ブエノス着、翌日オラシオ・ロモ撮影

出発が3時間以上遅れたが、さほど遅れずにブエノスアイレス到着。いつもの通りディアナが迎えてくれた。今回は住み慣れたメリア・ブエノスアイレス。最初は新しいし便利だと思ってここを常宿にしてきたが、そろそろ飽きてきたかな。とは言え、部屋は広いし、ネットもまぁまぁ問題ない。さすがにこの日は疲れたので、3人でアサードを喰って早めに横になった。翌日は、来春やってくるオラシオ・ロモ・セステートの録画。いつもの「カフェ・ビニーロ」での撮影だが、生憎の雨。外での写真撮影はあきらめて、後日にやることに。オラシオ・ロモは普段の行動や雰囲気とはまったく別に非常に真面目な男で、もう日本公演の練習は毎週2回程度やっているらしい。最初から「音」が違う。

実はこのオラシオ・ロモのセステートを決定するまでにはやや時間がかかった。本当はセステート・マジョールを招聘したかった。セステート・マジョールと言えば、ホセ・リベルテーラとル
sexteto-mayorイス・スタソという二人のバンドネオン奏者が出会ったことから始まる。彼らの出会いはリベルテーラが15才の時(1949)、「タンゴ・バー」というタンゲリアで、アルヘンティーノ・ガルバンと演奏していたルイス・スタソと知り合う。翌50年、リベルテーラはオアスマール・マデルナ楽団に入ることになったが、そこにスタソもいたというわけだ。1972年になって、彼らは「キンテート・マジョール」のような楽団を作りたいと思うようになる。もちろん、金があるはずもなく、ミュージシャンたち全員が少しづつ金を出し合って、週に一度のラジオ・エル・ムンドの出演による収入だけだったという。1973年、今度は「カサ・デ・ガルデル」(マチャード・ラモスが経営)で働くことになって、その経営者がこの名前を思いついた。1973年4月23日、セステート・マジョールは正式にデビューする事になった。当初は15日ほどの契約だったが、その後も名歌手グロリア・ディアスの伴奏も務めることになって、やがて彼女のおかげでTV「カナル9」への出演も決まった。続いて、ユダヤ人が経営する、当時のタンゴ陣としては最高のタンゴ・スポット「カーニョ・カトルセ」や「ビエホ・アルマセン」「カサ・ブランカ」への出演も決まっていった。最初の編成は

だった。結成後一年でニチェーレとスアレス・パスが抜け、マリオ・アブラモビッチとフアン・マサディに、ベースのクーポはキチョ・ディアスに。80年になってピアニスト、マサディがオスカル・パレルモに。

1981年も彼らにとっては大きな出来事が起こった年だった。トマス・バルナがパリに開店する「トロトワール・デ・ブエノスアイレス」に彼らを連れて行った。ここには著名なフリオ・コルタサル、イヴ・モンタン、パロマ・ピカソと言った著名人が来ることでも有名になったが、なにより、「セステート・マジョール」の名前を世界に広めるきっかけとなった。ここでやがて世界を席巻する「タンゴ・アルヘンティーノ」のアイデアが生まれたのである。リベルテーラ、振付のクラウディア・セゴビア、エクトル・オレソリが基本的な構成を考えた。パリでのこのショーのデビューはもの凄いメンバーで始められることになる。セステート・マジョール、サルガン=デ・リオ、ラビエ、ゴジェネチェ、エルバ・ベロン、アルバ・ソリス、ホビータ・ルナ、マリア・グラーニャと言う凄すぎの歌手陣、そしてダンサー陣も凄い。コーペス&ニエベス、マジョラル&エルサ・マリア、グローリア&エドゥアルド、ビルラーソ&エルビラ…。このショーは想像を遙かに超える大ヒットとなった。やがてブロードウェイから世界へ。

83年、ミセが亡くなって エドゥアルド・バルサック、92年キチョが亡くなってオスバルド・アルビシーノが加入。

 

Sexteto-Mayor-thumb-500x350-794622004年、12月8日、当時私はブエノスアイレスで、当時のセステートのマネージャを務めていたマルモンティと打ち合わせをしているところにパリにいたセステートの仲間から悲報が届いた。リベルテーラが亡くなったという。2005年になってルイス・スターソが脱退することに。そこで、バンドネオン奏者件指揮者に選ばれたのがオラシオ・ロモとワルテル・リオスだった。その後すぐにリオスが脱退、パブロ・マイネッティに。ベース奏者エンリケ・ゲラに。2007年ピアノのオスカル・パレルモが亡くなって現在のフルビオ・ジラウドが。2014年12月1日に、マリオ・アブラモビッチが亡くなってロモの盟友パブロ・アグリが加入した。こうして現在のセステート・マジョールは、主に「トルクアート・タッソ」などで活動を続けている。

さて、ロモが音楽リーダーとなって、アレンジにはやや新しいところが増えてきたが、相変わらずの人気で、マジョール出演の日はいつも満員の盛況だ。

さて、日本招聘の話に戻るが、セステート・マジョールには83年からメンバーだったエドゥアルド・バルサックがいて、これは現在でも素晴らしい演奏を聴かせている。しかし、かなりの高齢。2ヶ月以上にも及ぶ日本公演に連れてくるのは大変だ。ということで、ろもと入念な打ち合わせでロモが2013年に結成した「オラシオ・ロモ・セステート」の形で連れてくることになったというわけだ。オラシオ・ロモは現在43才、一番脂ののった音楽家だ。ブエノスアイレスの大物歌手たちが一番の伴奏者としてロモをあげるが、彼らのほとんどの録音にも参加している。テクニックが完璧な上に、歌手たちの要求を素早く関知してアレンジするからだ。セステート・マジョールのレパートリーや、彼自身のアレンジも評判が良い。で、じつは歌手にはロモの夫人で人気のエレオノーラを予定していたが、なんとお目出度で、タンゴ・パッションで世界中にファンを持つイネス・クエージョに変更。最初の案では

Daniel Falasca (contrabajo) Fulvio Giraudo ( piano) Manuel Quiroga ( violin) Leonardo Ferreira ( violin) Luciano Sciarretta ( bandoneón ) Horacio romo ( bandoneón)Eleonora Barletta ( cantante )

だったが、第一バイオリンのレオナルド・フェレイラがヨーロッパでの別な仕事とかぶって来日できず、やはりバイオリンの第一人者ウンベルト・リドルフィに変わった。いずれにしても凄いメンバーがいとも簡単に決まってしまう。ロモの人望の厚さが人を呼ぶのだと思う。以下は、最終的な今回のメンバー。

_DSC5696Daniel Falasca ( contrabajo) Fulvio Giraudo ( piano) Manuel Quiroga ( violin) Humberto Ridolfi( violin) Luciano Sciarretta ( bandoneón ) Horacio romo ( bandoneón) Inés Cuello ( cantante)

7月に弊社の宇戸を連れてブエノスに行った際、やはり到着した翌日にこのロモ率いる「セステート・マジョール」とマリア・グラーニャのコンサートを聴きにトルクアート・たっそに行ったが、得意の「カセロン・デ・テハス」「シン・パラブラ」の熱唱は感動ものだった。ロモのセステートも風格に溢れた演奏で万雷の拍手を浴びていた。

そして今回。到着の翌日は今度はカフェ・ビニーロでオラシオ・ロモ・セステートの録画だった。これはいずれラティーナのHPでも紹介するが、既にもの凄い演奏だ。ほとんど2テイクで完成。恐らく近年のこの時期としては最高のまとまりだ。翌日、スポンサーがやってくるが、彼らにこの演奏を聴かせられないのが残念だった。しかも、雨のため写真撮影も、スポンサーが帰国後になってしまった。なにしろ、彼のメンバーは誰もが超の字のつく忙しさだ。仕方がない。しかし、来年のショーは素晴らしいものになること間違いない。

そして、今回。そそそし

で、じつは歌手にはで