久しぶりのブログ

 ブログを書いている頃は、あまりに広範囲な動きをする自分の行動を管理したり、再確認したりするのに、随分とこのブログを役に立てていた。2年前にも、そのことに気づいてやり始めたのだが、途中で断念。今回は平成最後の年末に思い立って書き続けることにした。

 今年は日本アルゼンチン外交関係120周年もあって、様々な記念イベントに振り回された。まず、昨年からブエノスアイレスのCCKで行うことが決まっていた小松亮太の公園。昨年暮れから国際交流基金の援助もほぼ決まっていたのに、CCK側からの日程が出てこず、正月からずっとその子tに振り回されていたが、3月になってなんと最初に希望していた日程が。しかし、それまでに何度か日程を変更していたこともあって、今度は小松側のメンバーのスケジュールが合わず断念。ホント、アルゼンチンのこの辺りの対応については長年やってきて慣れているはずだが、疲れた。しかし、もう一つ、日本で企画していた「タンギッシモ2018(小松キンテート、コロールタンゴ、3組のタンゴダンス世界チャンピオン)」のステージは、文化省の応援も得て実現。しかし、東京・昼夜公演の夜の部が台風の影響で、公演は行ったが、来れないお客には払い戻しという結末、昼夜ともほぼ完売状態だっただけに悔しい思いをした。しかし、コロールタンゴは前回の2011年も3月11日にの東日本大震災に逢い、やはり4公演全てが水の泡という経験もあっただけにやりきれない思いが残った。しかし、ほぼ同時期に行ったコロンビアの「ラ・ハグア公演」の方は、かなり思い通りのステージ構成ができたこともあって大成功の結果に。7月に行ったタンゴダンスアジア選手権は、今年から在日のアルゼンチン・ダンサーたちの応援もあって、参加者、入場者とも過去最高を記録。そして、来年1月からやってくる恒例の民音タンゴ・シリーズがちょうど50年目、50回の節目を迎えることで、友人のロンバルディ・メディア大臣の尽力で、民音が顕彰されることに。これは大仕事だったが、これも無事クリア。ロンバルディという人はそのすぐ後にG20のイベントを控えているというのに、マクリ大統領との謁見なども含めて完璧にこなしてくれた。感謝。

 と、ここまでは今年の備忘録。今回はそのタンゴ・シリーズでやってくるフェルナンド・マルサンのグループのブエノスでの最終リハーサルのために行ってきた。前日までいつものタンゴダンス世界選手権のビデオ編集でギリギリマデヤッタノニモカカワラズ後少しの仕事を残して出発。頑張りすぎて風邪気味で出発したが、機中で熱が出たり、初めてダラスデ車椅子の世話になったりもした。でもまぁ、なんとか形が見えるところまで作り上げて今日帰国したところ。とりあえず、ここまでにして、明日からもう少し書き加えることにする。

 さて、2019年はこのタンゴのグループに直前になってメンバーが替わり、新メンバーを12月29日に成田に迎えることになり、そのままアーティストを抱えての新年となった。バイオリンのトップが代わったのだが、実は新しくやってきたのがフィリピン系のアメリカ人、。つまり、アメリカの通過ビザがいらなかっただけ、かなり気が楽だった。マルサンがあの世界的な「タンゴ・フォーエバー」の音楽監督時代から使っていた名手。誰からも好かれる人柄で、帰ってアンサンブルは良くなったかも、と思える。

 残りのメンバーは4日に来日。しかし、ほぼ同時にキューバからのグループ、もやってくる。タンゴは38回、キューバは23回といずれも回数の多い仕事だから、弊社のような弱小は大変。元社員の通訳のみんなも総動員して、なんとか始めることになったのだが、とっくにできあがっているはずのコンサート前の紹介映像も、今回は他社の作品も入るとあってまとめ切れておらず、リハーサルが終わってから寝ずに制作しながら、と言う過酷な作業になってしまった。しかも、」その途中になんと携帯電話をタクシーに忘れ、紛失。この時代携帯がないといかに不便なことか。

 しかし、なんとかすべての困難を克服してそれぞれのステージを開演させることができた。タンゴは50年記念公演の素晴らしいのができあがったし、革命60周年を迎えたキューバからも、私が当初考えていたものからは、今回も変えられてしまったが、パンチョ・アマートにもある程度の変化をつけてなかなか受けるステージを作ることができた。忙しくはあったが、いずれも人柄の良いアーティストに恵まれ、初日から素晴らしい発進をすることができた。