コロナ対策の初動失敗は許されない。もう犯罪だよ。

 新型コロナ禍は先が見えない大変なことになっている。家にいることを要請されているから、どうしようもない。で、しょうがなくTVを見るが、何処も彼処も同じニュースばかり。しかも、わかりにくい話ばかり。今や弊社だけでなく、日本中の企業が全部危機に陥っているというのに、何も変わらない。で、質問したいが電話は繋がらない、サイトに辿り着けない。政治家も、「専門家」も言うことはバラバラだし、聞いてもどうしようもないことばかり。要するに日本は、世界に比べても医療器機さえ数が圧倒的に揃っていないから、国民が頑張って家にいながら接触を避けていても、検査していない国民がたくさんいる。あの自治医大の尾見とかいう医師だろう?最初に感染者の数は放っておいて、感染者の数を増やせば、免疫ができて自然に感染が止まっていくと言ったのは。俺はどこかの番組でその発言を聞いている。WHOの偉いさんをやっている大物らしいが、つい最近になって「私はPCRを増やすよう政府には最初から言っていた」とは言っているらしいが…….人間悪そうには見えないから、余り言いたくないが、命を守る時に人の良い悪いは関係ない。さらに、馬鹿な政治家は最初、その「専門家」のその意見を聞いて、すべて感染を抑えるのに失敗してきた。

“コロナ対策の初動失敗は許されない。もう犯罪だよ。” の続きを読む

東京タンゴ祭2016

浅草公会堂での東京タンゴ祭2016が昨日終了。今回はスペシャル・ヴァージョンと言うことで、韓国、台湾、フランスのタンゴ仲間も加えて、どちらかというと若向きのタンゴ・グループが中心だった。

まずは仁詩の主宰するキンテート・ヴィルトゥス。仁詩はいくつかのスタイルのバンドをやっていて、毎回話題の多いタンゴを披露してくれているが、このヴィルトゥスはいわば、仁詩の最も大事にする本格的グループ。須藤信一郎 (ピアノ) 高杉健人(ベース)仁詩(バンドネオン)田中庸介(ギター) 水村浩司 (バイオリン)メンバーそれぞれが立派なキャリアを持っているし、実力者揃い。仁詩は京都出身だが、現在は東京を中心に全国で演奏活動を続けている。この日は、その実力を存分に発揮したステージになった。
1.ポル・ウナ・カベーサ(首の差で) 2.カナロ・エン・パリス(パリのカナロ) 3.ロス・マレアードス(酔いどれたち) 4.コンフェッティ(紙吹雪)仁詩・作曲 5.コンシエルト・パラ・キンテート(五重奏のためのコンチェルト=ピアソラ)

次に韓国のコー・サンジ・バンド。コー・サンジは韓国出身で、バンドネオンを小松亮太に師事。東京バンドネオン俱楽部公演と、小松亮太のユニットに3 年間参加。日韓を行き来しながら4 年間学んだ後にブエノスアイレスでフェデリコ・ペレイロとネストル・マルコーニに師事。2011 年オルケスタ・エスクエラ・デ・タンゴ・エミリオ・バルカルセを卒業し、ブエノスアイレス市のイベント、フェスティバル、ミロンガ、国立図書館などで演奏。韓国から来日するKoh Sangji(Bn)、Moon Seok Choi (Pf)、Jongsu Yoon (Vn) 、Dongmin Kim (Gt)の4 人に日本を代表するベーシストである田中伸司(Cb) が加わった。
彼女は今までにも何度か来日しているが、自信のバンドでの来日は初めて。みんなが期待していたが、その期待に違わない演奏を聴かせてくれた。日本のアニメ・ファンと言うとおり、自由な発想のエレクトリック・タンゴでオリジナル作品が中心のステージだったが、ピアノを始め、メンバー全員が湧き上、実力者揃い。最後のチン・チンでのピアノ・ソロには会場中が喝采の嵐。ダンスの世界もそうだが、韓国には日本のような昔のタンゴ・ブームがなかったから、「これはタンゴではない」とかの批判もなく、新しい音楽としてタンゴが評価されるから若い層にそのまま浸透していく羨ましい環境だ。
1.Ataque(アタケ)コー・サンジ作曲 2. Raindrops in the roomコー・サンジ作曲
3.Road Bike コー・サンジ作曲 4.無限のユピ コー・サンジ作曲3:30
5.成層圏 コー・サンジ作曲 6.Evangelion medly (エヴァンゲリオン・メドレー)鷺巣 詩郎Sagisu Shiro作曲 + 出撃コー・サンジ作曲 7.Chin Chin(チン・チン)

早川純は東京芸大を卒業後、バンドネオンを小松亮太、西塔祐三、M.バルベーロ、J.J.モサリーニに師事。03、04年にタンゴ界の重鎮L.フェデリコ等の日本公演に参加。小松亮太オルケスタのメンバーとして南米4カ国で演奏。12年、13年に国際アコーディオン・コンペティションでそれぞれ3位、特別賞入賞。ネオタンゴ・ユニットTango-jackを主宰。14年に菊地成孔のユニットメンバーとして、日本国内最大のジャズイベント「東京JAZZ」に出演した後、フランスに渡り活動しているが、今回、フランスで組んだトリオでの来日。早川純(Bn)、久保田美希(Pf) と、フランス人ベーシストのレオナルド・テルージによるタンゴ・トリオ。それぞれのフィールドで音楽家としてのキャリアを積んできた3人がパリで出会い、互いの音楽性や才能に惹かれあう形で、2015 年の春に結成。早川とテルージの作・編曲によるレパートリーは、タンゴ本来の情感やエネルギーを色濃く湛えながらもモダンであり、伝統的なポピュラー音楽としてのタンゴの枠を超えた、芸術音楽としてのタンゴの再評価を目指している。早河はもちろん、ピアノの久保田、ベースのテルージも、素晴らしい演奏を聴かせてくれた。

1.ディビーナ J.モラ作曲 早川純編曲 2.アサバーチェ 早川純編曲 3.インボルシオネス  レオナルド・テルージ作曲 4.クエントス・グラーベス  レオナルド・テルージ作曲 5.リベルタンゴ  アストル・ピアソラ作曲 早川純編曲

オルケスタ・アウロラは、メンバーそれぞれの活動が忙しく、なかなか全員が揃うのが難しいが、この日はメンバー全員が集合した。前回はなかなか意欲作ばかりを並べたが、やはりもう少しタンゴ祭の客層に合わせた聴きやすい曲をやろうと反省したこともあって、今回は、いかにもタンゴ、というラパートリーが並んだ。演奏はさすが、非常にリズミックでダイナミックな演奏が鳴り響いた。毎回毎回アウロラは確実に進歩していると思う。しかし、全員が忙しすぎるのと、私の方もなかなかゆったりとそんな気分にならなく録音もままならない。そろそろ新録もとは思っているけれど….。リーダーのひとり、会田桃子は韓国や、台湾に招待されて結構アジア諸国仁摩伝送活動を広げているが、その中で、台湾にももの凄く巧いバンドネオン奏者がいるという。そこで今回はそのバンドネオン奏者を呼んで一緒に演奏してもらうことにした。ヨーロッパのバンドネオン・コンクールで優勝した経験もあると聴いていたが、確かに。バロックをやっても3声のどれをもしっかりと音が繋がって素晴らしい演奏になりそうな、凄い演奏家だった。名前はウー・ヤン・ラン(通称Mark)。自身も台湾で金テーとを持っていて、それもなかなか素晴らしいらしいから、今度機会があったら聴いてみたいと思う。今回はアウロラのバンドネオン奏者の北村君が他のコンサートの関係でリハもサウンド・チェックもできないというので、アウロラの6曲の間に2曲をアウロラと、1曲は「カミニート」をソロでやってもらったが、素晴らしかった。

青木菜穂子(ピアノ)東谷健司(コントラバス)会田桃子(バイオリン)吉田篤(バイオリン)北村聡(バンドネオン)鈴木崇朗(バンドネオン)ウー・ヤン・ラン(通称:Mark、バンドネオン)

アウロラ(1. カナロ・エン・パリス(パリのカナロ)2. トダ・ミ・ビダ(我が全人生)アニバル・トロイロ作曲  3. バルス・デル・ベルデ・ヌエボ(新緑のワルツ)青木菜穂子作曲)

with Mark (4.  トダ・ミ・エスペランサ (私の希望のすべて)会田桃子作曲 5. エル・チョクロ アンヘル・ビジョルド作曲 6. カミニート (バンドネオン ソロ )フアン・デ・ディオス・フィリベルト作曲)

アウロラ( 7. ポル・ラ・ブエルタ(再会を祝して) (会田歌)ホセ・ディネリ作曲、エンリケ・カディカモ作詞 8. エル・ディア・ケ・メ・キエラス(想いの届く日)カルロス・ガルデル作詞、アルフレド・レペラ作曲 9.シウダー・トゥリステ(悲しみの街)オスバルド・タランティーノ作曲)

そして最後はそそしそしてそしてそっっっdっっxそそして、トリはいつもの通り京谷弘司さんのクアルテート。その昔、早河真平さんも藤沢嵐子さんもご存命だった頃、日本のタンゴ界ではピアソラはどういうわけか嫌われていたが、私はこの京谷さんとピアソラの1点で意見が一致して、依頼仲良くさせて頂いている。バンドネオンがディアトニックではなく、クロマチックだからどうのこうのと言う人はいるが、大体そんなことを言ってるのは音楽がわかっていない輩の言い分だ。実際、アルゼンチンのアーティストたちに並べて聴かせれば、筐体にさんの演奏は一番評価されている。今回もいいとこ一人取り、の演奏だった。

京谷弘司(バンドネオン)淡路七穂子(ピアノ)田辺和弘(コントラバス)吉田篤(バイオリン)

1.スール(南) アニバル・トロイロ 2.マルガリータ・デ・アゴスト (8月のマルガリータ) ラウル・ガレーロ 3.シエンプレ・ア・ブエノスアイレス(いつもブエノスアイレスに) 京谷弘司 4.レコルダシオン (回想) 京谷弘司 5.カナロ・エン・パリス (パリのカナロ) アレハンドロ・スカルピーノ 、 ホルヘ・カルダレーラ 6.アディオス ノニーノ(さよならお父さん) アストル・ピアソラ 7.ベラーノ・ポルテーニョ(ブエノスアイレスの夏)アストル・ピアソラ

今回は、いつも人気の小松真知子さんの楽団は同日にコンサートが重なったために参加してもらえなかったり、学生の早稲田も、近くに別なコンサートがあるからと言うので外れてもらったが、まぁ、なかなか質の良いタンゴ祭になったと思う。途中で今回のメンバーとも話していたのだが、客層に若い人間たちがいない。これがつらい。例えば、韓国や台湾では昔の日本のタンゴ・ブームみたいなのが存在しなかったから、若いグループの演奏そのものが評価されると、若い層が飛びついてくるのに、日本では「タンゴは古い人たちの音楽」みたいになって、なかなか若い層に聴いてもらえない。昔、小松亮太やダンス仲間が、なんとか若い層にタンゴを聴いてもらいたいと言うことで、年齢制限をしたことがあるらしいが、気持ちはよくわかる。若いファンが会場に行くとほとんどが老年層だと、音楽の亡いようにかかわらず、どうも次回は現れないという。このタンゴ祭も、老齢のファンに来て頂けるの嬉しいことなのだが、なかなか若年層のファンに来てもらえない。特に今回はどちらかというとじゃ浮く年総務機だったから、残念だった。ダンス・ファンはまだ若い層に支えられているが、同じような問題を抱えている。なんとかこれを脱皮しないと、タンゴはやがて、となってしまいそうで怖い。

 

タンゴダンス世界選手権のアルゼンチンへ

dsc_8287
マネージャーのヒルベルト氏と弊社担当の宇戸
dsc_8296
マリンズ・スタジアム

前回の選手権終了からまたしばらくHPへの書き込みが滞ってしまった。ここに至るまで、マイアミとアルゼンチンへの短い旅をこなし、日本で忙しくしていたら、もう一度今回の旅となった。前回は、この10月にやってくるベネズエラのグアコとの打ち合わせでマイアミに、それからある政治家の依頼でブエノスアイレスの大使公邸でやる特別ミロンガに続いて、アルゼンチンの政界、文化関係者との謁見の手配が主な仕事だった。グアコとの打ち合わせは、マネージャーとの打ち合わせでは非常にうまくいくのだが、そのマネージャーとスタッフが出てくるとなかなか話が複雑になって頭がいたいところだが、大体の結論は出してきた。

で、ブエノスアイレスでの特別ミロンガの方は、在ブエノスの日本大使、関係者との話も順調で帰国した。が、帰国した翌日の朝、TVを観てびっくり。その政治家がなんと今度は閣内に入ってしまった。私は、自分の仕事に政治も何もないようにしている。その政治家の資質で、素晴らしい人ならば、何でもOK。たまたま今回の先生は元元タンゴが大好きで、毎回選手権にも顔を出してくれていたし、何回か食事も誘って頂いたが、店を選ぶセンスも素晴らしいし、どんなに仲間がたくさんいても「今日は俺が招待したのだから」とすべて自分が支払ってくれる。まぁ、東大出てからアメリカの大学でも勉強した人で、英語も堪能、趣味も半端ではない。選挙で押しつけがあるわけでもないし、そういう意味でも人間的に非常に尊敬できる人だ。だから、そろそろ大臣か、と思っていたら本当にそうなってしまった。大臣になると、簡単に海外に行けるわけではないから、当然今回のミロンガは中止になったが、日本アルゼンチン友好議員連盟の会長も拝命されたから、今後アルゼンチンに行く機会がないわけではない。今回は「中止」の連絡を各方面に連絡して謝ったが、概して「おめでとう」の言葉が並んだ。動きが徒労に終わったけれど、嬉しい」中止であった。先生にはますます頑張って実際に頑張って頂きたいと思う。

 

さて、実は今回もう一人弊社のおつきあい頂いている会社のトップもアルゼンチンに行くことになっていた。前回の旅は同時にその方の謁見の作業も進めていたのだが、今回直前になって病気でこちらも行けなくなった。悪いことは続くものだが、こちらは急遽代役の方が行く事になって、アレンジしてきたことは無駄にはならなかった。で、今回の旅では、将来の企画に上がっているコロンビア企画の変更の件もあって、ブエノス〜ボゴタと続く旅になった。

 

dsc_8800
ダラスのダウンタウン。
dsc_8779
狙撃犯とされたオズバルドが狙撃した1階上からみたケネディの乗った車の方向をみる。
dsc_8758
ダラス・フォートアース空港からダラスに向かう電車駅

dsc_8773 今回もアメリカン航空での旅だ。ただ間にコロンビアを入れるためと、急に変更があったためダラスで12時間のトランジットの便しかとれず、なかなか複雑な旅程になった。今朝は5時半起きで10時40分のダラス行きに。大典社員とも半年ぶりの旅。まぁ、12時間だったらダラスとかフォートワースの街でも見学しながら、と思っていた。で、予定通りダラスに着いたが、まず空港発のツアーでもないかと探したが、そんな美味い話はない。とりあえずターミナルAから出ている電車でダラスのダウンタウンへ。考えて見ると、もう何十回とUSAに行っているが、空港の連絡電車以外では、電車は初めてだ。ほとんど客のいない電車に乗って訳40分、目的地に到着。ダラスというからにはとりあえずはケネディの暗殺された「シックス・フロアー・ミュージアム」に向かった。このミュージアムは、とりあえずケネディを狙撃した犯人オスワルドがここから銃を撃ったというテキサス教科書倉庫ビルを残したものだ。6回の狙撃した場所はガラスで囲まれて当時のままの姿に保存されている。また、その階全体で、この事件の概要をつたえるミュージアムとなっている。日本語の音声ガイドがあるのでわかりやすい仕掛けになっている。我々の世代には衝撃の事件だっただけに、なかなか感慨深いものがある。狙撃犯については誰もが疑問を持ってはいるが、2039年に極秘文書が公開されるまでは真相が明らかになることはない。まぁ、何度もTV出見てきた映像よりはダラスの当時の中心地から近かった、と言うことがわかったり、当時の南部のケネディを取り巻く複雑な背景も思い出させてくれたり、一度は行っておいて損のないところだった。

    さて、12時間の旅の後、ミュージアム見学というのは実に疲れる作業だ。他の事はすべて止めて空港に戻り、ラウンジで一眠り。で、起きて予定を確認すると、なんと便が3時間半遅れることが判明。がっくりだ。合計16時間近いトランジットとなった。こうなるんならばホテルでも取って寝るべきだったが、ホテルをとってもこの遅れは予測できない。とにかく疲れるトランジットとなった。

 

で、今回は40時間近いブエノスへの旅となってしまった。今日もいろいろ予定があったが、とりあえずすべてをあきらめて眠ることにした。

今年のアジア選手権評価

dsc_4944大変だったアジア選手権も終わり、いろいろな評価が届き始めている。一番は「海外勢に比べて日本人参加者が少ない、そして特にピスタ部門での海外勢に比べて日本勢の劣勢が酷すぎ」など。私も同感だ。アジア選手権を始めた頃には、圧倒的にステージが選手権の華だった。しかし、ヒロシ&キョウコが世界チャンピオンになってピスタが俄然注目されたこともあって、タンゴダンスの真の醍醐味は「ピスタ」と宣伝されすぎた感がある。確かに、先に知らされていない曲を、その場で聴いて振り付けを競うピスタは大変に奥深いものであることは確かだ。が、ステージの派手な振り付けは圧倒的だし、ソシャルダンスからの転向組が多かった、以前のタンゴダンスの先生たちのせいもあるのだろうか、アジアの近隣諸国に比べても日本のカップルの振りは圧倒的にアルゼンチン感が足りない。リズムの捉え方、今の本場での流行りを何故か近隣アジア勢の方が良く捉えてい_d3s7113る。日本にはかなりの数のアルゼンチン人教師もいるし、日本アルゼンチンタンゴ連盟もできてたくさんの「教師」も生まれてきている。それでいて、昨年に続いて今年もピスタ部門の決勝に残ったのは10組中わずかに1組という惨状は理解できない。果たして日本アルゼンチンタンゴ連盟の役割はこのままで良いのだろうか?「教師」は負けるわけにいかない人々の集団だとしたらこれも情けない。例えば、選手権で勝つことだけがタンゴダンスの目的ではない、という意見には私も賛成だが、選手権があって、アジアから優秀なカップルが来て、タンゴダンスの大いなる宣伝の場であるアジア選手権に出場する生徒にはせめて「勝つ」踊り方くらい教えられなくてどうする? 選手権が終わって、日本タンゴダンス連盟の何人かの先生たちにとこんな話をした。実はみんな同じ感覚を共有していた。来年は出来るだけたくさんのカップルに参加してほしいと思うし、出来れば「勝って」欲しい。このままでは連盟の将来も非常に危ういと思う。

 

_d3s7208さて、アジア選手権に限らず、昨今の公演会場難は酷すぎ。2020年に向けてなのか何が原因なのか知らないが、修理、建て替えが続いて都内の使える会場は本当に少なくなった。特に公的な援助が全くないアジア選手権では公立の安い会場でなければ成り立たないからさらに大変。今回は連盟の先生たちに応援を依頼したところ結構な数の先生た_d3s7172ちがいろいろな形で応援してくれた。やはり、タンゴダンスのプロモーションやタンゴダンスの未来を心配する先生たちもたくさんいるのを実感できた。おかげで来年もなんとか選手権の方も実現できそうだ。

 

アジア選手権の後は、今度は世界選手権。今回はスポンサー筋の一番偉い方が8月に行くためと、タンゴファンの代議士もブエノスに向かい、大使公邸でミロンガを開いてくれるそうなので、その下準備もあって18日からマイアミ経由でブエノスに向かう。8月には世界選手権の録画・取材もあるのでもう一度行くことになるが、そのスケジュールを決める今回は重要。今秋、ベネズエラの超大物グループ、グアコがやってくるために、もっと前からカラカスに行かなければならなかったが、ちょうど7月20日近辺にマネージャーがマイアミに出てくれるというので、マイアミで打ち合わせすることになっている。グアコという大物を決めたのは良いが、スポンサーにとっては大物かどうかはあまり関心がないのか、恐ろしいことに内部の問題から弊社に正しく仕事が決まったのがつい最近。スタッフの手配はなんとか押さえたままにしていたが、ホテルの予約や国内の遂行など難題はたくさんある。今回マネージャーとの打ち合わせは非常に重要になる。昔のレコード会社もそうだが、音楽に携わる業界で、上にいる人間が音楽そのものに興味がない人間だと確実に弱体化する。どんな音楽が欲しいのか、しかもそれが国際的にどのくらいの価値なのかわかっていなければどうやって交渉するのか、私には全く理解できない。まぁ。愚痴はこの辺にして、あと数日で旅に出る。まとめてくること多すぎ。

 

 

アジア選手権最高の盛り上がりのうちに終了!!!

今年のタンゴダンスアジア選手権も無事終了。今年は渋谷駅近くのさくらホールというやや小さめのホールだった。なにしろ今時はたくさんのホールが閉鎖や改築で少なすぎる。しかも、抽選だから大変。しかし、昨年の抽選では何とかここ子を押さえることができた。結果的には、大きさもちょうど良く観客の盛り上がりにもこのくらいの方が良かったかも。

 

_DSC7494毎年出場者の申し込みが直前まで心配だが、今年も大きなストレスだった。昨年からなにしろ海外勢、例えばフィリピン、インドネシア、シンガポール、韓国、台湾、香港からの出場者が急増しているが、今年も出場者の半数は海外勢、しかも申し込みが早かった。逆に日本人の出場者が減ってしまった。特にピスタ部門の方は、昨年もそうだったが、海外勢の優勢が明らかで、それも日本人出場者の少なくなった原因だと思う。日本の方がタンゴダンスの愛好者は圧倒的に多いのだが、悲しいことだ。しかも、昨年は史上一の参加者を得たが、準決勝進出ペアが30組と少なかったために、「レベル」を感じて出場を辞めた人もいたはず。今年は一応半数は準決勝に進出できる計算にしていたが、これで来年は少しは変わってくるものと思う。それにしても、日本にはこのアジア選手権を名義主催してもらっている日本アルゼンチンタンゴ連盟という団体があって、会員は150人くらい入るのだが、そこからほんの一部しか出場していないのは残念だ。先生になると、生徒の手前負けられないという事情もあるのだろうが、それは海外だって同じはず。こんなことでは日本でタンゴダンスが飛躍的に発展なんて事は望めないだろう。来年は日本人カップルの奮起を促したい。

 

もう12年にもなるが、この選手権の運営は簡単ではない。当初は手作業でやっていた採点も、コンピューター処理するようになり、手順で詰められることはかなりやったが、それにしてめまぐるしい仕事が一杯だ。昨年、弊社は社員の入れ替え時期でもあってかなり大変だったが、今年は彼らももう慣れたもので運営的には大分安心してみていられた。親交も通訳もやって、採点も汚い仕事もこなして、運転も、荷物の運びも…弊社の社員のレベルの高さにつくづく感心したものだ。もちろん、いつもほぼボランティアのように手伝っていただいている連盟の皆さんや、たくさんの人たちはなくてはならない重要な戦力で、今回も本当に助かった。

 

19
ダニエル&アレハンドラと9才の息子バレンティン

今回の審査員はアルゼンチンから現地で審査委員長を務めたこともあるクラウディオ・ゴンサレスとフリア・ウルティ、あの「コルポラシオン・タンゴ」のリーダー、ダニエル・フアレスとアレハンドラ・アルメンティの4人。日本在住からエンリケ・モラーレス、クリスティアン・アンドレス・ロペス、エルネスト・ボルゴノボの3人。日本在住の3人は準決勝までの審査とした。審査員の選定はどうやってもいろいろ言われるものだが、今回もなかなか良い審査員を選べたと思っている。実はクラウディオはまだまだ駆け出しの23才の頃、日本公演に、あるクアルテートのダンサーとして招聘し一緒に仕事をしたし、ダニエルとアレハンドラも何度か来日させてきた、旧知の仲間だ。今回はまさに審査員の仕事だけの来日で、彼らには申し訳なかったが、ビザの問題がある以上しょうがない。ダニエルはこの仕事の後に続いていた近隣国での仕事がキャンセルになり、しばらく日本にいることになった。彼らは日本が大好き、今回この仕事を依頼すると、主点料もいくらでも、なんなら近くまで行くので飛行機代まで自分で行くからと言ってくれた。本当に、心から日本での仕事を愛してくれている素晴らしい仲間である。

 

さて、優勝はピスタ部門が以前この選手権でステージ・チャンピオンになった韓国のパソ&エリ、ステージ部門は昨年の選手権でピスタ部門のチャンピオンになったマイコル&マイコに。いずれも過去にこの選手権でチャンピオンになったカップルだが、過去の出場者は参加できないというルールは採っていないし、アルゼンチンから来た審査員にも過去のことは告げていないから、結果は順当だったと思う。もちろん、できればフレッシュなチャンピオンの登場を望みたいが、それと審査は別問題だ。両チャンピオンは昨年の世界選手権も体験して「世界のレベル」の高さを実感しているはず。ファイナリストですらかなり遠いところにあるのが実情だ。代路一掃奮起してアジアの実力を見せつけて欲しい。

アジア選手権結果

 

今回は会場が小さくなって心配したが、それよりも渋谷駅から近い、新しく綺麗といった利便性の方納花が翌、かなり好評だったと思う。実は来年の会場取りには6月は全敗している。なんとか来年の7月の早いうちに開催できるよう抽選に臨むしかない。

とにかく、ご協力いただいた皆さん、ご苦労様、そして有り難うございました。

konnkaiha 開場がこ

タンゴダンス・アジア選手権まで1週間。

2016タンゴダンスアジア選手権チラシ_omote
アジア選手権チラシ・ポスター

いよいよ今年もタンゴダンスアジア・アジア選手権の時期が近づいてきた。思えば今から12年前、あのイバラ元ブエノスアイレス市長が43才の若さで市長に当選した直後に始めたのが世界選手権だった。その2回目の翌年、その市長を支えたスタッフの一人が、アバスト地区再開発に関わっていた仲間で、私のところに日本大会をやって欲しいと依頼してきたのが最初だった。私自身、ダンスというものには全く興味がなく、日本でタンゴダンスと言えば思い浮かぶのが老齢のタンゴ・ファンが集ってやっている、ということだけ。しかし、帰国して調べてみると、すでに若いファンたち、しかも結構な数のファンがいることを知った。その仲間たちというのは、例えばあの小松亮太の仲間たちで、昔の飲み仲間だった向島に住む桑原和美さんが主宰するタンゴ・ラブというグループだったりしていた。

昔5,60年代に大ブームがあったせいで、日本でタンゴというと、まずファッショナブルとは言い難い老齢のファンが現れる。それがどんなムーブメントを起こそうとする時にも〔ピアソラをプロモーションするときでさえ〕邪魔だった。タンゴ・ラブもその問題に直面していて、彼らのミロンガでは若い世代に限るために老齢者お断りの決まりを作って、多少問題になったりしていた。そこに、小松亮太のプロモーションを担っていたソニーミュージックの社員たちが加わって、白銀のソニー・ミュージックの最上階のクラブでレッスンとミロンガまで開催していた。

_DSC9391そのことに意を強くした我々は、このブエノスアイレス市の申し入れを受けることにしたのだった。しかし、マルモンティという市から選手権の取り仕切りを依頼されていた男は、開催する権利料をとると言い出した。これがすでに開催に向けて動き出してから。最初から赤字覚悟の出発だったのに、まさに追い打ちをかけられた形だ。何人か資金を援助するという人間も現れ、1年目は予想以上の人気となった。最初の年は韓国人カップル、翌年は神戸の亮&葉月という日本人カップルがステージ部門を制し、世界大会でも準チャンピオンという偉業を成し遂げた。アジア大会の方も当時はステージが主流。世界的に〔アルゼンチンも含めて)プロモーションのためには派手なステージ部門が主導すべきなのだが、そんな本質をわからない老齢者がどこにもいて、TV放映の際におかしくすることがよく起きた。その問題は今も続いている。ミロンガ用のピスタが伝統的で、その存在がタンゴの層を多くするのも事実だが、何も知らない若者たちが、タンゴ・ダンスに最初に気をひかれるのはあの派手な振り付けのステージに決まっているのに、その感覚がわからない輩がいる。TV曲の若いスタッフもみろんがに言って、ステージのデモを見てせっかくやるきになっているのに、ピスタが大事だからと言ってピスタの絵を入れるように上司に言いつける。と、スタッフはまさにやる気のない番組を作ることになる。そして、そんな輩はそれが自分のせいだと気付くことはない。しかも、そういった老人は、じつは音楽の方だって全く感覚的にわからない人間が多い。そんな訳のわからない邪魔をされながらも、なんとか13回に辿りつけた。これからは、そういう訳のわからないのを一日も早く排除して、正しくプロモーションしていこうと思う。

_DSC9384今年は13回目のアジア選手権である。1週間前の今日、出場者の締め切りだったが、ピスタ77組、ステージ15組、計184人の出場が決定した。昨年から何故か海外組が増えて、120組近い出場者だったのだが、海外組の方が強く、準決勝の時点で日本人がたくさん落選してしまったことの影響もあるのだろう、今年は海外勢に比べて日本人の参加者が減ってしまった。とはいえ、全部で92組もの出場者だ。始めた頃とは比べものにならない興隆ぶりである。

昨年の世界選手権で、ロシア勢の活躍が目立ったが、アジアでもインドネシア、フィリピン、韓国あたりのレベルが年々上がってきていて、アジア大会でも彼らの上位入賞組が増えている。日本が一番愛好家の数は多いのに、何故か海外勢に引けをとっている。

ステージ部門は、アジアでは日本勢のお家芸だったが、アジア大会の初回と、数年間の2回だけは韓国のカップルにチャンピオンの座を奪われている。今年のステージは以前にチャンピオンになった韓国のカップル以外は皆日本人だ(コロンビアと日本のカップルも1カップル)。ピスタ部門は、申し込み最初の40組はほとんど海外勢だった。ステージは15組と出場者数は少ないが、力のあるカップルが揃っていて熱戦が期待できる。ピスタの方も日本人の活躍を大いに期待したい。

ところで、今年はアルゼンチンから連れてくる審査員の顔ぶれを変えた。今まではビザの問題もあって、似たような顔ぶれになってしまっていたが、今年からレッスンをやらずにデモと審査に集中してもらうようにしたところ、昔からよく知る、しかも世界選手権では審査員としてかなり中枢にいる2カップルを招聘することになった。彼らのデモは実に楽しみだ。改めてステージの良さを実感できる素晴らしいデモになることと思う。1週間後を控えて、事務所にも出場者たちの来社も多くなって雰囲気が盛り上がってきた。後少し、頑張るしかない。

新しい駐日アルゼンチン大使のことなど

5月24日、アルゼンチン大使館の公邸でで、日本アルゼンチン協会の懇親会。あまり参加しないが、年に一度の懇親会は出席できる時は出席するようにしている。今年は親しくして頂いたラウル・デジャン前大使が帰国し、新しい大使が来て初めての懇親会だったので参加。私はあまり大使館関係のイベントには積極的な方ではないのだが、さすがにアルゼンチンとは建国200周年あたりからなにかと一緒に考えて来ただけに、あの公邸には行くことが多くなった。今年は、あのビル全体の空調が止まってしまって大変なようだった。いつまで?と聴いたら「夏までには直してもらわないと」と悠長な返事。アルゼンチンらしい。

 

_DSC9363ところで、アルゼンチン大使は20010年まで着任されていたポルスキー大使あたりから親しくさせて頂いている。2004年からタンゴダンスアジア選手権をやり始めたこともあって、挨拶をお願いしたり、いろいろ依頼毎も多くなってきたから。当時はオセラ公使という非常に暖かいお人柄の公使がいて、何度か大使の代わりに挨拶して頂いたが、大使館との気分的なつながりは彼の存在が大きかったと思ってる。ポルスキー大使の頃から、日本とアルゼンチンは、まだ大事ではないにしても経済政策上のつながりが強くなってきたと思う。そして、飯塚さんがNTTドコモからNECに移られてビッグローブの社長をなさっていた頃、TVのデジタル回線を日本方式に採用してもらうために一緒にリマとブエノスアイレスに同行したが、その際、私の友人、グスターボ・ロペス官房副長官がまさにその仕事のためにクリスティーナ大統領から直接任命された直後とあって、フランスに遅れをとっていたかに見えた日本方式が最終的には決定。南米全体に日本ブラジル方式(ブラジルが日本方式を決定する時に技術上の提携もしていたためにこう呼ばれることになっている)が広がった。そのイベントの場で、実はこれから在日日本大使にラウル・デジャン氏が決まったというので紹介された。だから、デジャン大使には着任後も本当に良くして頂いた。その間、ロペス氏や彼の政敵ではあるが(もともとは仲間だった)ロンバルディ市文化大臣などが日本を訪れてくれた時も、大使館にもお連れして大使にも喜んで頂いた。結局、デジャン大使は選手権やグラン・ミロンガにはほとんど確実に来てくれて挨拶して頂いた。選手権とかミロンガは開催が土日なので、実は彼らの休みを邪魔する訳なのだが。だから、デジャン大使(2010年6月〜2016年4月30日)の離日のパーティでは、凄く寂しい感がこみ上げてきたのを覚えている。

 

IMG_2462
ベロー大使

そして、この日は以前からいらっしゃるフェリーペ公使に新しい大使を紹介して頂いた。新駐日アルゼンチン大使は、アラン・クラウディオ・ベロー閣下(His Excellency Mr. Alan Claudio BERAUD)だ。ベロー大使は、私がブエノスアイレスに滞在中に着任、4月21日に皇居で天皇陛下に信任状を捧呈し、正式に駐日アルゼンチン大使として着任したが、着任した早々の大イベントがミチェッティ副大統領の来日という大仕事。ベロー大使はもちろん経済が一番のお仕事だが、国も新体制になってオバマ大統領を迎え、日本とも開かれた経済関係を促進したい、そのための大イベントを早速任されたわけだが、大成功に終わったよう。とりあえず、文化関係を取り仕切るフェリーペ公使も一安心と言ったところ。アジア選手権には新大使も公使も出席してくれると言うことで、盛り上げていくことになった。

 

さて、大きな話題を呼んだ伊勢志摩サミットとオバマ大統領の広島訪問。いろいろ物議を醸しての来日であったが、オバマ大統領の広島訪問とスピーチ。サミットそのものの運営は完璧だったのだろうが、際だったのが我が国の首脳の頼りなさ。スピーチがいつもコピペじゃいかに熱意がないかを示しているようなものだし、海外のメディアだって馬鹿にして報道すらしないだろう。アベノミクスの成功・失敗を巡る与野党の論議が活発だが、今度は選挙を巡って消費税10%増税への引き上げをやめるためにの言い分で程度の低い論争が活発。賛成・反対は別にして、民主党政権時代のどうにも重苦しい雰囲気から、世間を解放したのは事実だ。円安、株高を招き、輸出_DSC8939が伸びて、国民の給料も上がって、物価も上がってデフレは解消…夢のような復活劇をみんなが期待した。しかし、その結果が思うように上がらず、安倍首相が大企業に働きかけ、大企業は従業員の給料を上げるよう要請する。しかし、日本人はラテンアメリカの人間とは違う。ブラジルとかアルゼンチンなどは少し先行きが明るくなると後先かまわず消費に走る傾向があるが、それから比べたら日本の問題は「低欲望」社会。個人は1600兆円の金融資産、企業は320兆円の内部留保を持っているのに、それを全く使おうとしない。貸出金利が1%を下回っても借りる人がいない。世界で稀な国民である。その国民に向かって、大企業が例えば月給1万円を上乗せしたからといって消費が伸びるはずもない。おそらく自民党の中でもアベノミクスを考え出した人と、それを阻止しようとする力関係はあっただろうし、下手すれば、それが理屈ではなく選挙区内の事情での対立かもしれない。

 

アベノミクスを考えた人たちはかなり優秀な政治家だ。おそらく消費税の上乗せにも最初から反対していたに違いない。「消費増税に向かったら日本は破滅」と説いたノーベル賞経済学者クルーグマン氏を招いて首相に会わせたのも同じグループの政治家たちと聞いている。しかし、その時にも今回のサミットの席上で「今世界はリーマン・ショック以前….」と言ったとか言わないとかとの屁理屈で国内問題を国際問題にかこつけて失笑を買っているが、理念を理解しないまま事を解決しようとする浅はかな政治家と優秀な政治家を一色単にしてまとめようとして失敗する。国内にたくさんばらまいた円を海外で良い格好するために使うだけでは、うまくいくはずがないのは自明の理だろう。デフレ脱却には、まず国内市場の活性化が必要で、そこから給料上がる感が先にきて、つづいて物価も上昇する順でなければ、日本国民が消費する訳がない。しかも、その間に強引な会見など国民があまり好きではない話題を挟む物だから、もうどうにもならない。まぁ、今の政権の大きな失敗と言えば、真理の見えない首相を取り囲む利口な政治家たちと馬鹿丸出しの政治家の間をとるような「八方美人」政策だったに違いない。そこに「選挙」が絡んで、この国がどん底を向かわなければよいが。

 

話が飛んだが、オバマのスピーチはなかなか素晴らしいものだったと思う。こんな世の中では、核軍縮がすぐに望めるべくもなく、核をなくそうという発想が世界に少しぢつでも広がることが大事だ。その意味で、政権最後とは言え、オバマのスピーチは素直に素晴らしかったと思う。 オバマのスピーチ全文

 

アルゼンチンも、信条とは別に暗い話題が続いたクリスティーナ政権が終わって、マクリ政権の元、かなり積極的に動き始めてはいるというものの、本格的に成果を得るのはまだまだ先のような気もする。しかし、そろそろ楽しく文化を始められる時代が来てくれないと、世界は終わってしまう。