ニカラグア最終日、カティアの活動

DuoGuardabarranco
ドゥオ・グアルダバランコ

大きな間違いをしていた。カティア・カルデナルは一度も日本に来てなかった。弟の故サルバドールと「ドゥオ・グアルダバランコ」を組んでいて、随分昔に日本のどこか小さいところで演奏した、と聞いていた。10年以上前、サルバドールの家(マナグアの郊外の本当に山の中の自然の中で、質素な家で音楽と絵を描いて暮らしていた)で聞いた話で、日本には2人で行ったというので、勝手に弟とのドゥオで行ったのと勘違いしていた。行ったのは弟のサルバドールで、彼女は行く話は何度もあったのだが、サルバドールが日本に行った時は、ちょうど長女を出産する時にぶつかっていけなかったのらしい。だから、今回は凄く気合いが入っている。

 

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ドゥオ・グアルダバランコ財団のシンボルマーク
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カティア・カルデナル

サルバドールとカティアは「ドゥオ・グアルダバランコ財団」を結成した。目的は文化活動、特にニカラグアの音楽活動、それも新しい音楽家を育てながらニカラグアの音楽産業を活発にすることを無償で提供することという。カティアたちはこの財団の活動として、貧民街の人々に瓶とかプラスティックとかの廃材を集めさせてそれを彼らの資金にする、そのプロモーションのためにかのや仲間がその貧民街で演奏をする、みたいな活動を実際に行っている。実は今回の滞在の最終日に、こ

DSC_7908Xの財団が提唱してニカラグア国内で活動する企業、今回はモビスターと言う電話会社(スペイン資本)やミネラル・ウォーターの会社、新聞社等の強力を得て、自然保護と文化活動の促進を目的に5月15日から数週間キャンペーンを繰り広げるための決起大会があった。たくさんのメディアや賛同した会社の担当者が記者会見を開くイベントだった。私も興味があったので参加してみたが、なかなかこの国らしい、美しい集まりだった。

最初にドゥオ・グアルダバランコ財団を代表してカティアが挨拶。この国の惨状を黙ってみているだけでは何も始まらない、行動しましょう!と訴えた。このキャンペーンはモビスターのコマーシャルでも使われて、カティアは無償でキャンペーン・ソングを歌っているが、その録音も披露された。キャンペーンのコピーは「大地があなたに叫んでいる!応えよう!」というものだった。例えばペットボトル(このニカラグアではスーパーでもペットボトルや買い物袋を使わなければ出口で金銭と引き替えてくれるシステムらしい)やプラスティックがどう

_DSC9016Xやって再利用されるかを、実際にその工場に子供たちを集めて見学させる。携帯電話の廃品はどう分別されて再利用されているかも工場で見学させるetc.。そして企業からステージ設営の費用を拠出させて、その工場の近くでカティアや賛同アーティストたちが無料で出演するコンサート・イベントも全国規模で行うらしい。ドゥオ・グアルダバランコがいかにこの国で立場を築いてきたか、こんな活動を見ただけでも理解できた気がした。もちろん、それにはサルバドールの身体を張った生活ぶりが人を動かしたんだとも思う。この企画を動かしている人たちの目が本当に美しかったのが、どこかの国と違って印象的だった。

 

_DSC9034Xで、最後の夜はカティア、アルバロと一緒に食事をすることにした。私の泊まっているホテルにはニカラグア一という日本食レストラン「京都」がある。そこで日本酒と寿司と天ぷらで最後の夜を楽しんだ。彼女のファミリーに神戸に住んでいたことのある人がいて、いつも日本のことをサルバドールと一緒に自慢されていた、とか。それもあって、日本への思いはとてつもなく大きい。今の日本がそれに相応しいのかどうかは知らないが、できるだけ良いところを見てもらいたい…。ステージのおおよその構成まで話は進んだが、かなり面白いことができそうになってきた。

 

で、今日は朝7時半にホテルを出て空港に。思いの外順調にチェックインも済んで、今ラウンジでゆっくりしている。これからマイアミ経由でブエノスに向かうが、まだ頭がアルゼンチンに向いていない。頑張らなきゃ。

 

 

 

 

カティアとの打ち合わせ

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マナグアの街中で

昨年ここにやってきた時にはベネズエラのカラカスから直接(といってもパナマ経由だが)マナグアに入った。カラカスと言えば、今では世界でももっとも治安に問題があると言われている都市で、緊張してから入ってきたからかなんだか安堵した気分になっていたが、とんでもない、このマナグアはカラカスがああなるずっと前から危険な街だ。大体、昼間でも道を歩いている人間が少ない。強盗の話もよく聞く。それで、昨夜はマネージャーのアルバロの車で夜のマナグアを散策することにした。時間が時間だったのでアルバロの奥さんも招待して食事もすることにした。

 

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命の木

とは言え、このマナグア、1972年の大地震で街はほぼ壊滅的な打撃を受けて以来復興は遅々としてあまり進まない。でも、今のオルテガ大統領(あの養女へのセクハラで有名にもなった)が政権に復帰してなかなかよくやっていると言われている。で、ネットでマナグアの街の観光で一番最初に出てきたサルバドール・アジェンデ港という、ベイ・エリア開発地区に行くことに。マナグアの街には至る所に「命の木」(アルボル・デ・ラ・ビーダ)と呼ばれるオブジェが建っている。特に夜になるとその木にカラフルな色が入るから美しい。聞くところによると、オルテガの今の夫人で、情報戦伝送をつとめている詩人のロサリオ・ムリージョの発案でマナグアの街のエンブレムとして始めたのだそう。マナグアと言わず、ニカラグアはエネルギーのインフラが極端に遅れているから暗い。そこで「光」の有り難みを国民に訴えようとでもしたのか、とにかく目立つ。特に最近開発されたアジェンデ港に近づくとますますオブジェの数が増えてくる。中には同胞だったベネズエラの故チャベス大統領のと命の木が一緒に輝いているものも現れた。ベネズエラ、ニカラグア、エクアドル、ボリビア、ブラジルの左派政権は確かにタッグを組んで援助し合っているからなのだが、エネルギー不足の国民には奇妙にしか写らないのではないか、と感じたが、アルバロに言わせると国民の大半がこの「木」を快く思っていないのだそうだ。

 

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マナグア湖畔
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アジェンデ港のカテドラルのミニチュア
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マナグア旧市街のミニチュア
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ルベン・ダリオの博物館にある絵
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ルベンダリオ博物館の時計

さて、サルバドール・アジェンデ港。肝心のチリでは左派系の政党支持者以外にはあまり騒がれなくなっているアジェンデだが、こうした左派の国々では圧倒的に人気がある。で、アジェンデよりも選ぶべきアイコンがたくさんありそうなのに、この名前がついた新開発地域へ。この地域は、地震前には市街地の中心だったらしいが、倒壊しなかったのは今もあるルベン・ダリオ国立劇場と、旧カテドラル(ここは倒壊の恐れがあるとかで現在は入場を制限されている)、あとはわずかな建物だけ。その地震でこのマナグア湖の岸に膨大に積み上げられた廃棄物を埋め立てて作られたのが新しいマレコン地区のこのアジェンデ港という訳 らしい。アルバロがまず連れていってくれたのはアジェンデ港の中の旧市街をそのままミニチュアにして作って展示してあるところ。お世辞にも欲でいているとは思えないが、あの地震を体験した老人たちはここにやってきてきて昔を懐かしみ、涙を流す人さえいるという。日本では、こうした被災者たちの心に訴える復興作業はあまり耳にしないが、マナグアではこうしてミニチュアにして記憶を残しているわけだ。アルバロが面白い話をしてくれた。このカテドラルもルベン・ダリオ劇場も、被災しなかった建物は全部日本の技術で建てられた建造物だけとか。劇場に日本の援助があったのは聴いたことがあるが、その他の真意は定かではない。
次に、このニカラグアを代表する詩人ルベン・ダリオのレオン市の生家付近を忠実に再現した記念館。ルベン・ダリオは、19世紀のラテン・アメリカで最も偉大な詩人と称される。革命の英雄アウグスト・サンディーノと並んで国民的な英雄となっている。しかし、ここから車で1時間少ししか離れていないあの美しいレオンに本物があるのに何故?との疑問も湧くけれど、まぁ大統領夫人の発案だから。そして、いよいよ日本のベイ・エリアの再開発に似たなんだか安っぽい(世界の若者がこんな薄っぺらな街作りに騙されているかと思うと可哀想としか言いようがない)、レストランやバーが建ち並ぶ地区に。道端にプラード博物館とあるから何かと思いきや、プラードのベラスケス等の作品の写真を展示しあるだけ。どうせ金持ちの息子たちが粋がって遊んであるだけかと思いきや、結構地元の市民や観光客には親しまれてきているようだ。

この港にアルバロ夫人がやってきていよいよ食事へ。何かニカラグア的なものと言ったが、アルバロが「まだ行ったことがないペルー・レストランがあって美味いらしい」というのでそこに向かった。La Terraza Peruanaという店。セビーチェとか、パエーリャ風のものを食した。美味いが、何故マナグアでペルーなのか…。そういえば、マナグアにやってきて入ったレストラン、わがホテルの中にあるニカラグア一の日本食堂「京都」と、最高のステーキ・ハウスという「ドン・カンデイード」と、ニカラグア料理のレストランにまだ入っていないことに気がついたが、後の祭りだ。

 

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カティア・カルデナル

翌日、朝10時、ホテルにカティアがやってきてくれた。「前回の撮影で本田がミュージシャンのレベルが低いと怒っていたと言うから最高のを用意した」とラス・クネータを選んだことを誇ってきた。しかし、その通り、ここまで一気にレベルが上がるんだ、と感心する。カティアと言えばニカラグアの国民的歌手だから、選ぼうと思えば誰でも選べるらしい。だったら、前回から揃えてくれと言いたいところだが…。カティアはノルウェー人と結婚して2度ほどノルウェーに住んだことがある。その時にノルウェーの民謡を歌って録音したところ年間のベストセラーになったことがあるらしくノルウェーでも有名人だ。その後、2007年にニカラグアのフォルクローレを録音したが、その時に選んだのがこのラ・クネータの面々だったそう。彼らはその後、すぐにクネータを結成してサンフランシスコへ。そして知り合ったのが昨日も書いたグレッグ・ランドゥ。彼はマリンバを駆使したり、ラップが飛び出したり、クンビア, ロック, スカ, ラップ, ジャズ, ルンバ・コンゴレーニャ, メレンゲ, パンク, レゲエ, ファンク等の要素をごちゃ混ぜにした、ととにかく彼らのユニークで面を最大限に破棄させたアルバムを創り上げた。これが2016年のグラミーにノミネートされた「モンドンゴ」だ。今や世界はもちろん日本のアンテナの高い連中から既に愛されている若いグループ。メンバーは:

Ernesto Matute López (batería y timbales), Omar El Profesor Suazo (guitarra), César El Puma Rodríguez (teclados), Carlos El FrijolGuillén (voz) y Augusto El Negro Mejía (bajo).

 ただ、ドラムのエルネストは今はクネータを抜けている。あのニカラグア解放戦線(FSLN)のテーマ・ソング「サンディニスタ賛歌」の作者で世界的にも知られているカルロス・メヒア・ゴドイの甥も二人入っている。まぁ、ニカラグアの代表的な血が詰まった連中によるステージができあがりそう。ヨーロッパ公演中の彼らと細部まで話していよいよ実現の運びとなった。楽しみである。

 

ところで、日本から悲しいニュースが届いた。あの青山のCAYでオープン当時から東京の新しい音楽ムーブメントを牽引してきた宮川賢左衛門、通商ケンさんが亡くなったらしい。亡くなったらしいとしかわからないが、一体何が起こったんだろうか?音楽家だけでなく、音楽の新しいムーブメント作りに貢献してきた人たちもいなくなるのはどうにも寂しい。誰かもっと情報がある人、是非送ってください。

 

ニカラグアでの収穫

_DSC9009X24時間のつらい旅を終えてマナグアに辿り着いたが、とりあえずホテルに入ってビールを一杯。そのままよく寝るはずが年齢が重なるとなかなかそうも行かない。熟睡したと思って起きるとまだ3時間ほどしか寝ていない。で、はっきりと目覚めてしまう。恐ろしい「時差」である。しかし、こちらのマネージャーとは夕方3時の待ち合わせなので、ゆっくり資料の整理やら写真の整理で過ごすことになった。一応今回の焦点はカティアのバックバンドの決定だ。じつは昨年ここにやってきて予定メンバーの収録をしたのだが、これがかなり酷かった。別に彼らに責任があるとは言わない。というのは、もう長く中南米諸国とつきあってきて、招聘_DSC9031Xする2年も前から、こちらの要求にあったメンバーを決めて、集合写真を撮って、しかも録画まですると言うこと自体が彼らにはあり得ない話だからだ。今までいろいろな国でいろいろな体験をしてきた。例えば、キューバからシエラ・マエストラを招聘する1年前、メンバーは決まっていたが、管をもっと良いのにした。が、集合時間になってもそのトランペットがやってこない。で、みんなで探すがどこにもいない。次に女性歌手は私が大好きだったシオマラ・ラウガーを指名したのだが、これがまた現れない。しびれを切らせて私がレンタカーで家まで迎えに。と、シオマラは子供の手を引いて家の前でのんびりしているではないか。ああその話聞いていたけど、まだまだ先の話だと思ってた、と。で、車の中に無理矢理拉致して会場に連れてくるとようやくトランペットの男も現れていた。で、今度は最初から来ていた数人が次の仕事がある、と。結局撮影時間は30分にも満たなかった。それでもまだ良い方だったりする。あるときはどうしてもメンバーが集まらず、そこにいたマネージャー氏に、らしい洋服を着せてとりあえず撮影し、後で変更になったことにしたことだってある。今だったらフォトショップという素晴らしいものがあるから顔だけ取り替えることもできるが、当時はどうしようもない。だから事前のチラシやポスターと来日メンバーの顔が違うなんて事もよくあったのである。しかし、そうしてどうしようもないことをやらかす音楽家に限って素晴らしかったりする。困ったものだ。世の中、スポンサーを中心に世界が廻っているわけではない、と大声で叫びたいが、日本という国では通用しない。

 

前回のニカラグアも実はそれに近いもので、まだ時間がありすぎて正しいメンバーに声はかけられない、というのが事実だったと想像する。だって、カティアの娘は素晴らしい音楽だったが、息子はまだ学生のとてもプロとは言えないものだったし、他のコーラスもとてもじゃないが、と言う連中だったからだ。で、最後の打ち合わせで、私は思いきりマネージャーを叱りつけた。日本から何度も何度も確認したことはどこに消えたんだ、大体日本に気があるのかどうか。他にもいろいろ思いの丈をぶつけてやった珍しいケースだった。

LA-CUNETA-SON-MACHÍN
それで日本に帰ってからも何度か連絡をしているうちに、カティアが本腰を入れ始めた。今回ここにやってくる数週間前の話である。これが、本当か、彼らと一緒にできるのか?と言う驚くようなメンバだった。今年度のグラミー賞ラテン・ロック、アーバン、オルタナティヴ部門の最優秀アルバムにノミネートされているニカラグアでは今乗りに乗っているグループだったからだ。このグループとステージを分け合うのはよいが、どうやって一緒にやるのか、と言うのが問題。しかし、彼らはニカラグアの一番の人気歌手カティアとは実は何度かステージも一緒になっている上、カティアのギタリストはそのグループの重要メンバーだったのだ。これは話が通じるかも、と言うのが今回早くやってきた理由だ。

 

グループの名前は「ラ・クネータ」。こちらで流行っているクンビアを軸にした非常に面白いグループだ。その昔、エクアドルから女性歌手をつれてきたときに、ちょうどキューバからエクアドルに亡命してきていたオマール・ソーサがいて、彼をキーボード兼ピアノに据えたことがあるが、あのオマールとも親交があるグレッグ・ランドゥがプロデュースしているCDがth今回のグラミーにノミネートされた。マリンバを駆使したり、ラップが飛び出したりととにかくユニークで世界のアンテナの高い連中から既に愛されている若いグループだ。で、彼らはなかなかマルチな音楽家たちで、カティアの伴奏もかなりできているという。今回はその辺の確認をした上での交渉である。グループの中にはあのニカラグア解放戦線(FSLN)のテーマ・ソング「サンディニスタ賛歌」の作者で世界的にも知られているカルロス・メヒア・ゴドイのファミリー兄弟もいる。これが実現すれば、現在のニカラグアを代表する女性歌手と、今乗りに乗っている注目グループとの共演と言うことになる。あとは、この二つの個性をどうやって一つのステージで花咲かせるか、だ。しかし、まずは良い音楽家たちが集まることが何より大事だ。しかも本人たちがそれを希望しているわけだから尚更だ。

 

今日マネージャとの話の段階では非常に好感触を得ている。あとはカティアとの明日の会談次第。楽しみなような不安なような、しかしやるしかない、の気分である。