コロンビア、ベネズエラの音楽見本市

昨年のベネズエラの音楽見本市FIMVENについては、石橋東大教授にレポートして頂いたが、実は私も同行していて、経済的に決して楽な国ではないのに、想像を超えた素晴らしい見本市だったことに感動していた。
今から25年前、石橋氏が大学人としてではなく、まだある会社の駐在員としてベネズエラに滞在していた頃(弊誌の特にベネズエラの知識はすべて彼が起点だ)に、マラカイボで彼に紹介され、いつか必ず日本にと思っていたグアコ。その来日公演を今年実現させ、まさにその旅の忙しい真っ只中にこの招待がぶつかるため悩んだが、今年はさらに隣国コロンビアで開催されている魅力的な見本市と提携してその両方からのお誘いだった上に、実はその両国の他、周辺国での仕事もあったので、グアコのメンバーや主催者の了解を得て出発することにした。報道によると、ベネズエラの治安は昨年よりかなり厳しいことになっているというので心配していたが、昨年もセキュリティの面も完全にカバーしてくれていたし、何よりグアコの現地スタッフがボディガードを買って出てくれたのでとりあえず行ってみることに。
DSC_0383最初はコロンビア、メデジンで開かれているCIRCULARTEという音楽見本市。2010年に第1回目が開かれて以来、今年で7年目を数える。「ラテンアメリカに関係する最も重要な音楽関係のプロたち(アーティスト、プロデューサー等)のプラットホーム」ということで、毎年異なる分野の音楽人たちが20ヶ国から多数集まって、たくさんの会議や、約35の国内外のアーティストのショーケースが行われる。アルゼンチンのMICAと言う見本市やブラジルのMUSIC EXCHAGEとDSC_0398いう見本市とも連携しているようだし、特に昨年から始まったFIMVENとは協力関係にあるらしい。ただ、世界的に厳しさを増すこの音楽世界で、これだけの規模の見本市を、しかもこれだけの人数を招待して開催するのは並大抵ではないはず。今回も、招待状は早めにきていたが、正式に通知が届いたのは出発の4日前。返事が遅かった私だけかと思っていたら、招待された全員がそうだったらしいから、結構厳しい中での開催だったろうと推測する。しかし、若い優秀なスタッフたちが本当によく働いて、このコロンビアも素晴らしい見本市を見せてくれた。
DSC_0378CIRCULARTEもFIMVENも見本市の構成は大体同じ。まず、一番重要なのは毎朝9時から午後1時まで、15分間隔で相手を変えて行われるビジネス・ミーティング。アーティスト側と、興味を持つ制作側とのミーティング。ホームページに掲載されているアーティストたちに希望を伝え、あるいはその逆にアーティストたちが興味ある国の制作者に希望を示す。両者のスケジュールを合わせて、一日最大16の枠で、挨拶し、実際にビジネスになる時の諸条件などを話し合う。ラテンアメリカのアーティストにとって日本は「行きたい国」の上位だから、昨年も今年もこのミーティングはほぼ休む暇はなかった。メデジンではここまでがテレメデジンというローカルテレビ局の集会場で行われる。そして、用意された簡単な昼食をとった後は、パブロ・トボン・ウリベ劇場に場所を移して午後8時まで30分間隔でアーティストが入れ替わって演奏してくれると言う仕掛けだ。
昨年はカラカスでショーケースに触れてベネズエラ音楽界のアーティストたちの質の高さと数の多さに驚かされたが、コロンビアでも同様だった。実はこの9月に別の用事で首都のボゴタを訪れた際、ちょうど”CONCIERTO RADIONICA”というフェスティバルに出会い、この国の音楽のレベルの高さを実感していたばかりだった。世界的に有名なコロンビアの音楽家と言えばこのメデジン出身のフアネスやバランキージャ出身のシャキーラは別格にして、レゲトンのJバルビンも、それから9月にRADIONICAで聴いたプロテスト系ロック・エン・エスパニョールのアテルシオペラドスもすでにグラミーを2度受賞している国際派だ。レゲトンだ、ポップだというとそれだけで軽く見るファンもいるが、実際に聞き比べると、音楽の質の高さを必ず兼ね備えているし、彼らに共通しているのがコロンビアの伝統音楽を熟知しているだけでなく、敬愛していること。その辺りはマラカイボのガイタからレゲトンでも当てたグアコと共通するところがある。
DSC_0482さて、このCIRCULARTEでは、コロンビアの国際派を目指すポップ感覚を生かすアーティストたちの色が濃い。伝統を内に秘めながらコンピューターなどのテクノロジーを用いた映像表現を取り入れるグループも目立った。どのグループも音と映像のテクニックをミュージシャン自身が取り入れて表現に生かす。グアコもそうだったが、これはもう世界的な潮流だ。特にCIRCULARTEに集まった音楽家たちにはこの傾向が強かった。
ショーケース、まずは、「バーニング・キャラバン」。ボゴタを中心に最近急激に人気を上げてきているジプシー・ジャズ、ロック、何故かバルカン音楽、タンゴまで何でもフュージョンしてしまう異色バンド。チリとコロンビア、フランス人ミュージシャンの混合バンドで、特にギタリストのハビエルとトーマスのクラリネット&サックスのテクが自慢。今年発表した3枚目のアルバム「人類の歴史」は、アルゼンチンのチャーリー・ガルシアやファブローソス・カディラクス等のプロデューサー、マリオ・ブレウエルの手でミックスされて注目され、今年は世界へ向けて動き出した。9月、彼らのフル・バージョンのショーを見たが迫力満点、もっと凄かった。
同じ日に聴いた「ステレオクーコ」は、カリブ沿岸の伝統音楽と映像も駆使したアーバンなサウンドが特徴のバンド。リーダーでボーカルのマルロン・ペローサは、カリブ沿岸のガイタ(ハーモニカでもマラカイボのガイタでもない木製の長い縦笛)を操りながら歌うが実に魅力ある男。マルチ・パーカッションのアンドリューは、今コロンビアで絶大な人気を誇るデジタル・クンビア&レゲトン・バンド、システマ・ソラールのメンバーでもある。これにギター兼ベースと音響、映像の4人でのバンド。要注目のバンドだ。
シンプルなクリック系サウンドのループや、ミニマル系パーカッション・ループを操りながら、清楚な歌声で聴くものすべてを魅了する双子の姉妹アンドレアとマルタのデュエット・チーム「ラス・アニェス」。すでに南米、ヨーロッパで公演し、絶賛されている。知らずのうちにその魅力の虜になる不思議な歌い手たちだ。
海外からのバンドも注目に値するものが多かった。まずメキシコから、ジャズ、ロカビリー,フォーク、フラメンコ、レゲエ、ベラクルスのソン、果てはクンビアからカントリーまで何でもやってしまうジェニーとメキシキャッツ。トランペット奏者で歌手の魅力溢れる女性ジェニーを中心に、音楽で世界への旅をと言う趣向だが、なかなか楽しめるステージ作り。続いて驚いたのはDSC_0695ブラジル、サンパウロからやってきた「アラフィア」。女性1,男性2のフロントを含めた12名編成で、2011年サンパウロで結成された。名前はヨルバ語で「開かれた道(すべてOK)」の意味。ラップ、ヨルバの宗教音楽、MPB、ファンクをミックスしたスタイルで、音楽は飽くまでも時代に即した感覚で、と考えているとか。ダンスと歌に、半端じゃない楽器演奏と、演劇の要素も採り入れ、聴く者をまったく飽きさせない。2013年と昨年アルバムが発売されている。まだサンパウロを中心に、ブラジル国内の黒人関係イベントで活躍している程度だそうだが、実力はまさに世界級。ブラジル恐るべし、だ。さらに、パナマからやってきた「ザ・ティーチャーズ」が嬉しいサウンドを聴かせてくれた。1966年に結成されたカリプソ・バンドで、当時は「アフリカ・カリエンテ」や「ハニー」などの大ヒット曲を残したが、最近教会の仕事がきっかけで再結成したらしい。とにかく優しさが前面に出た彼らのサウンドが実に清々しかった。
さて、コロンビア・サルサの中心地カリからやってきた「ラ・マンバネグラ」。が、このバンドは今までのサルサではなく、サルサ、ソン、ジャマイカン、70年代のNYサルサに大きく影響された新しい形、と言うように、進化させようと言う意向がはっきり聴こえてくる。ビルボード誌で今年知るべき5つのコロンビア・バンドの一つに挙げられているが、今年はWAMADからいよいよ世界進出を始めた。
このグループの予想以上に真面目なサウンドを聴いた後、ここメデジン出身の「エスプロシオン・ネグラ」が土曜日の野外特設ステージのトリで登場。2001年に結成以来、コロンビアの知られていない地方の豊かな音楽を今の新しいサウンドで作り替えて紹介してきた。メンバーはメデジン西部のチョコ州、しかも貧しい、アフリカ文化の伝統が色濃く残る太平洋岸の出身者たち。彼らはこの「音楽を通した新しい民族教育の方法論」を展開した功績が認められて、今年のラテン・グラミーにもノミネートされた。既に世界中で演奏活動をしているが、彼らの演奏が始まると、満員の会場は一気に盛り上がった。この手の、盛り上がり系で上質だったのは最終日の「ジョントレ」と、ハイチからやってきた「ボックス・サンボウ」も素晴らしかったが、この辺は是非youtubeを覗いてもらいたい。
ところで、土曜日の夜、日本のイベント関係者から「今日の夜中にアコーディオンの名人がこの近くのバーで演奏するらしい」と誘われたが、夜はかなり危険そうなので考え倦ねていたら、「名人のアコーディオンが盗まれたらしい。中止だって」と言うことになった。行かなくて正解の場所だったらしい。その名人が、日曜日の最終日に登場した、アコーディオン・クンビアの生DSC_0567ける伝道者カルメロ・トーレスだった。有名なカルタへーナを擁するボリバル州サン・ハシントの街からはアンドレス・ランデーロという名人を輩出したが、カルメロはその後継者。彼によると「コロンビアのアコーディオンはカリブ沿岸で、自然の中にいろいろな人種が集い、輪になって音楽を楽しむ中から生まれた。その中心にサン・ハシントのアンドレス・ランデーロがいて、たくさんの録音を残した。こうして息子のオルランドや、ホセ・モビージャ、ロドリーゴ・サルガドなど続く名人が育ってきた」のだそう。今回、カルメロはクンビア・サバネーロというグループを率いて登場した。まずは恐らくカリブ沿岸出身者たちの聴衆なのだろうか、最初からステージ前にたって、踊り出す。それに続いて若いファンたちが全員その輪に加わっていく。羨ましい光景だ。まず、借り物のアコーディオンのはずなのに、音が強くしっかりしている。弘法筆を選ばないのだろう。しかも淡々と歌を繋いで聴衆の気持ちを掴む姿は、キューバのエリアデス・オチョアによく似ている。とても気持ちの良い空間だった。
日本出発を決定して、何の準備もできないままのコロンビアだったが、昨年知り合った音楽に詳しいコロンビアのプロデューサにも会って、なかなか濃い毎日を過ごすことができた。こんな素晴らしいイベントに招待されたことを心から感謝したい。

さて、メデジンからカラカスへ。ここは昨年来ていておおよその見当は付いていたが、空港ではグアコのスタッフが迎えに来ていてくれた。グアコの親分が「あのホテルの周りは一番危険」とどこに行くにもボディーガード役を送ってくれたのだ。しかし、それは開催するFIMVENの方は百も承知だ。特に我々招待者にはできるだけ勝手な行動をとらないように、予定をしっかり組まれていた。移動には専用のバスがいつも用意されている。グアコのスタッフには事情を説明して、基本的にFIMVENの予定通りに動くことに。
さて、会場は昨年と同じテレサ・カレーニョ劇場。私はラテンアメリカ中の大劇場はほぼ見てきたが、建築構造的にも、音響的にも、さらには雇われている技師陣も含めると明らかにトップ・クラスの凄い会場だ。FIMVANは、ほぼこの中ですべて行われる。ビジネス・ミーティングは、昨年と劇場内での場所は変わったがほぼ同じ。しかしショーケースは中ホール、ガラは大ホールに絞って、他の特設会場はすべてなくなったから時間が重複することなく、落ち着いてすべてのアーティストを聴く事ができる設定になっていた。ベネズエラは、この素晴らしい会場を持ったことで文化的に飛躍的成果を上げているように思う。
DSC_1310カラカスでの仕事初日。まず、ビジネス・ミーティングは1時間遅れで始まったが、1ミーティングの時間を短縮して、ほぼ予定通りに終了。昼食を挟んでショーケースが開始。最初に登場したのは「ルイサーナ・ペレス」という女性歌手。カラカス・シンクロニカで来日したハビエル・マリンが中心となったバンドでアルバムも録音しているが、魅力的な歌が聴けた。ベネズエラの伝統音楽を現代的なサウンドでという発想にぴったりだが、もう少し場を踏んだら将来の明かるそうな歌手。次に登場した「リアナ・マルバ」はキーボードの弾き語りか
DSC_1099ら始まったが、ギターも作曲もやるマルチなシンガー&ソングライター。あのエンジェル・フォールのある大平原地帯グランサバナの出身とかで、声質、声量とも申し分ない。リズム&ブルースからヒップ・ホップまですべてを吸収して、昨年優秀女性歌手に送られるペプシ賞を受賞。楽しみな歌手。「ロス・エルマノス・ナトゥラレス」は、リーダーのクラリネット奏者、アンドレスがカラカスの音楽院で正式に音楽を学んで数々の賞を受けているように、音楽はしっかり作り込んである。詩も絵画も愛好する彼の人柄が前面に出たステージだ。次の「タカリグイタ・アンサンブル」のリーダー、ディオニス・バアモンデはアフロベネズエラ音楽を牽引する一人で、このアンサンブルではジャズとの融合を目指していた。ベネズエラのロック・エン・エスパニョールの旗手「ロス・ピクセル」もさすがに経験豊かな姿を見せていた。
この日のガラ・コンサートは目玉とも言うべきシモン・ボリーバル交響楽団の「カンタータ・クリオージャ」。もちろん、指揮はグスターボ・ドゥダメルなわけはなく、セサル・イバン・ララだったが、恥ずかしい話、私はこの日完全に体調を崩してしまい、聴けずじまいだった。聴いた全員が、格が違う素晴らしさと絶賛していた。残念。
翌日。「カラカス・シンクロニカ」は、様々なスタイルのベネズエラ音楽とジャズのフュージョンで、世界を股にかけて活動するこの国を代表するグループ。こちらは前述のハビエル・マリンの弟、ペドロ・マリンが創設者で、この日も伝統のホローポからジャズ感覚の濃い演奏までを聴かせてくれた。「ワアリ」は、音楽学校、芸術大学と進み、その後も俳優業、音楽担当、編曲、演出家として活躍する多彩なシンガー&ソングライター。ジャズとポップスが主体だが、ジャンルを問わず面白い実験を重ねている段階か。
続く「ユスタルディ・ラサ」はホローポのベテラン演奏家。幼少の時からマラカスを習得し、その後父のグループで様々なパーカッションを学んだ後に、突然クアトロとアルパを習得し出したらしい。後半にはダンスも登場して賑やかなステージを展開。「アフロコーディゴス・タンボール」は評判も聞いていて楽しみにしていたが、この日のショーケースの進行が遅れ、次との兼ね合いで聴けなかった。
この日のガラは、2004年に招聘したこの国最高の民族舞踊団「バサージョス・デ・ベネズエラ」。日本公演は回数も少なく、少し手伝って何とか仕上げた感じだったが、ここテレサ・カレーニョで見るのは初めてだった。演出、照明、音楽、ダンス、ビジュアルも含めてまったく生まれ変わったかのような素晴らしいものになっていた。
3日目。「バレンティーナ・イ・ノス」は若いバレンティーナ・ベセーラのバンド。長くカラカスでもジャズやブルースの世界で活躍してきた彼女が自分の名前を冠して出発したところらしい。ジャンルを問わず多彩な声を聴かせてくれる。歌は滅法巧いし、YOUTUBEで見ていたよりもずっと魅力的だ。注目していたい。
次に登場した「ゴジョ・レイナ」には驚いた。外国人のやるフラメンコではなく、完全なスペインのカンテ・フラメンコだ。聞くと、東京のベネズエラ大使館のモリス・レイナ氏(彼も立派な音楽家だ)の従弟に当たるのだそう。彼女の母親はベネズエラで最も大きなフラメンコ・ダンス学校を経営していて、彼女自身ダンサーで歌手なのだとか。セビージャに5年以上住んで研究してきたのだそうだ。ギターも一流だ。今後、フラメンコ風のベネズエラ音楽の世界も模索中とか。どこの国にいても本物でこれだけ上手いのだから、できればまずスペインで当てて欲しいものだ。
DSC_1195次の「ソコ・ボス」はベネズエラの民族楽器をもすべて声で表現する、マラカイボ出身のアカペラ・ボーカル・グループ。最初は民族楽器を声で真似ることから始まったそうだが、それからベネズエラの伝統音楽全体、やがて世界中の音楽へとレパートリーを広げつつあるとのこと。音楽のレベルも高いし、エンタテインメントとして十分に楽しめる。充実したグループだ。この日は充実したショーが続いた。カラカスの北にあるカリブ沿岸のバルガス州の小さな集団カラヤカのクリスマス・キャロル、あるいは伝統音楽を守る目的で続いている音楽集団「ボセス・リスエニャス・デ・カラヤカ」。大人数だが、今回はこのグループの3つの世代が集合したため。伝統音楽でもエレクトリック・サウンドの連続の中で、美しい合唱と民族楽器の素朴な音だけでこれだけ迫力あるステージを見せられると、さすがに興奮する。このグループは1994年にバルガス州の文化遺産に、2004年に国指定の文化遺産になった。この日はここで止めておけば良かった。というのはこれに続いた大ホールでの最悪のガラ。若者を代表するなかなかの出演者たちなのに、プロデューサーが無能なのか何をやりたいのか伝わらない。無能な馬鹿ほど「自分でも出来ると思い込む」典型だった。
翌18日は、招待者は全員帰国の日だが、私は次の仕事の関係で一日出発を遅らせてもらっていたら、この日のガラは「キューバの夜」だった。なんと、オルケスタ・アラゴンが出演する。1935年9月30日、キューバのシエンフエゴで、オレステス・アラゴンが主宰する二つのオルケスタが合体して以来75年間、現在まで連綿と続いている名楽団だ。翌日の出国の準備をほとんど終えて、バサージョの来日公演を一緒に完成させたエステル・マルカーノ女史と並んで一緒に楽しむことに。まずは「オルケスタ・ラティーナ・カリベーニャ・シモン・ボリーバル」だ。シモン・ボリーバル音楽院のバルデマール・ロドリゲス教授の指示で始められたオルケスタで、ベネズエラの有名な教育運動「エル・システマ」のもう一つのオルケスタになる。指揮はシモン・ボリーバル交響楽団の打楽器奏者で30年間在籍しているアルベルト・ベルガラ教授が45名の若者たちを物凄い世界に引っ張って行く。考えて見ると、天才グスターボ・ドゥダメルに実はこのオルケスタは良く似合うはずだが、彼は名声を得すぎ?しかし、アルベルト教授も決して負けていない。ステージ上を右に左に走り回って的確な指示を出す。会場は全員総立ちで踊り、叫ぶ。これぞラテン、の世界だ。
DSC_1427さて、オルケスタ・アラゴンだが、この若い勢いには、さすがに老楽団も闘うのは大変、と思いきや、さすがである。動きは静かに、しかしキューバ独特のリズムの強い「揺れ」はいささかも衰えない。会場中がその揺れに同化したところで、今度は若者に負けじと動き出す。なにしろ所謂ラテン文化の創造主たちだから、会場中が彼らの音楽に身を任せ、踊りまくる。最後に素晴らしい世界を味わって、この10日間連続の見本市体験は終了した。

この旅に発つ前、合衆国ではトランプが大統領選挙に勝ち、メデジン出発の日に、一度は国民選挙で否決されていたコロンビア政府とFARCの和平が再度成立、カラカスを発つ日にメデジンで日本の大学生が銃撃、殺害されるという悲しいニュースがあり、マイアミから日本に向かう日にはキューバのカストロ前議長が死去するというニュース。帰国後はまた、メデジン近くの山中にボリビア航空のラミア機が墜落、ブラジル・サッカー界の新しい英雄たちが多数亡くなるという悲報が続いた。
少し前まで、ベネズエラはコロンビアよりも安全だった。南米の友人たち全員から「コロンビアは避けた方が良い」と言われた。今、その噂は逆になっている。世界はめまぐるしく変わる。少し先の予想も付かない中に我々は生きているが、我々の想像を超えた苦しさの中でも、慎ましくも美しい音楽見本市とか、エル・システマなど当たり前に美しい音楽教育運動を続けて世の中を変えたいという強い「良心」だけは、どんな時代になっても変わらず続いていって欲しいと心から思う。(月刊ラティーナでのレポート記事)

グアコの日本公演途中で日本出発

DSC_0117 DSC_0121 DSC_0151 グアコの日本公演、14公演だけだが、なにしろ総勢28人という団体を面倒見るのは大変だ。昨年参加したベネズエラのFIMVENという音楽見本市と今年はコロンビアのCIRCULARTEと言う見本市の両方が一緒になって招待してくれることになっていた。旅費も滞在費もすべて持ってくれると言うことで、何とか参加したいと思っていたが、なかなかチケットが送られてこない。友人の石橋・東大教授も過去に同じ経験があって最終的に来ないこともあったとかで、ほとんど諦めかけていたが、なんと3日前になって送られてきた。送られてきた以上は参加しないと相手にも迷惑がかかるし、エエイっとばかりに飛び出してきた。こんな時に限って、グアコの公演で問題が起きるもの。彼らは今年のグラミー賞にノミネートされているが、可能性が出てきたのか、アカデミーの方からラスベガスの発表会場に一人は参加しなければならなくなったと言う。主催の民音の許可を何とか取り付けて、ギリギリの出発だった。

と言うわけで、前日はほとんど寝ずに旅の準備。しかも出発が成田11:50発だ。最後は必要不必要関係なくバッグに押しこみ、車で成田に向かった。

眠い。いつもならアメリカンのカウンターだが、送られてきたチケットはJALとの共同運航便。カウンターもJALで、何とも勝手が違う。座席の予約もしていないから、AAのラウンジでメデジンまでの座席の予約をして乗り込もうとしたが、最後の待合室で眠りこけってしまった。間一髪で乗り込むと、後はダラスまでほとんど眠りっぱなし。
今度はダラスのラウンジでビールにありついていたらIPhoneがなる。予定の便が遅れると。冗談じゃない。マイアミでのトランジットは最初から1時間ほどしかない。遅れたらもう終わりだ。「コロンビアの国からの招待で遅れたらエラいことになる」とか脅してようやく40分前の便に滑り込んだ。心配は荷物だ。必ず着くのは解っていても、空港に取りに行ったり、それは大変な仕事が待つことになる。半ば諦めながらメデジンの空港に着くと、出てきましたねぇ。トランプを大統領にしたあの国の航空会社、まだ駄目にはなっていないらしい。空港ではCIRCULARTEの手配でタクシーが待っていてくれた。ホテルまでは30キロほどと言うが、山を越えるため40分ほどかかる。で、これだけ忙しく旅をしてくると、今度は眠れないものだ。ビールを求めてフラフラ。このホテルのあるエル・ポブラド地区は夜中一人歩きしても安全ならしい。若者が集まるBARでビールにありついたが、さすがに閉店時間。部屋でも飲み足して倒れるように眠りに就いた。
ここだけでなく、ベネズエラもあるというのに、情報はこれから頭にたたき込む。最近はネットですべてが決まっていくシステムだから読み解くのに一苦労だ。しかし、なんとか登録を終えて、就寝。