帰国して2週間、憂鬱な日本

忙しかったニカラグア、ブエノスアイレスの旅を終え帰国して早くも2週間が過ぎた。私は日本人に生まれたことには誇りを持っているし、日本が大好きだ。しかし、最近この国にいると気が滅入るのも事実だ。おかしな事が多すぎる。もっとも、おかしな事は日本だけではない。アメリカの大統領選挙でもあの大金持ち暴言王トランプが共和党の指名獲得を確実にしているし、オバマが広島に来るとなると、どこぞの首相はいつも言っていることややっていることを顧みず、ただただその人気に相乗り姿勢。オバマにしても本当はあんな首相に同行などされちゃ迷惑だろうに、面倒を起こして米の世論に影響させたくないからだろう、とりあえず日本政府に言われるま_DSC9461ま。沖縄の少女が元海兵隊に襲われ撲殺されても、「強い怒り」を…のメッセージだけを繰り返すメディアとの出来レースばかり。本当は沖縄の問題、当然日米地位協定の改訂に踏み込むまたとないチャンスなのに、ほとんどやる気も見えない。

「今回は、公務外の事件であり、日本側が身柄を確保したため、地位協定が壁となって捜査が進まない状況ではないが、沖縄県内では地位協定の存在が米兵らに特権意識を生み、凶悪犯罪を誘発したとの厳しい見方も出ている。地位協定の運用改善では、犯罪抑止効果が限られるのが現状だ。翁長氏が「再発防止や綱紀粛正という言葉を何百回も聞かされてきたが、現状は何も変わらない」と訴えるのも当然である。日米安全保障条約に基づく米軍の日本駐留が、日本と周辺地域の平和と安全に死活的に重要だというのなら、安倍内閣は地位協定から治外法権的な要素を除外する改定をまず提起すべきではないか。」(東京新聞・5/24)に同意。政権の道具に成り下がった他のメディアの報道からもまったく迫力を感じない。この国は一体どうなってしまったのだろう。本当に恐ろしい国に成り下がってしまったものだ。

 

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ガブリエラ・ミチェティ・アルゼンチン副大統領

5月11日から13日まで,ガブリエラ・ミチェティ・アルゼンチン共和国副大統領(H.E.Ms. Gabriela MICHETTI, Vice president of the Argentine Republic)が訪日した。ミチェティは、昨年のブエノスアイレス市長選に立候補し、ロンバルディ氏の後押しを受けて健闘したものの敗れた。実は選挙前の人気は一番だったから、本来ならば市長になるはずが、大統領選に出馬するマクリが副大統領候補と考えていたため、市長選挙ではマクリはロドリゲス・ラレータを強力に推薦したため、市長選では敗れていた。しかし、マクリが市長になったときの副市長がこのミチェッティだったとおり実はマクリのSんらいは厚い人だ。事故で下半身不随だが、メネム時代からの政治実績も十分、カリスマ的な演説も抜群。とにかく評判の良い「車椅子の副大統領」のご尊顔だけでも拝みたかったが、今回はたった3日間でスケジュールもびっしり、不可能だった。ところで、今回の彼女の訪日目的は「アルゼンチン政府の対外政策及びアルゼンチンにおける投資環境の改善につき説明し,日本から質の高い投資を受け入れたい」こと。12日に「日アルゼンチン官民経済フォーラム」を開催,貿易投資合同委員会を設置して日・アルゼンチン経済関係強化を計った。また日本貿易振興機構(JETRO)は,日本企業ミッションをアルゼンチンに向けて派遣し,駐在員派遣の再開を決定した。

朝日インタビュー

ところで、このミチェッティ副大統領を擁するマクリ政権、世界からの期待は大きいし、実際にこうしてよく働いてはいるが、山積する問題が多すぎという声が多い。ここに来て、分裂を繰り返してきた組合やペロン党全体が再結晶の動きを見せていて、相当難しい状況も見え始めている。なにしろ、ペロン派の方がストライキやデモの開催についてはプロだから、まだまだやかが安定するまでには何年もかかるのだろう。

 

桝添の件。話にならない。今表に出ているだけではなく、これは叩けば叩くほど埃まみれになるに違いない。今もTVで「第三者」の選定を決めたと報道されているが、だったらこの間の記者会見の時ではまだ選定すらしていなかったわけだから、冗談じゃぁない。もともと、彼がTVに

出始めた頃、フランス関係の集まりに良く出ていた故木立玲子さん(弊誌ラティーナにずっと載してくれたほか、乳癌関係の本で注目されたが、パリで乳がんで亡くなった)から、この男の
醜聞をいくつも聞かされた。金、女…その話が本当なのかどうか興味もないが、木立さんは決して適当なことは言わない人だった。さっさと都知事辞任して欲しい。

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この3点、2010年11月の伊勢神宮写真。

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_DSC7626今日、伊勢志摩サミットが開催されて、TVでは伊勢神宮を参拝する各国首脳の映像が流されている。テロ対策とかイギリスのEU離脱問題とかそれぞれに難問は山積しているのに、最大のテーマは世界経済の安定成長とか。成功できてない「三本の矢」をここでも主張するようだが、世界の首脳は馬鹿じゃない。日本の財政出動がうまくいっているかどうかは十分に認識しているから、まとまるわけはない。大金を使って日本の恥

 

をまき散らして欲しくない。伊勢・志摩の美しさが宣伝されることだけは良いことだが…。

 

_DSC9418 DSC_7995仕事のことで、あまりに馬鹿馬鹿しい作業に振り回されて、憂鬱は頂点に達しそう。で、この日曜日、美登利の誕生日(5/21だが一日遅れに)と気晴らしに2人で久しぶりのドライヴ。混雑を避けるつもりで千葉方面に出かけたが、アクアラインも海ほたるも真っ赤だ。しょうがないから宮野木から京葉道路を避けて酒々井から圏央道を目指して、最終的には養老渓谷を目指すことにした。この渓谷は何度も来ているのだが、他を廻ってくるのでいつも滝までおりずに帰っていたから、今度は滝を近くで楽しむことに。到着すると、滝が水量不足で寂しい。上流が観ず不足でここのところはいつも水量がこんなものだという。しかし、十分においしい空気をたっぷり吸い込んで元気復活。その後、大多喜町で越戸の雰囲気を味わおうとしたが、大多喜町、全くやる気がない。店は開いてないし、越戸と言うにはあまりに昔のままの邸宅も少ない。聞くと、若者が街を出て行って、空き家も増えているのだとか。でも、だとしたら再開発できそうなものだが。頑張って欲しい。

忙しい日程を終え、いよいよ帰国へ

_DSC9024Xニカラグアからブエノスへ入り、慌ただしく過ごしているうちに、もう帰国の日となった。今回急に日本出発となったのは、ニカラグアでのメンバー決定が一番だった。カティアという歌手を決めていたのはよいが、前回は録画するというのにメンバーのレベルが酷かった…。ずっと心配だった。国際的なレベルのミュージシャンがそう多くないこの国で、それでもこの間のメンバーはちょっと?だった。で、youtubeなどでもいろいろ調べたが、なかなか適当なのがいない。しばらくしてカティア側から「良いのが決まりそう」と連絡を受けたのが出発の数週間前、それが「ラ・クネータ」だった。いわゆる今中南米で絶好調のクンビア・バンド、今年のグラミー賞にノミネートされていたなかなかのバンド。しかし、カティアの音楽とどうしてもシンクロしない。で、聞いていくうちに、カティア自身が「全く心配するな」と言っているという。で、とにもかくにも確認と思って日本を飛び出したのだ。カネータは現在ヨーロッパ・ツアー中だが、この時期を逃すと、自分のスケジュールが適当な時期に組めないこともあるし、来春のタンゴでの歌手の問題も浮上(ロモの夫人だったが、なんと夫婦初めての妊娠)、楽団メンバーにも変更の可能性が、とまとめておくことがたくさんになってきた故の出発だった。しかし、そんな出発前の問題をすべてクリアーできて帰国につくことにできた。

 

_DSC9383ロンバルディ大臣への選挙での勝利への挨拶ができていなかったこと、また敗れてしまったグスターボ・ロペス前官房副長官へのねぎらい。これも結構気になっていたこと。また、今回直前になくなったマリアーノ・モーレスにはずいぶん世話になっていたのに、ここ数年手紙を書こうにも縛らす返事がなく、心配だったこと。これもすべて解決しての帰国となった。ロペス氏は海外出張中で直接に電話で話せたが、彼は全く元気。今後のことはまだ決めていないが、問題なしという。クリスティー_DSC9366ナ前大統領は今や出身地パタゴニアやブエノスアイレスのプエルト・マデーロに所有するマンション3室をつかってのマネーロンダリングが発覚して裁判中だが、ロペス氏は敏腕弁護士が本業で、その裁判にかり出されているのでは?という心配もなく、復帰へ向けての充電中だそう。次回は必ず彼の家で亜サード大会をやろうと言うことに。ロペス長官ははもともとクリスティーナの正義党ではないし、ペロニスタでもない。ブラジルと共同でデジタルTVの方式を日本方式にする件で、当時国営放送局のトップにいたロペスをクリスティーナが直接連れてきたのが真相だ。もっとも、彼の弁護士としての実力を大いに使ってメディア法を成立させたり、ロペス氏も?と思っていた政界の事件の弁護団を率いて勝利させてきたのも事実。しかし、クリスティーナが配線すると、これは南米の常だが、前政権を取り巻く疑惑が噴出中。はっきりってかなり心配していたが、これらの騒動とは無縁にやっているらしいと聞いて安心。モーレスの孫との出会いもこのブログに書いたとおり。まだまだクリアすることはたくさんあるが、これまで抱えてきたもやもやを一気に吹っ飛ばせる良い旅になった。

 

最終日は日曜日。前日に荷物は作っておいたので、夕方ホテルの出発前に電話が来た歌手と会うだけ。ということで、サンテルモで今度持ってきたレンズを試しに写真撮影でもしようと言うことにした。やればやるほどいろいろな発見をして面白い。しばらくこのレンズにはまりそう。

 

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アドリアーナ・ナノ

さて、いよいよ最終的に昨日連絡があって急遽会うことになった女性歌手、アドリアーナ・ナノとの面会。資料を持ってきてくれたが、彼女は長くNYにも住んでいるらしく、英語は完璧だし、彼女に関するHPやblog、SNSもなかなか充実している。このところ、我々が関わるアーティストにはグラミー・ノミネート組がたくさん搭乗するが、彼女も最近グラミーにノミネートされたのだとか。CDを聴いたりYoutubeを覗いてみると、彼女はタンゴだけではなく、もっとぽぴゅらーなものやフォルクローレも歌っている。なかなか良いのだが、飛び抜けた魅力は感じない。この仕事で、自分がこう感じたのに、話を続ける時が一番つらい。で、彼女は結構世界中をツアーしているのだが、日本には行ったことがないので、ネットで廉価チケットを発見して家族で日本にいくらしい。ついでになにかあれば、歌いたいのだそう。で、今年のスケジュールを見ると、東京タンゴ祭が今年は10月2日、ちょうど良い。しかし、ゆっくり聴き直してみて、みんなが喜ぶようだったら多少でも参加してもらおうと思ったが、何曲か聴いてこれは目がなさそう、となってしまった。

 

13151782_10204587034555215_4039848587715941374_n 13151496_10204587034475213_7212187325020477070_nあっ、そうそう昨日のイベントの件メモ。どうも最近はFBで書いてしまうとここのメモを忘れてしまう。最終日前日の土曜日、ロンバルディ大臣からの招待でCCK(セントロ・クルトゥラル・キルシュネル)の再オープン2日目のコンサートへ。コロン劇場を巡って対立していた前政権が、コロン並みの劇場を作ってしまった。これが「鯨」とよばれるホール。昔中央郵便局だった巨大建物の中をくり抜いて、スタジオの感覚でホール全体の接地面を思い切り少なくし、中にステージと客席を作っている。パイプオルガンもコーラス席も完璧。

今日の演目は国立シンフォニー・オーケストラ、ステファン・ラノ指揮でアルゼンチンを代表する作曲家A.ヒナステーラ(ピアソラも彼に習った)の交響的変奏曲 Variaciones Concertantes 作品23、国立混声合唱団が入って、バルトークの「カンタータ・プロファーナ」、第二部はリヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラはこう語った』だった。
滅多にシンフォニーを聴かなくなっていたが、音響の良い小屋であの音量で鳴ってくれると迫力がある。しかし、前政権時にはすべて無料で国民に解放していたが、コロンや、他にも立派な小屋がたくさんあって、やっていけるのだろうか、人ごとながら心配。とりあえずモッシ氏とロンバルディ大臣の腕の見せ所だろう。とりあえず、大臣はここに選挙対策で雇われた?まったく無駄な700人の首を切って再開したが、いずれにしても大変だとは思う。この日はマクリ大統領も出席と聞いていたが、若い幹事長マルコス・ペーニャが来賓としてきていた。

 

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エセイサ空港までのバスレーン。これもMETROBUS?

ホテルは15時まででチェックアウトしていたので、何もすることはないし、とりあえずディアナの車でエセイサ空港へ。空港への高速道路だが、中央にバス専用レーンができていて、混雑とは関係なくなっていた。私はバスを利用したことがないから詳しくはわからないが、ひょっとしたら一番楽に早く行けるのはあの高速バスかもしれない。空港で、私はアメリカン航空のステータスが最上のため、エコノミーのチケットでもファースト・クラスでのチェックインができる。早々とラウンジに向かうことに。で、今回は結構元気なのでエコノミーのままでも、と思ったが、エセイサ〜ニューヨークのアメリカンは、ビジネスクラスがあのファーストもどき、フルフラットの凄い奴。NY〜TYOがJALとの共同運行だから、マイレージの威力が届かないためにNYまでなのが(普通は日本まで)残念だが、ついつい無料アップグレードを申し込んでしまった。で、NYまではぐっすり。日本で待つ仕事のことは考えないように…。

今回最も忙しかった一日!

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ネストル・マルコーニ

この日は巨匠ネストル・マルコーニが訪ねてきてくれた。この人とは本と・付き合いが古い。78年頃だったろうか、まだあの「カーニョ・カトルセ」というタンゴ・ハウスがブエノスアイレスの真ん中にあって、セステート、タンゴ、セステート・マジョール、ビルヒニア・ルーケなど錚々たるメンバー出演していたタンゴ・ハウスで知り合った。この店は、ユダヤ系の経営者で、いわゆる観光客相手ではなく、ブエノスのタンゴ好きたちに寄りついてもらえる質の高い店だった。しかし、そんな美しい発送の店が当時のブエノスアイレスでは成功するはずもなく、少しづつ下火になっていったのだが、その少し前くらいにマルコーニは、ここで所謂箱アーティストとして働いていた。猛一人、そこにあのギタリストのフアンホ・ドミンゲスがいた。通常週末は流行るが、この手の店に限らず、週の始まりあたりはいつも店は空いていた。しかし、この店のはやらない時、この二人はいつもタンゴを即興でもの凄いものに作っては楽しんでいた。二人とも、所謂アドリブでもの凄い演奏をできるのは、この時の練習のたまものと思う。もの凄い陰険勝負だったから。

 

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ネストル・マルコーニ

やがて、決して観光客を嫌っていたわけではないが、その前にブエノスアイレスのワイン好きとタンゴ好きが先に集まる「クルブ・デル・ビーノ」というライヴ。ハウスに出演するようになった。この店はしばらく繁盛しながら続いたが、ここでの週末はいつもマルコーニのキンテーとが聴けた。この頃から、ブエノスアイレスに着くとまずこの「クルブ….」に顔を出すようになっていた。やがて、クルビも経営者が飽きてしまったのか閉店した。すると今度は、ボルヘスが好んだというブエノスアイレスのパレルモ地区不動産業者たちが首を付き合わせて新しい粋な街作りをしようと、名前もパレルモ・ソーホー、パレルモ・ハリウッドと名付けて開発しだしたが、そのパレルモ・ソーホーの真ん中に「カフェ・オメロ」が開店し、またマルコーニが中心になって音楽家たちが集められた。まさに、凄いメンバーたちの集まる店だった。リドルフィ、タランティーノといった巨匠たちに歌手はゴジェネチェとアドリアーナ・バレーラというもの凄い編成。それは凄い演奏だった。89年、外務省の大イベントで行った「タンギッシモ」のアイデアはここから生まれた。これはブエノスアイレスの古いタンゴ・アーティストの間でも傑作と評価されたショーだった。

すでに何年も前からマルコーニはブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラの指揮・編曲・バンドネオン奏者として活躍している。初代のカルロス・ガルシーアから、ラウル・ガレーロなどいろいろな指揮者が名を連ねていったが、このオケは一応公務員で、うまくやろうと下手に演奏しようと給料が変わらないからメンバーの士気が上がらないとまったくつまらない楽団、とある巨匠に教えてもらったことがある。しかし、このメルコーニはミュージシャンズ・ミュージシャンだ。彼があの粋な編曲で式台に立つといつもメンバーの背筋が伸びる。マルコーニとはそんな巨匠だ。

 

今回また三浦一馬との共演、大阪フィルとの共演で来日し、その世話をすることになり、一応招聘に関する仕事は片づいているのでとくに会う必要もないのだが、土曜日にCCKで行われる市立タンゴ・オーケストラ公演のリハが近くであるというので私のホテルに寄ってくれたわけだ。いつものことだが、これほどの巨匠なのに、会うといつも冗談ばかりでなかなか本題に入らないが、今回も一応日本での行動を確認するくらいで話は終わってしまった。土曜日のCCKのコンサートは帰国前日で忙しいから行けないと断ったが、恐らく素晴らしい公演だったと思う。

 

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ファビオ・ハーゲル
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ファビオ・ハーゲル・セステート

次に、今後招聘予定のあるファビオ・ハーゲル。彼は今まで何度も日本にやってきているが、日本のファンの心を一番掴んできたバンドネオン奏者だ。昔からタンゴのCDを発売してきた日本のビクターでは一番のセールスを記録してきたアーティストだ。今までも「セニョール・タンゴ」「ビエホ・アルマセン」などブエノスの一流タンゴ・ハウスで長く看板楽団として活躍しているが、現在は「サボール・ア・タンゴ」の専属で活躍中。夫人は昔日本にもやっていたダンサーで、夫婦でステージを作って廻しているわけだ。さて、昨年までは、このブエノスアイレスには物凄い観光客がやってきて、サボール・ア・タンゴだけでなく、セニョール・タンゴ、タンゴ・ポルテーニョと言った店は一日3廻しもするほどの好調さだったのが、今年に入って急激に観光客が減ってきているのだという。まだ真冬はヨーロッパの客が呼べるから良いのだろうが、今の時期は今まではブラジルからやってくる観光客が一番多かったのだが、ご存じの通りブラジルはオリンピックを控えているのに経済は大不況の上、大統領の弾劾騒ぎにまで発展してしまって、観光どころの状況ではなくなったというわけだ。いよいよ月曜日はショー無し、と言う店も出始めているそう。

 

このファビオ、元々はダリエンソのスタイルが得意だったが、今ではプグリエーセからピアソラまでなんでもアレンジして受けさせてしまう、ある種の天才だ。いよいよまた海外公演を真面目に手がける時期がやってきたらしい。日本にもそろそろやってきたもらいたい。

 

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フリア&クラウディオ
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アレハンドラ&ダニエル、中央は息子の天才ダンサー

そして、今年のタンゴダンス世界選手権アジア大会の審査員たち。今年は例年にも増して素晴らしい2カップ理がやってきてくれることになった。毎年ステージ部門では一番重要な立場で審査員を務めてきているクラウディオ・ゴンザレスと、2年前に来日してまさに芸術的な振付を見せてくれたフリア・ウルティのカップル。このカップルはいずれもプロ仲間たちからは絶大な人気を誇っていたが、実は3年ほど前から一緒になって振付、作品作りに邁進してきていたのだそう。今回も審査員ではあるものの、中身の濃いデモンストレーションを見せてくれるという。もう一カップルは毎年ルナパークの決勝でアトラクションをクンで見せてくれているグループ「コルポラシオン・タンゴ」のリーダー夫妻、アレハンドラ&ダニエル。あまり知られていないが、実は昨年のチャンピオンを始め、ステージ、ピスタ両部門の数々のチャンピオンたちを教えてきた素晴らしい教師でもある。この2カップルが今回は特別なアトラクションを用意してやってきてくれる。このアトラクションだけでも選手権の会場に足を運ぶ価値がありそうだ。

 

そして、この夜はメトロポリタン選手権の予選が始まっていたので、市事務局のフアンホと一緒に訪ねることにした。場所はダンススペースとして_DSC9312は老舗の「サロン・エル・ピアル」もう約70年近くこのブエノスアイレスのダンスの歴史を支えてきたホールだ。広さと言い、雰囲気と言い申し分ない会場。ここでタンゴ部門、ミロンガ部門、ワルツ部門が競われているが、タンゴ部門の中でも地震のある連中がみろんが部門にも出場しているとあって、特にミロンガ部門は見所が多かった。ワルツ部門は果たしてこの選手権に必要なのか?しかし、終始明るい雰囲気という羨ましい中での決戦だっ_DSC9350た。特に我々のいる席には教師協会の会長(その昔、日本でのタンゴ連盟設立の時に後援依頼したら偉そうにああだこうだ言うものだから喧嘩した記憶もある)や市の関係者等飲ンべえばかりが集まってくる。この日は朝から忙しかった。さすがに限界です。

そのその

ガブリエル・モーレス、ロンバルディ大臣

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ガブリエル・モーレス

昨日は、ようやくマリアーノ・モーレスの孫、ガブリエルと愛顧とができた。今までもこちらの友人を通して何度も接触を試みてきたのだが、何故かうまくいかなかった。しかし、今回は、まずFBでメッセージを送り、マリア−ノの思い出を話し合いたい旨を伝えていたら、返事が来た。今まで会えなかったのはなんだったのだろう?5月4日1時、時間ぴったりに彼は現れた。以前通りあのモーレス譲りの笑顔で。で、早速小インタビューでもしようと思ったが、彼がマリアーノのこと、日本の思い出など、蕩々と話し始めた。マリアーノがステージ上で話した日本語は今でも覚えていて、上手に真似ができている。なにしろあの当時は彼は20才。モーレスの息子ニト(ガブリエルの父)が急病(癌だった)で来日できなくなって、ニトが歌うはずだった曲の1部をガブリエルが歌うと言う設定になった。それまで、ガブリエルはプロとして働いたことは一度もなかったわけだから、はっきり言ってモーレスも最初は反対だったそう。でも、ニトにも勧められてステージに立つことになったのだそう。だから、あのツアーのことは鮮明に覚えていて、モーレス自身も海外で行ってきたツアーの中で日本のは特別。音も照明も舞台も、ブエノスアイレス以外であれほど

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モーレスとガブリエル

の準備が整った海外公演は初めてと言っていたそう。あの公演では、途中でニトが亡くなり、一端モーレスとミルナ夫人、ガブリエルは帰国、でもとんぼ返りですぐに戻ってきて全国公演を続けた。あのプロ根性、じつは世界でも日本でも昔の芸人はみんなこうだった。ブラジルからやってきたエリゼッチもそうだった。エリゼッチは日本公演の途中で癌が発見されたが「私は大丈夫。この歳になればそれほど進行するわけがない。私は続ける」と言ってついに最後まで公演を続けたが、あの時も非常に疲れたがあのプロ根性を見せつけられて感動したものだった。

 

ガブリエルの言葉「祖父は98才で大分前から認知症も患っていたから、病院ではなく自宅療養と言うことにした。でも常時4人の看護婦を付け、家族も交代で週に3回は必ず行くことにしていた。そんな状態だったから、亡くなった時は、みんなが「ご苦労さん」と声をかける状態で、逆に楽になって良かったね、という感じで送り出した。翌日国会議事堂とかいろいろ用意されたけれど、やっぱり祖父に一番似合ったコロン劇場でお別れ会をやった。でも、祖父の亡くなった翌日は、クリスティーナ元大統領が、プエルト・マデーロに持っているマンションを通して資金洗浄の疑いで裁判所に出頭する日だったので、新聞もそれ一色。スペースこそ結構大きかったけれど死に至る詳細が少なかったのはそのせいだと思う」

 

ガブリエルはこれからもモーレス楽団を率いて活動を続けるそう。ただ、昔からいてモーレスをいろいろ助けてきたスニーニも5,6年前に他界したし、メンバーは組み直しだという。それよりも、今の関心事はマリアーノ・モレスの200曲近い作品オーケストラ・バージョンの譜面をきちんとして残すこと、これに精魂を傾けている。みんな200曲というと、首を傾げるが、モーレスは決して多作ではなかった。1曲に集中して時間をかけて作る人だったから、およそ8割が大ヒットした。だからもっとあると思われる訳だ。まぁ、いつの日か新しいガブリエルのモーレス楽団を聴いて、チャンスがあれば日本にも連れて来たい。

 

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いつものようにジーンズ姿で執務するロンバルディ大臣と

この日は、昨年の大統領選挙が終わってから初めて親しくして頂いているロンバルディ大臣に会うことになった。彼は公共メディア(TV6局、ラジオ全体)とCCK(セントロ・クルトゥラル・キルシュネル)の管理・運営、国営イベント会場の管理・運営する新しい省庁のの大臣になった。なにしろロンバルディという人は激しく仕事をする仕事人だ今のマクリ大統領が市長になると、ロンバルディを観光・文化大臣に任命、彼はすぐにタンゴをユネスコの世界無形文化財の指定に向けて全力をあげ、2009年には登録された。さらに、タンゴ・ダンス世界選手権も、いろいろ変遷させたが、最後は決勝大会をルナパークに持ってきて、まさに国民的イベントに仕立て上げた。そして、選手権開かれるこちらの冬は環境客が一番少ない時期だが、この選手権で多くの観光客を呼ぶことにも成功した。じつは、ロンバルディという人は実に多才な人で、少し前にも書いたが建築技師の資格も持っていて、ラ・プラタ市や、ブエノスアイレスでも新しい高層マンションで中心になって建築の運営を担当してきたし、観光面でも南部のティエラ・デ・フエゴやネウケンを開発、世界的に有名な観光地に仕立て上げた。

 

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CCKホール部分を建物内部から

午後4時半、いつも忙しい彼はたくさんの先客を裁いた後、両手を広げて迎えてくれた。いつもの通りジーンズ姿だ。早速日本から持ってきた紅葉饅頭と日本酒を渡すと大喜び。彼の事務所は現在CCKの中にある。CCKは、前政権のクリスティーナとマクリがコロン劇場の再オープンを巡って大喧嘩しそれ以来ほとんど顔も合わせなくなった事件の後、クリスティーナが国の施設として中央郵便局の跡のビルを改装してもの凄いコンサート・ホールにしたところだ。中は何回分も打ち抜いてスタジオの要領ですべてを接地面から浮かして外からの清池イオンをなくす工

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上から吊られている展示会場。

法で吊られていて、外側から見ると鯨のように見えることからバジェーナ(鯨)の愛称で親しまれている。しかし、これが公開された直後から「コロン劇場もあるし、その他にもたくさん国営、市営の劇場があるのに、大金をかけて何故」と批判の声も大きかった。たしかに、もの凄い施設で世界でも類を見ない建築物だ。しかし、この資金苦しむ国にどうしてこんなものをと言う疑問は誰しもが考える規模だ。しかも、クリスティーナは昨年の大統領線前に、この施設に何も関係のない人間を大量に雇うことにした。明らかに選挙対策だ。その他、他国と国境を交える地方では大量の外国人移住希望者がビザを取得できたと言う、あれも選挙目当ての事だった。まぁ、これは何もクリスティーナ政権だけがやることではなく、この国の政治ではよく行われてきたこと。今回はその規模が尋常じゃなかったと言うことだろう。さて、ロンバルディは就任直後の調査で、このことを発見、即座にに700人の職員の首を切った。だから、以前から予定されていたスケジュールは中止となっていた。ついでに、名前も前大統領でクリスティーナのキルシュネルと命名していることに大半市民から反発があったが、これはすぐには変更できない。しかし、ロンバルディ大臣はこれをも変更しようとしている。

 

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鯨の床部分。床底はかろうじて接地している。
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CCK入口のオブジェ

 

ロンバルディ大臣は、今度行くミケッティに同行する予定だったが、今のところ、この国でやることが多すぎてとても今回は同行できなかったという。ミケッティ副大統領の最大の後ろ盾はロンバルディ大臣だ。今回は見送ることにしても、近い将来、学ぶことの多い日本を今の職務の立場で言ってみたい、という。もちろん、このCCKのホールでも一番の仲間のモッシが官庁だから、Kならず何か大きなイベントをやろうと言うことで盛りあがった。で、ちょうどこの日は再オープンのパーティがあってマクリも出席するからと招待されたが、生憎この日はスケジュールを入れていたので辞退。かわりに金曜日、オープン第2日のシンフォニー・コンサートに参加させて頂くことにした。なにしろ、元気でじつに精力的、しかももの凄い知識を持っている人だけに、この大臣と友人でいられることは光栄なことだし、今後も楽しく付き合っていきたいと思う。

 

オラシオ・ロモ、アメリカから帰還

いよいよ本格的に仕事になってきた。毎年恒例のタンゴ・シリーズに決まっているオラシオ・ロモのセステート。もの凄いメンバーで構成されているが、バンドネオン兼リーダのロモが、フォーエヴァー・タンゴのアメリカ公演から帰国したばかり。現在はロモが音楽監督で、未だにアメリカで人気、ほぼ毎回満席だという。今度のオラシオのセステートは、その誰もが最高と認めるメンバーばかりを集めた強力セステートになるが、一部メンバーの変更がありそう。今のところのメンバーは

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オラシオ・ロモ

Daniel falasca ( contrabajo) Fulvio Giraudo ( piano) Manuel Quiroga ( violin) Leonardo Ferreira ( violin) Luciano Sciarretta ( bandoneón ) Horacio romo ( bandoneón)

誰か名前はまだ出せないが、もし本格的に1人が来日出来ないとしても、次に予定しているメンバーも実力十分、アルゼンチンで最高のと形容される凄い音楽家だ。そうなった場合にはこのセステートへの参加も決めているとあって、一安心。

 

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昨年、トルクアート・タッソで偶然出くわしたパブロとオラシオ・ロモ

それから、歌手は彼の女房で、Eleonora Barlettaだったが、なんと最近妊娠したというめでたいニュースで来日は出来なくなった。歌手の選定が今回の急務だ。私の知っている歌手、オラシオが進める歌手、と一応かなりの数を出して、昨日は一緒に聞きまくったが、今のアルゼンチンにはまだまだ知らない名歌手がたくさんいるし、生まれてきている。Youtubeを使って大検討会となったが、まず、来週の1月から3月までの期間に参加できる歌手という条件をクリアしただけで、大分絞られてきた。しかも、できればまだこのシリーズに登場していない方がよい。

 

_DSC9186で、大分絞られてきた。昨夜はほぼ朝まで、自分なりに再検証したが、まだ若いが素晴らしいのを発見。まず若いのにレパートリーが広い。しかも、タンゴのオケだけでなく、ギター伴奏の歌も素晴らしい。ギタリストの名はRamón Maschio。歌の伴奏としては素晴らしい。タンゴ界のギタリストというのも隠れた名人がたくさんいるものだ。で、もし彼女を決めたら今度はギタリストも連れて行きたくなるが、ロモは「大丈夫」という。セステートの
アレンジでギタリストの呼吸並みに歌いやすく作る、と。他にこの歌手ならばバンドネオン・ソロでも伴奏できるからバラエティが広がる。で、早速この歌手のスケジュールを確認。スケジュールも条件もOKだという。とりあえずこの歌手を押さえて、さらにロモも私も探し続ける受けることに。

まだ大分先というのに、2人で大体のステージ構成、選曲の話にまで進んだ。ロモ得意のアレンジものから、やはり彼が音楽監督を務めているセステートマジョール・スタイルのアレンジまで最高のものを選ぼうということに。決まったら早めにレコーディングもしたいし、ダンサー陣の曲、構成も決めなければ、と例年以上に早めに夢が膨らんできた。以前ロモという男はかなりムラがあって難しいところがあると聞いていたが、前回つきあってみて、全く問題ないし、数々のステージでリーダーを勤めて来ているからむしろ正直で話が早い。なんだか、すでに盛り上がってきてしまった。

 

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ガブリエル・ソリア会長

そして、夜は国立タンゴアカデミーのガブリエル・ソリア会長と打ち合わせ。彼は今年から昨年までモッシが勤めていたフェスティバル&カンペオナートのアーティスト・ディレクターに決まった。実はあの立場には、ある嫌なミュージシャンが意欲を見せているという話を聞いていて、そのミュージシャンは裏があるから気をつけてとアドバイスしていたし、今までのフェスティバルへの協力ぶりや、タンゴの知識、アーティストからの信頼感、どれ_DSC9221をとってもソリアが一番とシルビアやフアンホにも勧めていた。しかし、彼はアカデミーの運営や、弊誌ラティーナを含めた世界の雑誌への原稿依頼も半端ない。だから、受けるかどうかと思っていたのだが、彼はアシスタントを雇ってでもやってみたいと言うことで決まったらしい。彼の正直さ、信頼感は誰に聞いても一番だ。正しいフェスティバルになると思う。

ただ心配なのは、昨日シルビアと話して、彼女から日程など聞いてきたが、じつはフェスティバルだけではなく、選手権の方の会場も、一応はウシナになっているものの正式に決定しているわけではなく、できれば昨年のようなウシナの横に特設した会場ではなくやりたいと言うことで検討中というのだ。昨年まで市長を務めていたマクリの一派が国とブエノスイアレス州、ブエノスアイレス市まで一遍に管理することになった上に、クリスティーナ政権が最後には資金などもすべて押さえて出て行ったらしく、改革は簡単ではないという。名にしろ各種組合はクリスティーナたちの中道左派の得意とするところだから、今年いっぱいはすべてのフェスティバルに混乱が付き纏いそうだ。しかし、ソリア氏のやる気からして、素晴らしいものにしてくれるだろうと思う。期待したい。

ブエノスの日曜日

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レコレッタの街角

ブエノスアイレスに入って早速日曜日。しかもメーデーとあって人とのアポは避けていたら、弊社の宇戸が滞在の時間がない(すぐにウルグアイへ)につき、何人かとコンタクトをとっていたよう。その中の一人はタンゴダンス世界選手権の関係者で昨年日本にもやってきたフアンホ。彼は新体制になってこの選手権チームに残るかどうか悩んでいたが、最終的にシルビアに声をかけられてとどまることにした。彼はいろいろな意味でまわリの観察力が凄い。選挙でも、結果がどうなったらこうなる…みたいな話が非常によく見えていて、今度も美事に彼の言っていたとおりになった。で、宇戸が日曜日にアポというので、それはフアンホに可哀想、と思っていたら彼は日曜日というのに夕方まで仕事だったらしい。ダンサーのカルラ&ガスパルが日本経由でヨーロッパから帰ってきた。で、一緒にとなったのだが、フアンホとは別の話があったので、ガスパルは後日会うことにした。

 

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マウリシオ・マクリ大統領

フアンホに、国と市の新体制について進行状況や問題点などを聞いた。マクリのパナマ文書問題は、マクリの親の問題だから、と意外にスルーされそうだ、という。また、ロンバルディ・メディア担当相が、どうして大臣たちよりも一目置かれているのか、と言うことも詳細にわたって聞くことができた。大統領戦の数ヶ月前の市長選挙では、ロンバルディは、現副大統領のガブリエラ・ミケッティの大参謀になった。マクリは現在市長のラレータを自分の後任として推すことを公表していたから、結果はラレータが勝つことになった。で、ミケッティを推したロンバルディは、マクリの路線から外れたのか、と憶測されるところもあったのだ。ところが、ミケッティと言えば、事故で下半身不随に陥ったのだが、その演説の熱っぽさと歯切れの良さで、実はかなりの人気者だ。今回もマクリが公然とラレータを推さなければミケッティが勝っていたかも、とまで言われていた。ちなみにミチェッティはマクリが市長になった時の副市長でもあった人だ。もともと、決戦投票に持ち込めばマクリのPROは候補を一本化できるわけだから、最初からそれを読んでPROの中で煽るという、マクリ側が打った計算だったのかもしれない。

 

それが見えたのは、大統領選だった。マクリはここで一番の人気者ミケッティを副大統領候補に挙げてきた。これで、はじめてロンバルディ=マクリの選挙戦術が見えた気がした。大統領で僅差だったが、マクリが勝利して、翌日の新聞では早くも新内閣の顔ぶれが語られ出したが、マクリが一番最初に具体的に口にしたのがロンバルディだった。ロンバルディはデラルア政権で、最後の3ヶ月くらいだったが若くして観光・スポーツの大臣を拝命した経歴を持つ。だから、誰もが今回は悪くても大臣になるだろうと思われていたが、結果は内閣官房室メディアと公共コンテンツ連邦機構の代表を拝命することになった。しかし、これは大臣よりもある意味で一番の要職と言われる。予算の使える立場でもあるから。

 

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エルナン・ロンバルディ

ロンバルディ氏は、昔からいろいろな分野で活躍してきたアイデアマンである。ブエノスアイレス大学の学生時代は土木工学や観光のマーケティング・マネージメントに没頭。卒業後はスイスのGlion Institute of Higher Educationやカリフォルニアのバークレー校で観光マネージメントの学位を取得している。彼の名を広めたのは92年から99年にかけてマルデルプラタ市にある地上100メートル(30階)のツイン・タワー、アパートホテル「マナンティアレス・タワー」の建設を総指揮したことだった。その後も2001年からコンサルタント会社を起こして代表を務め、アルゼンチンの観光産業に多大な功績を残した。ティエラ・デ・フエゴやネウケンを観光地として開発して有名にしたのも彼の功績だ。

En 1989, Hernán Lombardi conoció en la ciudad de Mar del Plata a la actriz Soledad Silveyra, con quien mantuvo una relación afectiva durante ocho años. En 1998, Lombardi tuvo conocimiento de la existencia de una hija suya, Valentina, resultante de una relación sentimental anterior que no había prosperado. Lombardi expresó tiempo después que, desde que la conoció, mantuvo siempre un lazo afectivo con Valentina. Durante su actuación pública en el gobierno de De la Rúa, Hernán Lombardi se casó con Vivian Sanz en el Club de Mar, correspondiente al complejo Torre de Manantiales. De esa unión nacería en 2006 su hija Maurina.

 

1997年になって、デラルア政権が誕生すると、彼はロンバルディに国立公園の開発を任せる意味で観光長官に任命した。2001年、デラルアは観光、文化、スポーツの閣僚を1つにまとめて、ロンバルディを大臣に据えた。しかし、この政権はまもなくして、アルゼンチンをデフォルトに導いてしまう。

 

2003年に、ロンバルディはRecrear para el Crecimientoの政党からブエノスアイレス州知事の候補になるが第7位で落選。

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浅草のロンバルディ大臣

2007年、マウリシオ・マクリがブエノスアイレス市長なると同時に文化大臣と観光大臣を兼務。2011年から文化大臣。ロンバルディは、2007年に文化大臣になった時からタンゴをユネスコの世界無形文化文化遺産にするために尽力、2009年ウルグアイと連名のかたちで登録が決定した。2007年、同時にタンゴ世界選手権を引き継いで世界的に展開、飛躍的に発展させた。

 

以上4日にロンバルディと再会するためのおさらい。ロンバルディは2年前だったか、ヨーロッパへの旅の途中、日本に立ち寄りたいというので個人的に招待して京都、広島、厳島神社を堪能してもらった。そこであのもみじ饅頭が気に入ったというので、今回は饅頭とお気に入りの日本酒を持ってきた。とにかく、忙しく時間を無駄にしない大臣だが、世界の文化にも音楽にも詳しい素晴らしい人間である。なにかまた一緒にできたらと思う。

 

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シルビア女史

さて、2日はタンゴ世界選手権のトップの上り詰めたシルビア女史と再会。旦那のカマーチョはアルゼンチンを代表する音響エンジニアで、夫婦とも非常に親しくしている。要職を引き継いだは良いが、前政権の負の遺産を抱えているために、今のところ改革の結果をだせていない。が、徐々に選手権の方も見えてきている。選手権を巡る新たな体制も教えてもらったが、なんと我ウォーン知り合えば借りがそのまま階級を上げた感じである。前の市のフェスティバルの最高責任者ビビアーナ・カ
ントーニが国ではなく、市の文化副大臣、ビビアーナの一にシルビア、アート・ディレクションの立場にガブリエル・ソリア、その下にフアンホ、アイレンと日本をよく知るスタッフばかりで動かせているよう。安心だ。

 

メモ 8/30~31 決勝(8/29~3/30) 1日前に「マリア・デ・ブエノスアイレス」

Festival 8/18~31 Mundial  8/22 Usina & Teatro 25 DE  MAYO

Paula Nekilison技術以外 Dia luis Luque 技術

Derector de Artista Gabriel Soria

Andres Casak 新しいタンゴなど

Ailen 映画の責任者

Juanjo Finales チケット等全般

 

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エルナン・ハシント

昨日はその他に宇戸がエルナン・ハシントとCDの輸入の話で会う事になっていたので、少しだけ同席した。エルナン・ハシントハ前回も会ったがなかなかの好青年。きちんとプロモーションすれば必ず人気が出ると思うのだが。日本で言われる以上にこの分野はこちらのマーケット的にはなかなか厳しいが、音楽だけはどれも上質だ。健全に紹介できれるように、宇戸を始め、弊社の俊英たちをバックアップしたい。宇戸がしっかり勉強して日本で正しいブームに持って言ってくれればと思う。