サンパウロではジル=カエターノを堪能!

さて、翌日は今回のブラジル最大の目的でもあるジル=カエターノの公演。ジル関係となるといつも元マネージャーのダニエルに世話になる。考えてみると、彼とのつきあいは最初にジルを招聘したときからだからもう30年以上ものつきあいになる。最初の頃はジルもリオに住んでいて、父親がミナスの田舎で英語の先生をやっていたというダニエルがマネージャーとして雇われていた。2回目頃まではそんな

大好きなリオ到着。

ブエノスアイレスに着いて間もないというのに、ブラジルに向けて出発となる。ケチな話だが、ブエノスからブラジルに行く場合、しかもリオ、サンパウロを経由する場合、周遊でチケットをとるのが一番安い。本当はリオ往復の安いのを買って、そこからサンパウロ〜ブエノスと買うか、リオ〜サンパウロの往復を買うのも手なのだが、客人たちの荷物もあるかもしれないからと、この旅程を組んだ。問題はリオ直行がとれずにサンパウロ経由でしかもサンパウロ国際空港グアルーリョスで、トランジットが5時間近くある。ここからは市内に出るのも結構心配。というのは、サンパウロの市内とグアルーリョスを結ぶ高速と言ったら南米でも特筆すべき混み様だから。

朝4時半起きでブエノスアイレスの国内専用のアエロパルケ空港へ。さすがに眠い。しかし、早めに出るとそれだけ空港でのストレスは少ないから…。で約2時間少しでサンパウロへ。サンパウロの空港は当初からターミナルは二つだったが、近年のワールドカップ、オリンピックに向けてターミナル4まで拡張されている。到着したのはターミナル2、そこからリオ往きのアズール航空があるターミナル4まではシャトルバスが運行されているが、他のターミナルとは大分離れている。最近オープンしたてのようですべてが新しい。アズール航空は、アメリカで急成長したジェットブルー航空の元経営者がブラジルの格安航空はまだ高い、と始めた航空会社で、今ブラジルで急成長している格安航空会社。カウンターの応対も良く、10ドルプラスすると少し広めの席にアップグレードできる。4人ともかなりゆったりとした席でリオデジャネイロへ。

それにしても、このグアルーリョス空港が出来たのは1985年。それまでは国際空港と言えばリオのガレオン空港だったが、サンパウロが巨大都市化してブラジルの窓口としてはサンパウロの方がふさわしいと言うことで、このグアルーリョスが建設された。それまでは、まずリオに入り、それからサンパウロに渡るというのが普通だった。現在南米で一番の混みようでもっとも危険、と言われる都心部にあるコンゴーニャス空港は便利だが、やはり今の大型飛行機を受け入れ続けるには無理があった。なにしろ2000メートルに満たない滑走路が2本しかないから。

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さて、リオに到着してひとまず休憩し、ジョイスに紹介されたコーラス・グループと会うことに。リーダーでマネージャー役のアウグストの家へ。本当は今の段階ではまだ、資料を持って帰りたいくらいのものだったのだが、彼が自分お家にみんな集まるから、というので訪問。みんなが集まるからにはアカペラの歌でも…と期待していたが、そうではなくこのグループ、非常に民主的な運営をしているからのよう。紹介してくれたジョイスとも特に面識があるわけでなく、いろいろな音楽家たちが、知らずに自分たちの宣伝をしてくれると喜んでいた。考えてみると、ブラジルのコーラス・グループは、その昔日本にも連れてきたクアルテート・アン・シーや、MPB4,さらにはボカ・リヴリ以来、あまり聞かなかったが、ジョイスによると最近若い新しいグループがたくさん出てきているのだそう。確かにYOUTUBEを見ても、感覚的に新しそうで興味深いグループがたくさんいる。今日のオルヂナリウスはその中でも非常に感性豊かに見える。アウグストは人柄も最高で、非常に正直者。いずれ仕事を一緒にしてみたいと思わせる男だった。彼らはレパートリーについても自分たちで話し合い好きなものを歌うそうで、ボサノヴァはMPBはもちろん、時にはスティーヴィー・ワンダーまで歌ってしまうそう。

この日は、旅の疲れもあって、仕事はここまで。あとはいつものテツも含めて一緒にリオで一番うまいショラスコ屋で肉を。リオで一番うまいとは言っても、人によって意見は様々。味と雰囲気とを考えると昔からマリウスという店が一番有名だが、ここはなにしろ高すぎだ。続いて好きになったんが「ポルカゥン・リオ」だったが、ここも最近経営者が変わって高いだけでうまくなくなったと評判らしい。そこでテツのおすすめは「フォゴ・ダ・シャゥン」という店。

セルタネージャの大スタードゥオが始めた店で、たしかサンパウロからはじめて今ではリオはもちろん、全ブラジルから全北米にまで進出している大ショラスコ・チェーンだ。リオでは、今度オリンピック会場の多いバハ地区には大分前からあったが、今はボタフォーゴのここが一番という。ここはボタフォーゴの海岸沿いの夜景が美しい場所にあって、確かに味は最高。サラダ・バーもまずい寿司や飯類は少なめで、肉に集中できるの良いし、ショハスコの肉の切り方が厚い。どのパーツも確かに美味い。で、とにかくこの日はここまでで終了。

さて、そんなわけさてさ

2日目も続いてパブロの録画作業

DSC_3819アルゼンチンで客を迎えての2日目。まず国立タンゴアカデミーのソリア会長に挨拶のはずだったが、直前に「風邪でダウン」との報せ。午後1時半からの録画に備えて同じ「ビニーロに早めの準備に。この日は来年春の民音タンゴ・シリーズで来日するパブロ・エスティガリビアの撮影。ビクトル・ラバジェンの来日公演の時から目をつけていた若い、しかし実力十分のピアニスト率いるセステートだ。パブロは今年、日本でのレコード大賞に相当するガルデル賞を獲得したばかりで、今や大いに注目されている。日本公演の時も一番先に会場入りし、一番先にピアノの席に着き、一番先に音を出し、サウンド・チェックの後も一人黙々とピアノを弾き続ける男だった。日本にいる2ヶ月あまりの間にもかなりの十分上達したように見えた。「日本ではどの会場にも最高のピアノがある。恥ずかしい話アルゼンチンではグランド・ピアノですらすべての会場に揃っているとは限らないし、会っても質が悪かったり…」録音のスタジオでさえ、なかなか満足のいくピアノがないのだという。そんな彼とはあのラバジェンのツアー直後から「必ずパブロのセステートで日本ツアーを考えるから」と言ってあった。で、彼もその期待に応えてくれてすぐに背ステートを結成。今までに何度も録画してはプレゼンしてきた。あれからすでに5年の月日が経って、ようやく実現の運びとなったわけだ。

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パブロはガルデル賞の受賞後もラバジェン・トリオとのツアーに忙しく、なかなかセステートの練習に時間が割けないでいた。だから、今回も彼らの最高の曲目での録画にはならない。しかし、パブロの今一番評価の高いソロも加えて良いレパトリーを揃えてくれている。前日マエストロ、ラバジェンも招待したが、なにしろパブロもラバジェンもこの日夜にツアーのためNYに出発だ。やはりラバジェンは来ることはできなかった。しかし、ラバジェンはパブロの応援ビデオの収録のために26日には戻ってくるからその時に録画しようと言ってくれた。曲目は;

Saludo

Mala Junta
Por Una Cabeza
Adios Nonino
Desde el Alma
DSC_3685どれも素晴らしい演奏だった。メンバーも今ブエノスアイレスで大いに活躍している若手のトップ・ミュージシャンばかり。切れの良い、熱いサウンドを撮ることができた。特にピアノ・ソロの迫力は筆舌に尽くしがたいほど。
その後写真撮影、簡単なインタビューを録画(すでに息子の大典がそのすべてを担当)して時計を見ると、次のタンゴダンス世界選手権の総合プロデューサー、グスターボ・モッシ氏との約束時間を過ぎていた。で、大至急連絡を取って待ち合わせ場所を選手権の会場、ウシナ・デル・アルテに変更して出発。会場入口ではモッシ氏以下シルビア、フアンホと今回のプロデュース人が総出で迎えてくれた。今回の選手権の録画やいろいろな段取りを話し合った。今年は、実は今のマクリ市長が大統領選挙に出馬するから、市長が替わると基本的にはスタッフ入れ替えとなる。だから、今のスタッフでは最後になるかもしれない。10月、あるいは11月の決選投票いかんでは総入れ替えの可能性だってある。だから、誰も口にしなかったが、お互いを思いやる非常に中身の濃い打ち合わせだった。モッシによると、今年は今までよりも更に多い過去最高の申し込みと観客動員数で盛りあがっているそう。我々は翌日からリオ、サンパウロの視察が入っているため、準決勝からしか観戦できないが、アジア勢、ロシア、イタリアなどからの出場者の頑張りが聞こえてきた。そろそろアジア勢の上位入賞が聴きたいものだ。

リオでの観光の一日

仕事で海外に一人で来るとほとんど観光はしないのだが、客がいるとどうしても観光、となる。観光も嫌いではないが、いつも同じところばかりで飽きる事が多い。が、このリオ・デ・ジャネイロだけは別である。どこに行っても実に美しいし、いつも新鮮な感動を味わえる。リオではまず高いところから全体を眺めるのが一番。高いところと言うとコルコヴァードの丘の上にあるキリスト像か、グアナバラ湾の入り口南側にあるポン・ヂ・アスーカル。まぁ、一番楽で一番感動できるポン・ヂ・アスーカルから出発。ここはウルカの低地にロープウェーの登り口があり、そこからまず低い方の丘モーホ・ダ・ウルカ(220m)、そしてさらにロープウェイを乗り継いでポン・ヂ・アスーカル(396m)に到達する。モーホの方にはヘリポートもあって、ここからリオ市内への観光ヘリも飛んでいるし、中程にある野外劇場〔最近は壁で包まれている)ではカーニバル時に世界中の同性愛者たちが集い一大フェスティバルが開かれていた。カエターノや、ガル・コスタと言ったアーティストたちの元マネージャー、故ギジェルミ・アラウージョはこのフェステバルのオーナーで、ここには世界中の大金持ちの同性愛者が集まるからその収益だけでブラジル、ニューヨークの1年間の事務所経費からすべてを捻出していたと聞いたことがある。そこからポン・ヂ・アスーカルまでのロープウェイから眺める景色は抜群。目の前の岸壁ではロック・クライマーたちの姿に出会える。

リオはどこから見ても考えられないほどの絶景ばかりだが、個人的にはこのポン・ヂ・アスーカルからの眺望が一番好きだ。360度のパノラマで、ノルコヴァードのキリストも、ニテロイ大橋、れみ。コパカバー名海岸、遠くにはマラカナゥン・スタジアムも覗ける。今回も天気に恵まれてまさに絶景だった。ロープウェイは夜も運行していて、ここからの夜景も実に見事なもの。

さて、ポン・ヂ・アスーカルの下でこの日もテツと待ち合わせ、彼の車でマラカナゥン・スタジアムへ。ここは昔は25万人収容と騒がれていたが、92年に大規模な落下事故があって改築、現在は全席椅子席で80,000席収容となっている。しかし、各種イベントやコンサートではかるく10万人を超える人数を収容できるから今でも国内外の大アーティストのコンサートに使用されている。すべてが改築されて立派になっていたが、この日は残念ながらサッカーの試合がある日となって見学はできなかった。ついでに向かったのがテツが前からおすすめの中華レストラン「Primeira Pá」へ。こんな北部の危ないところにどうして、と言う場所にあるが、とにかく美味い。リオデジャネイロ中国文化協会の中にあるレストラン。入り口からして少しの気取りもなくゆったりした雰囲気。とにかく餃子(ニンニクはない?)が思い切り懐かしい。他にもエビ料理、炒め物などどれも最高の味だ。料金も決して高くない。マラカナンの方に向かったときには是非訪れてみた方が良い。ついで、サンボドロモを経由し、最後は昼間のラパを経由してテツの済むサンタ・テレーザを通ってドナ・マルタの展望台へ。コルコヴァードのキリストへはあのワールドカップの頃から市が介入してやれば酢煮のレダの、上るのに金も暇もかかるようになったし、何しろ展望台は狭い。このドナ・マルタの展望台はキリストもすぐ近くに望めるし、リオの街もグアナバラ湾も最高に美しい。しかも歩いてすぐのところにはヘリポートもあってそこからの形式も抜群。さすがテツだ。で、夜はラパの一番大きな3階建ての店「ヒオ・セナリウム」へ初めて言ってみた。今までもこの店の噂は聞いていたのだが、たまたま出ているアーティストが他とぶつかっていたりで行けてなかった。ラパの全盛時にはここを目指す客が行列を創ったそうだが、等パ任期が翳りを見せ始めている今では、一杯ではあるが普通には入れる感じ。しかし、店作りのセンスがよい。アンティークをたくさん並べてあったり、広くない建物にステージを作り、なんとどこからでもステージが見えるように吹き抜けにしたりとよく考えられている。周りのレストランも良い店が多い。ここでは前から名前を聞いていたマコさん二も会えた。10年以上も前にリオにやってきて昔リオの劇場かどこかで私と会ったと言うが、あまり良く覚えてなかった。しかし、こちらで歌手とパーカッションをやりながら生きているたくましいお嬢さんだ。これからも音楽の件ではいろいろお世話になるかも。

一日中観光の付き合いだったが、楽しい一日だった。

 

半年ぶりのブエノス、忙しい録音・録画!

さて、今回のアルゼンチン訪問は、大典が2日先乗り、お客2人が1日遅れとバラバラでの入国となった。荷物もなんとかゲットできて、こちらの弊社の代理人ディアナのところに預けてあった荷物も全部揃って行動を開始。まずは、アルゼンチン大使館のポリカストロ氏と打ち合わせ。前回会ってこの8月の旅で大臣と会う、と口を滑らしてしまったために面倒なことになっている。大使館の人間はどこの国でも同様だが、民間人が勝手に大臣と会うなんて事は非常に立場がないらしい。私の場合はあちこちに友人がいて、別に大使館を通さなくてもこのくらいはセットできるから問題ないのだが、大使館としては、自分たちが動いて問題のないようにいろいろしたがるもの。こちらの国を良く知るものとしては、もっと普通に会った方が自由な会話もできるし、実際に腹を割った話ができやすいのでその方が酔うのだが。で、大臣を飛ばしてその下の人間をキルシュナー文化会館に連れて行く事になっていた。そこで、私は友人を通しているのですべてその友人に了解を取って進めたい、と告げたが、それとなく不満そう。面倒だ。

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さて、初日から今後のタンゴ・シリーズの候補となるオラシオ・ロモもセステートの撮影。ロモは現在自身の活動の他、あの故リベルテーラのセステート・マジョールのリーダーとして活躍している。セステート・マジョールと言えば、初期のメンバーは凄かった。リベルテーラにスタッソ(バンドネオン)、ニチェーレにスアレス・パス(バイオリン)、アルマンド・クーポ(ピアノ)、オマール・ムルタ(ベース)と、名前を聞いただけでも驚くほどの集団だった。それ以降もメンバーは替わったが、リベルテーラとスタッソの強力なバンドネオンがこのグループを牽引し、パリのトロトワール・デ・ブエノスアイレスで大活躍、83年にはパリで「タンゴ・アルヘンティーノ」を成功させ、世界中にタンゴ熱をリバイバルさせてきた歴史的な名グループ。リベルテーラ亡き後、今は若手で注目のオラシオ・ロモがリーダーに抜擢されて、すっかり若手の実力者たちによって運営されている。マネージャーがリベルテーラの息子で、相変わらず世界をまたに活躍中だ。ただ、日本の春のタンゴ・シリーズは長い。まだ巨匠エドゥアルド・ヴァルサックがご健在で、この長い日本公演に招待するのはなかなかきつい。で、企画の案にはオラシオ・ロモのグループで挙げたわけだ。

録画はいつものカフェ・ビニーロ。経営者のチェチェは自身が音楽家(バンドネオン)であり、プロとして何か新しい実験アドをするのに、この保守的なブエノスアイレスには「場」がない。そこで一念発起してこのライヴ・ハウスを開けた。だから、この店からはたくさんの著名アーティストが育ってきているのに、我々のような意気投合した外国人プロデューサーがちょっとしたプロモーションビデオを撮影する時にでも協力してくれる。しかも、ここのアーティスト・ブッキングをしているテレサはイバラ前市長の時代に世界選手権を始めた時のスタッフだ。日本で開催しているアジア大会にもチェッカーとして来日、弊社のスタッフとも仲良くやっている素晴らしい女性。彼女の母親はアルゼンチンで一番大きな楽譜出版の会社を持っている大変なインテリで、テレサと知り合う前から懇意にしてきている。と言うわけで、今回も突然の予約だったが快く引き受けてもらった。

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さて、オラシオ・ロモ。この間書いたようにじつは今はセステート・マジョールのリーダーとしても活躍しているが、当然自身の背ステートでも活躍している。フェデリコが存命の時はフェデリコの楽団でも長く演奏していたし、同じフェデリコの門下である、ニコラス・レデスマやパブロ・アグリとも長い間一緒にやってきたから、数年前のレデスマの来日公演でも来日しているし、来日経験も豊富だ。じつはパブロ・アグリは彼のセステートのメンバーだが、アグリは彼の弦楽アンサンブルも将来の候補のために、今回は別なバイオリンを入れることにした。結局今のところ;

Daniel falasca ( contrabajo)
Fulvio Giraudo ( piano)
Manuel Quiroga ( violin)
Leonardo Ferreira ( violin)
Luciano Sciarretta ( bandoneón )
Horacio romo ( bandoneón)

と言う素晴らしいメンバー。この日の録音はとりあえずのプロモーション・ビデオのもの。しかし、凄い演奏が続いた。もっとも、新たなメンバーもいたから彼らの得意な曲ばかりではなかったが、とりあえず良いものを録ることができた。

 

暑苦しく、恥ずかしい政界を持つ日本!

さて、快調に再開したBLOGだが、相変わらず帰国すると止まってしまう。今回は特に異常な暑さと、あの戦争法案など暗い、本当にあきれてしまう顛末にすっかり意欲をそがれたこともある。でも、今の政権の中に実は素晴らしい政治家もいて、今回はその方との食事会では素晴らしい時を過ごすことも出来た。やはり首相、副首相という権力辺りに3流どころがいたのでは危険すぎる。説明不足だからといって説明すればするほどわかっていないのがばれているのに今まで気がつかない。もう国際的には笑い話でしかない。しかし、こんな政治に対してようやく若者たちが立ち上がったこと、これが一番嬉しい現象だ。当初は、こんな大人しくやってては、とも思ったが、少しずつ輪が広がって、もう一歩で廃案にまで追い込めそうなところまでやってきた。これで無理やり法案を通そうものなら、政権そのものの危機だろうし、でなくとも新たな政権で(できればだが)廃案に出来るだろう。海外の政治の世界もかなりおかしな事はあるが、日本のこんな茶番は通らない。前回の突然の選挙では「アベノミクス」の成否を問うて選挙に勝ったのに、戦争法案がやばそうになると、この法案で選挙をやって信任を得た、と言い張る。これで黙っているような国民ならこの国にもう未来はない、と思っていたら、若者の決起を端緒に、意ある大人たちまでが立ち上がった。しかし、そんなことやっているうちに為替がやばい。1ドルが125円近くにまで上がってしまった。中国の偽経済がばれてしまってにっちもさっちもいかなくなっての結果だ。そんなのは政治家だったら誰もが「いつかは」とわかっているはずなのに、アベノミクスで円安誘導をしてきたから大変だ。弊社のように輸入がすべての会社は大変。ドル建てが変わるわけではない上、国内での価格を上げるわけにも行かず、結果仕入れ価格はただただ1.5倍になってしまったわけだ。ノー天気に大企業の輸出を助けてるだけで、ほんの一部の企業や、投資家に利するだけで日本は何も良くなってはいない。ここまで来るとデフレがどうして悪かったのか説明しろ、といいたいい。それを的確につけない野党、オリンピック会場のあれほどの不手際でも責任者を追求できない野党、本当に情けないとしか思えない。

 

と、嘆いている内にまた南米に行く時期になってしまった。いつものタンゴダンス世界選手権の世界大会の取材だ。弊誌ラティーナでのレポートだけでなく、DVDの撮影、主催者との協議など、毎年これは行かざるを得ないイベントになっている。しかも、今年は日本でタンゴ企画の主催をしてくれている会社からも2人一緒に行くことになった。毎年この会社から特別賞を世界チャンピオンに与え、日本の春のタンゴ・シリーズに招待するという、選手権がはじまった翌年から続いている企画だから、本当は毎年この会社の人が来るべきなのだが、今までは今まで日本にやってきたエドゥアルドとかこちらの著名ダンサーに授与してもらってきていた。これから毎年来るようになるかは不明だが、この方が自然でいいに決まっている。

 

さて、今回の旅はアメリカンのサイトをチェックしていて、まだ大丈夫とタカをくくっていたら、とんでもない落とし穴があった。サイト上でまだ空席があっても実際にはない場合がある、と言うのを今回初めて知った。購入に進んでいくと途中でそれ以上進まなくなる。つまり、ソールドアウトと言うことのようだ。と言うわけで、前回アルゼンチンにいるうちに予約はしたのだが、成田〜ロDSC_5009ス〜マイアミ〜ブエノスと言う変則ルートでの旅となってしまった。で、成田を出発、ロスまでは普通に….で、ロスを出る時に機内の電気回路に不備があったようで1時間半ほど遅れてしまった。マイアミでは2時間しかトランジットの時間がないから、もう今回はマイアミで一泊かとあきらめていたが、なんとゲートが27番について乗り継ぎ便が23番ゲートとすぐ近かったせいでセーフ。でも、荷物が心配でアメリカンの職員には「荷物のチェックをしっかりやって」と荷物の番号まで伝えたが、ブエノスではやはり出て来ず。ロスト・バゲージだ。まぁ、今は重要な機材類とか金目のものはすべて手持ちにしているから問題はないのだが、人からの預かりものや、今回は重要な人物に会うので土産品など結構大事なものも入っている。多少心配だが、まだアメリカン航空だから大丈夫か?一応明日空港で受け取る手配をしてホテルヘ。まぁ、航空券はしっかり早いうちに用意するのが大事だ。それでも今回は20日前に予約したのだが、お盆の時期と重なったせいだろう。失敗だった。

翌日、お客の2人を迎えに行ったついでにアメリカンの空港事務所に行って確認してみた。昨日電話して「今マイアミで荷物のスキャミングをしているから大丈夫」との確約はもらっていたが、ロスト・バゲージ、実際に目にするまでは心配だ。今までも何度も体験しているが、まず、昨日の情報が正しいかどうかさえわからないのが常識。で、空港に着いてからも手にするまでは時間がかかる。それで、まず事務所に行ったわけだが、今回は職員が素晴らしく、パスポートを持っていれば税関の中まで通してくれるという。税関を通ってベルトのところに行くと既に我が荷物が鎮座していた。普通はかけない鍵もたまたまかけていて、しかも開けられた様子がない。そのまま出口を通過できた。非常にスムースに場ゲージをゲットすることができた。ついている。やっとブエノスに着いた気持ちになった。