事件が勃発するなどかなり悪化している。親しくしているロンバルディ大臣とは4日にアポイントが取れ、会うことになった。その辺の事情もじっくり聞いてみたい。日本からもみじ饅頭と日本酒うぃ持ってきてやったから楽しい再会になりそうだ。彼は今度日本にやってくるミチェッティ副大統領とはかなり親しいので来日するかと思っていたが、今回は一緒に行かないとか。

 

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オラシオ・フェレール像とガブリエル・ソリア会長

で、一休みしてパソコンをいじり始めたら嬉しいニュース。オラシオ・フェレール亡き後を継いで国立タンゴ・アカデミーの会長に就任しているガブリエル・ソリア氏は、弊誌ラティーナにも連載してもらっているが、その彼が今度は毎年8月に開催されているタンゴ・フェスティバルのアーティスト・ディレクター兼世界遺産タンゴの街過去、現在、未来のディレクターに就任することになった。国立タンゴ・アカデミーには年齢的にオラシオ・フェレールに近い仲間もたくさんいるが、ガブリエルは若くしてフェレールが副会長に指名していたとおり、タンゴ全体へ知識も豊富だし、なにしろ歴史をビデオやCDに収録して残すなど行動力も抜群で誰からの信頼も篤い。アカデミーは国立の名はついているものの、実は国からの援助は少なく、フェレールが印税その他をつぎ込んで経営してきたのが実情。だから、フェレール亡き後、ガブリエルは相当な緊張感を持って博物館の整理をしたり、コンサートを主催したりと忙しく動いてアカデミーを支えている。今までのフェスティバルでも彼の知識やアカデミーにある展示物、更に彼自身の講演など惜しみもなく持つものすべてをつぎ込んでくれていた。昨年で市長も代わり、体制も一変した今、じつはこのアート・ディレクターの職には何人もの人間たちが手を挙げていた。私も関係者から意見を求められたが、彼の名前が出てきたから、もちろん「彼の他にない」と薦めてきた。私もいろいろなタンゴ人たちと付き合って13062288_1174494799251175_2319055390018636358_nきただけに、アーティストの裏の顔も結構知っているから、そんな情報も提供していた。今回は、そんなこともあって少し前からこの人事を聞いていたが、まだ最終決定ではないから、と伏せるように言われていた。フェスティバルのディレクションというのは、どうやっても常に反対勢力が生まれる非常にストレスの多い仕事だ。彼は、しかし、あの万人を惹きつける柔和な顔とは別に、実は非常に意志の強い人間だ。ある意味、ブエノスアイレスのタンゴ界にとってはアカデミー以上の影響力のある仕事かもしれない。その位置に彼が就いたことは本当に嬉しいニュースだ。今回も必ず会って、祝いの言葉でもかけて行こうと思う。

 

_DSC9046弊社から、宇戸がGWを利用して2日前からこのブエノスに来ている。毎月ブエノス担当で雑誌の編集をしていて、ブエノスの音楽情報を直接に知りたいという思いは強かった男で、到着すぐから精力的に働いているよう。まぁ、短い滞在ではやることに限りはあると思うが、学生時代1年間過ぎSたと頃でもあるし、メキシコ大使館に勤務していた時代に、あのオリンピック決定の発表の場にはメキシコから応援を任されてやってきていた人間だ。ブエノスアイレスには今まで何人かの社員も連れてきたが、彼の場合来てからほとんどまずに(いろいろなジャンルの)音楽人と会っているよう。私も若い時はかなり動き回った方だが、彼のこの行動力もなかなかと思う。一つ一つの動きが必ずや肉となっていく。この後はウルグアイに潜入して帰るようだが、頑張れ!宇戸!!!

 

_DSC9048 さて、一応老体なので、とりあえず一眠りして夜のブエノスに出掛けてみた。最初はとりあえずホテルの近くをと思い歩き始めた。事前に調べてきた気温よりもかなり寒い。南半球はこれから冬に向かっていて、日本で調べた時には、ちょうど現在の日本と同程度だったからそれより少し厚着の用意はしてきたのだが、それよりもずっと寒い。この前のニカラグアは最低気温でも23度前後、最高気温は軽く30度を超える。美しく、しかも文化的な街レオンをまた訪れたかったが、ニカラグアでも今が最も暑い地方で毎日40度を超す気温になっているから、みんなに今は辞めた方が良いとアドバイスされ断念したほど。結局、ホテルに戻り車で繁華街へ出掛けることにした。

_DSC9049そして、ブエノスアイレスは、今まさに冬に向かう。昨秋あたりから寒さが本格化したようで、最低4度、最高17度。夜街に出掛けた頃は、ほとんどの人が完全に冬支度だった。しかも、街全体はかなりおとなしめに見えていたが、コリエンテス通りとモンテビデオ通りあたりのパセオはもの凄い人だかり、周りのレストランも列ができるほどの混みようだった。恐らくこことかパレルモあたり、さらにプエルト・マデーロあたりは人でごった返していたに違いない。かなり寒さ対策をしてきたはずだが、少し足りなかったかも、と反省中。