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    <title>My Blog 2012</title>
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    <description>　ラテンアメリカとつきあってもう30余年。ラテン諸国はすっかり立派になったし、まだまだ上を向いている。それに比べて日本の沈下は...寂しい限りだ。しかし、半世紀前、ラテンだって日本からみて憧れの大地だったこともある。時代が変われば事情も変わる。変わらないのは、ラテンの文化の豊かさ。この楽しみは今後も変わることはない。今年も頑張って豊かな文化の紹介に一役買って出たい。</description>
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      <title>My Blog 2012</title>
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      <title>ブログ移転しました。</title>
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      <pubDate>Fri, 2 Nov 2012 15:13:15 +0900</pubDate>
      <description>&lt;a href=&quot;http://holake.info/KENJI_HONDAS_BLOG_PAGE/Blog2012/entori/2012/11/2_burogu_yi_zhuanshimashita_files/iten.jpg&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://holake.info/KENJI_HONDAS_BLOG_PAGE/Blog2012/Media/object000.jpg&quot; style=&quot;float:left; padding-right:10px; padding-bottom:10px; width:254px; height:189px;&quot;/&gt;&lt;/a&gt;Apple信者の私は、ブログもiWebと言うソフトを使用してきました。検索に引っかからない、重い、カスタマイズも面倒...などなど不都合もたくさんあるけれど、デザイン的に一番すっきりとしているし、もともとこのブログは自分用の備忘録として使うものだったので、今までこれでやってきたのです。ところが、最近、iCloudeになって、今まで出来ていたたくさんの事がサポートされなくなって、随分悔しい思いをしました。で、今のところ、iWebはサポートされてはいるのですが、恐らく時間の問題でサポートされなくなるでしょう。と言うわけで、大典社員の勧めもあって、このサイトで新しく始めることになりました。使い勝手はiWeb寄りも楽で、見栄えも悪くない。少しづつ慣れていきますので、たまには覗いてやってください。&lt;br/&gt;新しいページは&lt;br/&gt;&lt;a href=&quot;http://holake.info/blog/&quot;&gt;http://holake.info/blog/&lt;/a&gt;&lt;br/&gt;です。よろしく。&lt;br/&gt;</description>
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      <title>プラッサ11、30周年+１</title>
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      <pubDate>Mon, 22 Oct 2012 16:04:58 +0900</pubDate>
      <description>&lt;a href=&quot;http://holake.info/KENJI_HONDAS_BLOG_PAGE/Blog2012/entori/2012/10/22_purassa11,30zhou_nian+_files/DSC00317A.jpg&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://holake.info/KENJI_HONDAS_BLOG_PAGE/Blog2012/Media/object004.jpg&quot; style=&quot;float:left; padding-right:10px; padding-bottom:10px; width:254px; height:189px;&quot;/&gt;&lt;/a&gt;　プラッサ・オンゼが開店30周年＋１という。今はもうあの大声で笑い合った仲間もあまり見かけなくなって、足もついつい遠のいてしまうことが多いが、わがラティーナ誌とは切っても切れない関係の店だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　プラッサ・オンゼは東京・青山3丁目の交差点から少し渋谷寄りに進んで歩道橋の麓を少しだけ右に入ったところにあるもともとはブラジルとサンバの店である。日本のサンバ、ブラジル音楽のムーブメントはこの店から生まれたと行って過言ではない。そして、この店を始めたのが故浅田英了氏（本名・英夫)。あのKIMIJIMAブランドが全盛の頃のカメラマンとして、またモナコ王室御用達ブランド、ヴァン・クリーフのカメラマンとしても活躍した名写真家だが、それもひとつの顔。少年時代をブラジルで過ごし、70年から日本に住んで、当時は殆ど誰にも聴かれなかったブラジル音楽を愛し、会う人ごとにその素晴らしさを語り、日本でブラジル音楽の芽を育て、青山に今の「プラッサ・オンゼ」を開店しながらさらにブラジル音楽を花開かせてくれた恩人である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　浅田英了氏は1961年、13才の時に家族と一緒にブラジルに渡った。当時の仲間の一人が今、サンパウロの日本人街で「かぶら」を経営している頑固親父の「さとし」だが、彼らとバンドを組んでいたという話を聴かされたことがある。彼の音楽の原点だろう。ブラジルではすでに写真も始めていて、たまたま「サンバ・サンバ・ブラジル」の撮影に来ていた日本写真界の大御所、故三木惇氏のホテルを訪ねて知り合いになる。&lt;br/&gt;　1970年、日本にやってきて三木氏の門を叩く。3年後にはフリー・カメラマンとして活動をはじめ、またその3年後には個人事務所アブリューを開設。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　筆者が浅田氏と知り合ったのはちょうど弊誌がブラジル音楽を手がけはじめた78年のことだ。会ってすぐに気があってその夜、早速恵比寿駅前の伝説になってしまった屋台「由起子」で朝まで飲み明かすことになった。はっきり言って彼の写真はこんな貧乏雑誌が使うには立派すぎたが、朝方になって「もういいよ、ブラジル音楽のためなら金はいらない」と言い放ってくれた。当時といえば、その数年前まで私が所属していたレコード会社だってセールスと言えば全国で300枚なんて悲惨な数字を見るのさえ珍しくなかった時代だ。ブラジル愛に満ちた浅田氏の出現は、まさにラティーナにとっては勇気百倍だった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　80年暮れ、嬉しいプラッサ・オンゼの開店。演奏していたのは、あの小野リサの最初のディレクターだった森光男氏をはじめ、仲間のバンドだった。デザイン事務所を始めていた倉垣氏...いかにも青山っぽい，洒落たブラジル音楽の店のオープンだった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　プラッサはその後は，「オパ」を始めプロのミュージシャンに支えられて上手くいっているように見えたのだが、開店してから3年くらい経ったある日、暗い顔で店を閉めたいと言いに来たことがある。写真の稼ぎでやり続けているが経費が尋常ではなく続けられない、というのだ。ブラジル・ムーブメントをこの店から発進していた筆者は当然｢もう少し待って様子を...」と懇願したが、彼はかなり深刻だった。それが3月の末。ところがすぐに奇跡が起きた。4月に入ってから、突然客がひっきりなしに来るようになったのだ。原因は未だにわからない。俺たち二人で話すとこういうことが起きるもの、と他愛なく笑いあった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　それ以来ブラジルはもちろん、キューバ、アルゼンチン、メキシコと彼とは何度も一緒に取材旅行を重ねた。一度、彼はちょうど東京でのあるブラジル音楽の公演で当時の厚生年金会館に来る途中、心筋梗塞で信濃町の慶応病院に入院したことがあった。その後はもう一緒に海外は行けないと思っていたのだが、医者の許可が出て、その後もメキシコ、キューバの旅行を実現した。続いてアルゼンチンで「タンゴ・ポル・ドス」の取材に向かった時のこと。信じられない事だが、急に相手のスケジュール変更で、アルゼンチンからフロリダのオーランドに向かうことになった。その機上、ちょうどブラジル上空辺りで心筋梗塞を再発、彼は帰らぬ人となった。自分が誘っていなければ....その思いは今も消えないが、すべてのことを笑い飛ばしてきた当時の我々だ、行くのが当たり前だった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　浅田氏の遺体を乗せて到着したマイアミから、電話をした。最初に受けたのは一人娘の花梨だった。何度も何度もこの娘の話で夜を徹したこともあるくらい子煩悩な男だった。次にクラウヂアと連絡が取れた。彼女は我々悪友の仕業に寛大な人だったが、彼の亡くなる1年前だったか、遂に切れて英了氏に最後通牒を突きつけ、彼が人前で大泣きしたのを知っている。だから未だに怒っているものとばかり思っていたが，彼女のその後の行動は逆だった。今まで勤めていた銀行を潔く辞め、浅田氏が築いてきたいくつもの事務所をしっかりとたたみ、彼が一番愛した「プラッサ・オンゼ」を継いでいく決意をしたのである。&lt;br/&gt;　実は70年、浅田氏が日本にやってきたのは、写真をやるというのはある意味口実で、美人のクラウヂアが当時大阪で開かれた万博に通訳として来ていて、そのまま日本に開行したサンパウロ州立銀行に勤めたのを追いかけてやってきたのだった。ブラジルで描いていた将来もすべて捨ててクライヂアのいる日本にやってきたのだ。その後、クラウヂアと結婚。やがて一人娘花梨を設けている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　現在、プラッサ・オンゼはこのクラウヂアと、娘の花梨が非常にうまく経営している。浅田英了氏のよく使った言葉は「どんな仕事でもやり始めた以上は成立させること」だった。その意味では，我々がじつは何度も折れかかったことをこの母娘は完全に成立させて、引き継いでいる。とはいえ、この厳しい世の中だ、簡単ではないに違いない。しかし、音楽を紹介する仕事だけでなく、すべての文化に関わる仕事で、じつはこんな「愛情」のないところからは何も成立させられないのだと思う。そんな意味で、弊誌も含め、浅田英了の遺してくれたことを我々みんながしっかり考えて、日本での｢文化」を守ることを本気で考えなければ，という時なのだと思う。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　プラッサ・オンゼにこころから乾杯!!!&lt;br/&gt;（ラティーナ11月号に掲載）本文写真はすべて浅田英了&lt;br/&gt;</description>
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      <title>アウロラ、サード・アルバム録音!</title>
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      <pubDate>Tue, 16 Oct 2012 16:02:25 +0900</pubDate>
      <description>&lt;a href=&quot;http://holake.info/KENJI_HONDAS_BLOG_PAGE/Blog2012/entori/2012/10/16_aurora,sadoarubamu_lu_yin%21_files/DSC_2872.jpg&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://holake.info/KENJI_HONDAS_BLOG_PAGE/Blog2012/Media/object005.jpg&quot; style=&quot;float:left; padding-right:10px; padding-bottom:10px; width:254px; height:189px;&quot;/&gt;&lt;/a&gt;　２年前、ブエノスで大成功を収めた日本のタンゴ楽団オルケスタ・アウロラだが、その後はリーダーのひとり、会田桃子の結婚や出産があったりで、なかなか思うような活動が出来ていなかった。しかし、そろそろ思い切って活動を再開させようとレコーディングを決めた。彼らにとってはサード・アルバムとなるが、このアルバムを発売、そしてライヴをやりながら販売していこうというわけだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　ところが、また会田の第２子誕生の報。予定は12月ということで、ライヴのスケジュールがまたまた狂ってきた。とは言っても音楽家である前に人間としての生活の方が大切だ。とりあえず、レコーディングにはまったく支障がないので予定通り先にレコーディングをすることにした。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　CDの売り上げが芳しくない昨今でも、彼らのCDは予定通りの展開を見せているのだが、それにしても日本のスタジオではなかなかコストがかかりすぎだ。などと考えていたら、弊社からほど近い祐天寺に素晴らしいスタジオを友人から紹介された。ブースの数も広さも申し分なく、その友人の録音で立ち会ったことがあるが、スタッフの情熱、技術、どれをとっても最高だ。９月24、26日の２日間で録音、10月15日にミックスという予定でスタート。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　今回はピアソラ没後20周年ということでピアソラ曲半分、オリジナル曲半分ということでスタート。当初はどこか劇場を借りてライヴ風に一発録音ということも考えたが、彼らの音楽を考えるとやはりスタジオ録音が圧倒的に良い。しかもここの吉川さんというミキサーはもうベテランなのだが、「タンゴをやってみたい」ということで手を上げてくれた。青木菜穗子が「これが我々の好きなサウンド」といってサンプルとしてブエノスアイレスの録音物を何枚か渡していたら、吉川さんそれを十分に研究してくれて当日を迎えてくれた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　ピアソラ作品からは「マロン・イ・アスール」「デカリシモ」「リベルタンゴ」「天使のミロンガ」「チキリン・デ・バチン」の５曲。あとは会田と青木のオリジナル曲が５曲。「リベルタンゴ」ではパーカッションを、という会田桃子の希望で大儀見元氏に登場して貰った。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　オリジナルの方は、今回はかなり充実している。まぁ、タンゴという視点から考えるといろいろいう人間もいるかも知れないが、タンゴを生業にしている音楽家たちの意欲溢れるオリジナル作品ばかりで、目線は世界にあるのだから出来るだけ自由に演奏して貰った方がよい。もちろん、事前に練習はしてきているのだが、スタジオで最終調整をしながら録音していくのだが、みるみるうちに原石が輝き始める姿は、この録音という仕事の一番楽しいところだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　大儀見さんとは実は久しぶりに会ったのだが、いつも素晴らしい演奏を聴かせてくれる。せいぜいカホント小物程度かと思っていたら、この日の録音を聴いていて、かなりのセットを組んでやってくれることになった。この「リベルタンゴ」はアレンジもかなり凝っていてそう簡単ではないのだが、仕上がりは非常にうまくいった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　「リベルタンゴ」だけでなく「チキリン」も今回はアレンジがなかなか凝っていて、ミックスが終わった時点ではみんなが大満足。特にこのスタジオのスタッフには大感謝。ミキサーの吉川さんに葉特に感謝、感謝だ。吉川さんにとってタンゴは初仕事。タンゴといってもいわゆる古いタンゴではないから、簡単ではないのだが、だから充分準備してくれた上に、ミックスに当たっては、事前に彼なりのあらミックスをやってくれているのだが、実はこれがほぼ完璧。後はミュージシャンたちの要望を聞きながら進めるのだが、事前の素晴らしい作業がなかったらとても予定時間には収まらなかった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　終わって、吉川さん、アシスタントの….さん、リーダーの青木菜穗子さんと喰った寿司は実に美味いものになった。あとはこれを持ってブエノスのアリエルにマスタリングを任せて、発売は来年春辺りか。楽しい録音が出来た。&lt;br/&gt;</description>
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      <title>タンゴ世界選手権の意外な結末!!!</title>
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      <pubDate>Sat, 15 Sep 2012 16:05:17 +0900</pubDate>
      <description>&lt;a href=&quot;http://holake.info/KENJI_HONDAS_BLOG_PAGE/Blog2012/entori/2012/9/15_tango_shi_jie_xuan_shou_quanno_yi_waina_jie_mo%21%21%21_files/DSC_2519.jpg&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://holake.info/KENJI_HONDAS_BLOG_PAGE/Blog2012/Media/object006.jpg&quot; style=&quot;float:left; padding-right:10px; padding-bottom:10px; width:254px; height:189px;&quot;/&gt;&lt;/a&gt;　タンゴ・フェスティバルが華々しく開幕して、それから遅れること約１週間、20日からはいよいよタンゴダンス世界選手権の予選が行われた。今年の世界大会出場者数は、各国の大会でのチャンピオンたちなどを加えると合計487組が出場したことになる。予選に集結したのはサロン部門342組、ステージ部門120組だった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　日本からは合計11組の精鋭たちが出場した。その他の国ではラテンアメリカ諸国、米国、カナダ、ロシア、トルコ、イタリア、シンガポール、中国、香港、韓国からの出場が。確実に人気は上がってきていて、予選を見る限りでもそのレベルがかなり上がってきているのがわかる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　はっきり言って予選大会では、あまりに出場者数が多く見る方も結構疲れるものだ。ところが準決勝になると選ばれた者たちの戦いで、俄然レベルが高く感じる。サロン部門のアジア大会チャンピオン、マルティン＆ユカはシードがあるのでこの準決勝からの出場。そのほか、日本ペアで予選を勝ち抜いてきたのはヒロミ＆ナツ、そして高志＆めぐみの二組。その他、昨年からブエノスに残り「ファエナ」のタンゴ・ショーで活躍しながら、この機会を狙い、アルゼンチンから出場してブエノス大会では美事優勝したクリスティアン＆ナオも出場している。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　ステージ部門では、予選を勝ち抜いたのはアジア大会２位でこの大会にやってきた中澤源太＆Manaのカップルで、アジアチャンピオンの韓国ペア、ペニンスラ＆パソ・ハンはシード権を持っているため準決勝からの登場。その他、アルゼンチンからの参加で例年上位入賞を果たしているクリスティアン＆ナオも当然予選を上位で通過してきている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　サロン部門準決勝の結果は、大健闘したかに見えたマルティン＆ユカが敗退、ヒロミ＆ナツのみが35位で決勝に進出。クリスティアン・ナオも当然ファイナリストに。ステージ部門ではアジア大会チャンピオンのペニンスラ＆パソ・ハンのペアはやや固くなったか、あのアジア大会での圧倒的なダンスは影を潜めて準決勝で敗退。中澤源太＆Manaとクリスティアン＆ナオがファイナリストに。予選からずっと眺めてくると、この大会でファイナリストに残ることがいかに難しいか実感する。それだけ是改善対のレベルが上がってきているということだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　決勝はいつもの通りルナ・パーク。やはりここの大きなステージでは、準決勝までのステージと大きく違うため、見え方が違ってくる。弊社スタッフはビデオ・写真の撮影を兼ねているからゆっくりと観戦できないが、市が用意してくれている撮影席はミキサー横の特等席だ。27日はサロン部門の決勝。準決勝を勝ち抜いた41組が競い合う。昨年は最高点がいずれも外国人（ベネズエラとコロンビア）で、最終的に同点決勝を行いチャンピオンが外国人の手に渡った。今年は、アルゼンチン人たちの巻き返しが凄かった。ブエノス大会で優勝し、準決勝を２位通過していたクリスティアン＆ナオのダンスはかなり評判が良かったのだが、結局14位に沈んだ。ヒロミ＆ナツも今年は余裕の演技で高得点が期待されたが、結果は25位。はっきり言って腑に落ちない審査結果だった。優勝はブエノス大会のワルツ部門で優勝していたパオラ＆ファクンドのペア。２位はやはりブエノス大会のアダルト部門、ミロンガ部門でチャンピオンになっていたファティマ＆マキシミリアーノ、３位はあのチズコと2010年にステージ・チャンピオンになったディエゴのペアが入った。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　翌日のステージ決勝。予選、準決勝と１位通過してきたナイール＆ニコラス、実は準決勝で評判の高かったクリスティアン＆ナオ、昨年日本にやってきたクリスティアンも３年連続で準チャンピオンに輝いているが、マヌエラ・ロッシからサブリーナという非常に妖艶な魅力のあるパートナーに替えて今年はトップを狙っている。中澤源太＆Manaも、ファイナリストになったことで十分と言っていたが、無欲の精神状態で逆にかなり良い演技が期待できる。見所の多い決勝大会になった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　20組の演技が終わり、結果発表までの間、今年はピアソラ没後20年ということでピアソラへのオマージュ、孫ピピのピアソラ・エレクトロニコの演奏があった。管×３、キーボード×２、ピアノ×1、バンドネオン×1、ギター×１，パーカッション×１，ベース×１、ドラムス×１（ピピ）という編成で迫力ある演奏を聴かせてくれた。まぁ、ピアソラが聴いたら何というか?&lt;br/&gt;左写真はピピとオラシオ・フェレール&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　そして結果発表概ね予想通りだったが、誰もが驚いたのがチャンピオンだった。５位Ｋらはっぴょうされて、２位までは大体予想通りのカップルが入賞していたのだが、チャンピオンは準決勝11位のマリア・ノエル＆クリスティアン・ソーサが選ばれたのだ。彼らの選曲はピアソラ＝フェレールの名曲、ゴジェネチェの歌う「エル・ゴルド・トゥリステ」で、この広い会場に義じぇねちぇのあの声が響くと確かにゾクッとする。しかし、これはダンスの選手権で、特に振付が秀でていたわけでもないし、廻りからかなりブーイングがおこっていたが、まぁ、この審査員と採点の問題は恐らくまた大きな論議の対象になるに違いない。圧倒的に評判の良かったクリスティアン・コレア＆サブリーナは３位、ずっと１位通過を続けてきたナイールのカップルは４位だった。ナイールのペアは確かに決勝ではやや固くなってしまったのか準決勝までの制裁はなかったが、それにしてもこの二組ともいわゆるタンゴ・ハウスで踊っている「プロ」と言える。しかし、この選手権にはアマチュア規定というものは存在しないはず。毎年思うことだが、プロに厳しい採点は改められるべきと思う。準決勝11位で、他のカップルに大きなミスもなく突然チャンピオンでは、誰もが「何かある」と疑われても仕方がないだろう。最後の最後で後味の悪い大会になってしまった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;</description>
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      <title>充実したタンゴ・フェスティバル!!!</title>
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      <pubDate>Sat, 8 Sep 2012 15:40:38 +0900</pubDate>
      <description>&lt;a href=&quot;http://holake.info/KENJI_HONDAS_BLOG_PAGE/Blog2012/entori/2012/9/8_chong_shishitatangofesutibaru%21%21%21_files/DSC_2098.jpg&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://holake.info/KENJI_HONDAS_BLOG_PAGE/Blog2012/Media/object007.jpg&quot; style=&quot;float:left; padding-right:10px; padding-bottom:10px; width:254px; height:189px;&quot;/&gt;&lt;/a&gt;　ブエノスアイレス市が肝入りで始めたタンゴダンス世界選手権も、今年で10回目を迎えることになった。いつもは選手権の始まる20日過ぎからの参加だったが、今回はその前に仕事があって７月中に入っていたので、そのまま残ることにした。そのせいで、今回14日から始まるタンゴ・フェスの方もゆっくりと眺めることが出来た。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　５月にも２週間以上ブエノスに滞在していたのに、その時と比べても、ブエノスアイレスはかなり変化を見せていた。まず治安の悪化。あの泥棒の巣窟と言われるオンセ駅の周辺だけでなく、コリエンテス大通りのカジャオ通り交差点からアバスト方面に至る歩道上にも路上物売りが一杯溢れる様になっているし、パレルモ、ベルグラーノと行ったいわゆる高級と言われる地域でも確実に犯罪が増えてきている。賃金の上昇率に比べて物価の上がり方は半端ではなく、庶民の生活が苦しくなってきているのは誰の目にもはっきり。だから、もうブエノスアイレス名物と行っても良いほど有名になったストライキも連日どこかで行われている状態。８月3日から続いた地下鉄のストライキも当初５日間だったはずなのに結局妥結したのは13日、計10日間市民は地下鉄なしでの生活を余儀なくされた。とはいっても、ここの街では地下鉄のストや道路の混雑には普段から慣れてしまっているせいか「ギネスものだぜ」と呆れるだけで、さほど大きな混乱があったようにも見えない。さらに６月のリオでの環境会議の頃から始まったトラック運転者労組のストのせいで、街中のゴミ収集が上手くいってないこともあって（ゴミ収集も同じ労組）、街がかなり汚れてきた。さらにコロン劇場の再オープンの頃から表面化したブエノスアイレス市政府とクリスティーナ大統領のアルゼンチン政府の仲の悪さも頂点を極めていて、市が運営する地下鉄の警察が国管理という変則形態を、国の方がおかしいと一方的に警察を引き上げたこともあった。かなり子供じみた喧嘩でマスコミの格好の話題になっているが、市民の方はこれにも慣れきっていて、嘲笑するばかりだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　さて、そんな中開催されたタンゴダンス世界選手権の第10回記念大会。しかし、この大会は現在の市政府がはじめたものではなく、その前のイバラ前市長が海外で人気の「タンゴ」を徹底的にリサーチ、その結果、タンゴはブエノスアイレス文化の宝物と2003年にはじめたものだった。我々の元にその市政府からアジア大会開催を打診されたのが2004年、世界大会の第２回目の年からだった。当初は選手権の会場も狭い市立劇場だったり、決勝も真冬の風が身にしみるイベント会場だったり、今から考えるとかなりお粗末だったが、タンゴに若者の目が向かなくなっていた時代背景を考えると、このイバラ市政府の決断は大きなものだった。その市政府で文化長官を務めたロペス氏は、このタンゴ選手権だけでなく、市内に残る貴重な文化建築物にも焦点を当て、その改築事業も始めた。2006年３月そのイバラ市長が、2004年末におこったオンセ地区にあるクロマニオンと言う名のディスコ火災（194名の犠牲者）の管理責任を問われた裁判で公職追放の判決を受け離職、2007年の選挙まではイバラ同系のテレマン市長のもとこの選手権も行われたが、200７年の選挙で今のマクリ新市長誕生の際には、イバラの名事業と言われた選手権を取りやめるだろうとの憶測が広がって心配したものだった。この選手権は保守的なアルゼンチン国内でも完全に認知され、確実に国際的な広がりを見せ始めていた頃だったから…。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　しかし、現マクリ市政府はこの選手権に関しては止めるどころか逆にもっと盛大に…と言う方向でやることになったのである。それまで３月にタンゴ・フェスティバル、８月にタンゴ選手権としてきたものを、｢８月はタンゴ」のキャッチフレーズで両方まとめて行うようになったのだが、規模もかなり大がかりになって来た。実は選挙が行われてからフェスティバルの３月までは時間がなく、しょうがなく８月に両方一緒にとなったのだが…。タンゴ関係者は一様に安堵の顔を見せたものだった。フェスティバルを街の中心に近い場所にし、決勝を8,000人は収容できるルナ・パークで行うこととし、市民にもっとアピールしやすい体制にして再スタートしたのである。しかし、予選、準決勝の会場はいつも間際まで決まらず参加者をイライラさせたものだが、昨年から今の展示センターに決まって落ち着いた。今、この大会で何回目とはっきり歌わないのは、前市政府の事業を受け継いだものではないという今の市政府の気持ちの表れだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　それにしても、内実は今年第10回目をしっかりやりたいというスタッフたちのやる気は至る所に見られた。まず、例年にも増して、コリエンテス大通りをはじめとした多くの大通りには一丁毎にフェス＝選手権の街頭デザインが踊り、否が応にも祭り気分を感じるようになっていた。今年からはボカ地区に新しくできたウシナ・デル・アルテ（国有発電所跡地を改築）という立派な会場を使えることで、フェスティバルのコンサートも格調高くなった。タンゴ発祥の地、ボカに近い相当危険な貧民窟のすぐ近くにあった発電所跡を美事な文化施設として再開発したのがこのウシナ…だが、３階建てのこの建物のなかには立派なクラシックホールの他、多目的なイベントに使えるようにと、全体を非常に機能的に考えられた建物だ。まだ認知度は低いが、十数年前に「セニョールタンゴ」という巨大タンゴ・ハウスができた頃からこの地域の再開発は決まっていて、数年前から確実に再開発が進んできている地域で、日本のNECの南米本社もこのウシナのすぐ隣りに建てられている。今回はここの他チャカリータ地区のレヒオ劇場、さらにセンテナリオ公園野外劇場、さらにコロン劇場まで使ってのフェスティバルで、フェスティバルの総合プロデューサー、モッシ氏も素晴らしい会場を得て、就任以来初めて満足な仕事が出来たのではないだろうか。それほど充実した内容のフェスティバルだった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　今回、個人的になにより嬉しかったのはウシナで催されたオスバルド・ベリンジェリの復活コンサートだった。ベリンジェリについては数年前から、もう絶望的と言われるくらい暗いニュースしか聞いていなかっただけに、プログラムに「ベリンジェリ楽団」の名を見ても信じていなかった。が、一緒にいた当編集部の鈴木多依子が「巨匠ステージに帰ってくる…と書いてありますけど…」と呟くので、確かめてみると確かに。急遽行き先を変更、ウシナへ。予約してないから入るのに一苦労だったが、プロデューサーのモッシと連絡取れだの、大臣と連絡とれだの…理不尽なことを連発していたら、ついに入場を許可された。で、入ってみるとそこにはパブロ・アグリの弦楽アンサンブルとオラシオ・ロモのバンドネオン、クリスティアン・サラテのピアノ。途中でベリンジェリの紹介。最前席に座るベリンジェリの姿があった。あの分厚い眼鏡はしていないが確実にあのマエストロ、ベリンジェリだ。紹介に，夫人に手を引かれてようやく立ち上がるベリンジェリが。満場がすでにスタンディングでマエストロの病気からの回復を祝う。が、そのまま座ったので、この日はもう演奏は無し?と思っていたら、数曲演奏した後アグリが立ち上がって、ベリンジェリに話しかけ、遂に、遂にマエストロがステージに。しかもサラテに手を引かれピアノ椅子に座るではないか。そして…以前ほどの超絶ピアノではないにしても、確実にマエストロ・ベリンジェリのあのピアノの音が聞こえてきた。曲が進むに連れて、徐々にベリンジェリらしさが…感動…涙ものの感動だった。終演後は会場中がスタンディング。80過ぎとは言え、あのマエストロだ，必ず完全復活する日も遠くないと感じる名演だった。 (弊誌「ラティーナ10月号に掲載）&lt;br/&gt;</description>
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      <title>天才ネストル・マルコーニのこと...</title>
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      <pubDate>Fri, 24 Aug 2012 15:27:12 +0900</pubDate>
      <description>&lt;a href=&quot;http://holake.info/KENJI_HONDAS_BLOG_PAGE/Blog2012/entori/2012/8/24_tian_cainesutorumarukoninokoto..._files/DSC_2928.jpg&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://holake.info/KENJI_HONDAS_BLOG_PAGE/Blog2012/Media/object003.jpg&quot; style=&quot;float:left; padding-right:10px; padding-bottom:10px; width:254px; height:189px;&quot;/&gt;&lt;/a&gt;　さて、今回は今年招聘作業を手伝うことになったネストル・マルコーニとも会う必要があった。マルコーニとは古い付き合いで、もう70年代の後半からブエノスに行けば彼の出演するタンゴ・ハウスを求めて出かけたものだった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　最初は「カーニョ・カトルセ」。この店は最初は気の良いユダヤ系の経営者がいて、観光客向けではなく、圧倒的にブエノスのタンゴ・ファンに向けて開店した店だった。70年代にはセステート・タンゴやまだ若かったビルヒニア・ルーケなどが出演していた店だが、マルコーニは当時からとにかく即興の演奏が大好きで、後年あまり客が入らなくなった頃は、なんとあのフアンホ・ドミンゲスと客がいようといまいと連日即興タンゴ大会を演じていた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　次ぎに83年、軍政が終わってパリから帰国したスサーナ・リナルディが名付け親になって開店した「カフェ・オメロ」。今やブエノスで一番アンテナの高い若者たちのファッション街、パレルモ・ソーホーの真ん中で、やはりブエノスアイレスの知識人やタンゴ愛好家向けに創られたタンゴ・ハウスだった。もっとも、当時はと言えば、今のような華やかな街並みではなく、真っ暗な中にこの店だけがポツンと出現する感じの店だったが、マスコミ関係者、ファッション関係者、粋な政治家達による客層は民政アルゼンチンを象徴するような素晴らしいものだった。この店の出演陣も凄かった。マルコーニにリドルフィ、タランティーノといった巨匠たちに歌手はゴジェネチェとアドリアーナ・バレーラというもの凄い編成。それは凄い演奏だった。89年、外務省の大イベントで行った「タンギッシモ」のアイデアはここから生まれた。マルコーニは、ここでも毎日同じ曲をまったく違ったスタイルで演奏する。タランティーノは最初はよいが、ピアノの上にワインを置いて飲みながら演奏するから後半には指が動かないなんてことも。でも、あの左手の低音リズム聴きたさに来る客も多かった。ゴジェネチェは｢国民的なスター」ということで恐らくアルゼンチンで唯一あの白いものを人前でやることを許された人だったから、客と一緒にだいたい吸いながら酒を飲んでいる。で、そのうちマルコーニたちがステージに現れて練習風に音を出すと、ゴジェネチェがそれに気がついたように｢もう始めるのかい？まだ早いよ」などと冗談を言い合いながら即興詩でタンゴに入っていく。冗談の喋りからそのままタンゴ・ショーに繋がっていくというもの凄い展開。この頃はブエノスに着くとすぐマルコーニに電話してここを訪れたものだった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　その次はまたまたあまり観光客の臭いのしない「カサ・デル・ビーノ」という店。ここはさほど大きくはないが立派なステージがあって、客席も普通のコンサートスタイルで行われる店だったが、マルコーニは大体土日はここで演奏していた。息子のレオナルドがプロ・デビューしたのもこの店だったと思う。この店ではサルガン・デリオやアグリ、スアレス・パスなんかも出演していて、今から考えるともの凄い店だった。今は殆どタンゴとは関係なくなったが、ここにも良く通ったもの。とにかく、マルコーニという人はミュージシャンズ・ミュージシャン、売れていようが売れまいが音楽家たちからはとにかく尊敬の念を集めていた音楽家だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　知らなかったが、ブエノスアイレス市立タンゴ楽団は彼とカルロス・ガルシーアが始めたそうだ。私は何度かこの市立タンゴ楽団を聴いてきたが、素晴らしいメンバーに恵まれている割に、アレンジも演奏も面白くない。指揮をしていた故オスバルド・レケーナによると「給料制だからね、とにかくいわれるままに演奏していれば給料もらえるから」というわけでレケーナも何度も指揮者を辞めたことがあった。そんなことがあって、数年前、マルコーニが指揮者として戻ってきたと聞いてコロン劇場に出かける事があった。そこで聴いた市立タンゴ楽団の演奏はまったく違って、格調高さの中にウィットまでも込められたオーケストレーションでの素晴らしい演奏だった。マルコーニという音楽家の凄さをまた違う角度から見せつけられた瞬間だった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　この辺りからは、マルコーニはすでにアルゼンチン・タンゴ界で最も重要な立場にいることになる。もともと音楽家の間では尊敬されていたし、その後、ブエノスアイレスの名誉市民となるなど一般的にもようやく実力通りの評価が認められたことになる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　今回は、昨年中止になった三浦一馬との師弟デュオ公演だ。一馬は10才の時からバンドネオンを始めて小松亮太に師事した。2006年に別府で開かれたアルゲリッチ音楽祭でマルコーニに出逢ってからはアルゼンチンに渡ってマルコーニに直接師事するなどマルコーニを師と仰いできた。昨年は311の地震のために予定していたコンサートが中止となったが、今年はそれをもう少しグレードアップして開催する。今回はピアノにフランソア・キリアンも加わって格調高いステージとなりそうだ。しかし、マルコーニという人、実際は相変わらず冗談大好きで、「俺さぁ、名誉市民だぜ。年取ったものだ」と照れる辺りは少しも変わっていない。息子のレオナルドもすでに十分な演奏活動を続けている音楽一家だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　契約のことも10分ほどの話で終了。12月がすっかり楽しみになって来た。&lt;br/&gt;</description>
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      <title>イニャッキのショー、ウルグアイ...</title>
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      <pubDate>Fri, 17 Aug 2012 15:15:44 +0900</pubDate>
      <description>&lt;a href=&quot;http://holake.info/KENJI_HONDAS_BLOG_PAGE/Blog2012/entori/2012/8/17_inyakkinosho,uruguai..._files/DSC_2427.jpg&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://holake.info/KENJI_HONDAS_BLOG_PAGE/Blog2012/Media/object004_1.jpg&quot; style=&quot;float:left; padding-right:10px; padding-bottom:10px; width:254px; height:189px;&quot;/&gt;&lt;/a&gt;　このブログを始めてから、初めて2ヶ月近くも休んでしまった。実は理由はいろいろあったのだが、今までも記したこと以上に、ブログの行間から忘れ去った故お柄を思い出させてくれるために大変に重宝していた。で、再開するに辺り、2ヶ月分のことは、何回かにまとめて書いて、あとは、できるだけ日記でも書くように再度始めて行きたいと思う。最初は本当にメモから。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　まずは、８月５日のサルヴァドールのブログの後。思いつきではあったが、サルヴァドールでの夏休みは素晴らしいものになった。しかし、ブエノスアイレスの冬、しかも「タンゴの８月」はとにかくイベントが多い。今年は弊社でアルゼンチン盤の輸入を担当している鈴木多依子が、いつもはツアーの付き添いでやってくるのだが、ツアーのお客さんたちがいる間は殆ど輸入関係の仕事が出来ないので、彼女を先に来させて、大典社員がツアーを連れてくることにした。で、多依子社員は11日にやってくるので、その間の５日間はできるだけ、普段あまり行かないタンゴ・ハウスを巡ってダンサー探しに精を出すことにした。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　タンゴハウスの出演者情報と手配はすべて毎年招聘しているガスパルに任せることにした。ブラジル行きの前に行った「マデーロ・タンゴ」の他、ビエホ・アルマセン、タンゴ・ポルテーニョ、エスキーナ・デ・カルロス・ガルデル、ピアソラ・タンゴ、セニョールタンゴ…。久しぶりにこれだけ廻ってみたが、タンゴ・ハウスのショーのレベルが凄く上がっていることが印象的だった。以前はお客に媚びる何とも安っぽい演出がすべてを台無しにする場合が多かったのだが、概してその安っぽさは消えてなかなか良いショーになっている。ダンサーの年齢も随分と若返っていて、最初に行ったマデーラだけは頂けなかったが、スピード感、振付、いずれも申し分ない。恐らくタンゴダンス世界選手権の成果もあるのだろうと思う。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　そして、多依子社員が来るはずだった８月11日、ワシントンから連絡。天候のせいもあって乗り継ぎに間に合わず１日遅れるという。USA経由の２回乗り継ぎ便というのは、大体どちらか一方のトランジットが短すぎて、こういうことが度々起きる。出来るだけ避けた方がよいが…。11日朝は、ブエノスアイレスにも雹(ひょう)が降ってきて驚いたものだが、翌日は晴れ、朝多依子社員が元気に到着。本当は到着したその日にイニャッキのセルバンテス劇場での公演に招待されていたのだが、日曜日もあるので、振り替えて貰っていた。で、イニャッキの公演。クラシック・バレエのタンゴ・ダンスだからいつもとはまったく違ったものだが、それにしてもアイデア、照明、質の高さという面ではとにかく圧倒された。考えてみると、タンゴ・ショーの世界は昔は結構なレベルにあったのだろうが、世界的な規模・レベルで考えるとまだまだ始まったばかりと言って良い。アイデア一つとってもオリジナリティという面ではまだまだだ。イニャッキのショー、主役がさほど目立つわけでもなく、6枚ほどの照明の入った板と、やはり６個の四角い箱だけが大道具。しかし、曲毎にその配置が替えられて独特の雰囲気を醸し出す。アルゼンチンのクラシック・ダンス界でのタンゴダンス作品ではフリオ・ボッカが有名だし、振付では数年前に宝塚のために招聘したオスカル・アライスが有名だが、このイニャッキのショーはそのどちらにも似ないオリジナリティ溢れるものでまさに感動。この話を何人かのタンゴダンサーに話したら、みんなが同意してくれた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　さて、タンゴ・フェスティバルは14日から始まるのだが、多依子社員はウルグアイ盤にも注目していて、ウルグアイに一緒に行くことに。ブエノスではフェスティバルのオープニング・パーティがあって招待されていたのだが、ビジネスが大事。朝８時のブケバス（船）でモンテビデオに向かう。嵐が来ているとかで心配したが、さほど揺れるでもなく、無事到着。アポは多依子社員が自分でとっていたので、私は付き添いの親父の気分。しかし、アウロラのモンテビデオ公演をやっていたので、何故か弊社の名前も結構知られていた。仕事の方はCD店やAyui, Sondor, Bizarroといったレコード会社、スタジオなどめまぐるしく２日間でこなしたが、僅かな時間も逃さず写真撮影にも。SondorのスタジオではLeo Masliaにも出逢って記念撮影。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　やはり行ってみると、日本で知られていない良い音楽は結構たくさんあるし、音楽関係者たちの心意気がよい。小さなマーケットだからブエノスアイレニの影響は大きいところだが、一生懸命CDを録音し世界に向けて販売し、自国の文化を育てている姿は美しい。Sondorはモンテビデオの歴史的なレコード会社。フリオ・ソーサ、アルフレッド・シタローサ、ルベンラダといったアーティストの録音の殆どがこのスタジオで行われた。驚いたのは、最初の頃の技術だ。すべてこの会社の創始者エンリケ・アバルは、カッティング・マシーンからビニール盤の焼き付けまで、すべて手作りの機械で行っていたこと。彼らが「博物館」と呼ぶ部屋にすべてが保存してあったが、大したものだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　さて、今回の泊まったホテルは港のすぐ近く。前回ゆっくり行けなかった港の市場（ここは現在大食堂街になっている）の真前だった。ネットで探して非常にセンスの良いデザインホテルなのだが、まぁすべてにゆっくりしているし、返事は最高だが、行動が伴わない。しかも夜は非常に危ない所だ。次回、ホテルはセンターの方が良いと実感。しかし、目の前にある港の市場は最高だった。夕方５時までしかやっていないのだが、大きなスペースに何軒ものレストランやバーが建ち並んでいる。アルゼンチン風やブラジル風の肉やチョリーソ、近海物の魚料理、さらに嬉しいことにパエージャもある。ワインも地ビールもたっぷり飲んでも一人1000円くらいで楽しめる。なにしろ、ウルグアイ人は｢人間」が優しい、これが一番だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　１泊たっぷり二日の旅で仕事と写真撮影などで、帰りの船ではさすがの多依子社員もグッスリ。&lt;br/&gt;</description>
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      <title>興奮のアナ・カロリーナTCA公演</title>
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      <pubDate>Sun, 5 Aug 2012 07:44:52 +0900</pubDate>
      <description>&lt;a href=&quot;http://holake.info/KENJI_HONDAS_BLOG_PAGE/Blog2012/entori/2012/8/5_xing_fennoanakarorinaTCA_gong_yan_files/C.jpg&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://holake.info/KENJI_HONDAS_BLOG_PAGE/Blog2012/Media/object000.jpg&quot; style=&quot;float:left; padding-right:10px; padding-bottom:10px; width:254px; height:189px;&quot;/&gt;&lt;/a&gt;　さて、サルヴァドールの2日目。朝から日増しに天気が良くなってくる。朝の湾の景観はさらに素晴らしくなる。が、何だか歯が痛む。歯と言えば、その昔もこの街で歯が痛くなって，歯医者に行ったことがある。ボストンで勉強してきたと言う女医で、なかなかの美人だった。直ってしまうのが惜しくなるほどの….&lt;br/&gt;で、今回もその想い出に浸りながらオースケの行きつけの歯医者へ。しかもまたもや女医さんだという。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　やはり知的な美人だった。元かなりの美人だ。アレルギーはないか、過去にどうの…と質問された上で、歯を見せると，ブエノスの歯医者に言われたと同様、すぐ抜こう、という。ブエノスの時は｢抜くのは日本に帰ってから」と断ったが、ここでは何故か従うことに。レントゲンを撮られ…｢私は子供頃から歯医者が苦手で…」…｢歯医者が好きな人は世界中あまりいない…」…「でも先生のような美人だったら」…とか明るいことを考えている内に抜歯。抜いた途端すっきりだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　で、この日はオースケがサンパウロへ発つ大事な日というのに彼は昼飯まで付き合ってくれた。そこで始めて知ったが、オースケは実は大学時代（京都の大学の学生だった）まではボクシングまっしぐらの生活で、同じ大阪帝拳ジムの後輩にはあの浪速のジョー、辰吉丈一郎がいたという。最終的には怪我で断念せざるを得なくなってブラジルにきたのだそう。大分変わった人生を歩んできているらしい。その他、書くのをためらうような面白い人生を歩むアーティスト、それがオースケだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　それで、リオのサイモンからの連絡がない。と、ホテルに戻ってすぐサイモンの知り合いと名乗る男性から電話。「サイモンから話を聞いて手配をした。ついてはまず劇場に行って，劇場の支配人の+++の紹介で…次ぎにコンシャの中で…を探しだし、….の許可を貰っている……なかなか難しい手順だ。で、少し早めにカストロ・アルヴィス劇場へ。言われたとおりにするが，相手にはこの話殆ど伝わっていない様子。しかし、支配人の名前をだした途端におとなしく案内される。で、コンシャ野外劇場へ向かうと門番に追い返されそうになる。ひるまずにその責任者の名前を呼び続けていると、来ました、その責任者。初めて話が通じている人間に出逢うことが出来た。で、昔懐かしいコンシャの楽屋で待つ間、リハー中のアナ・カロリーナの歌声が聞こえてくる。素晴らしい。CDで聴くよりも数倍良い。しかも、どの曲もチェックが細かく、完璧だ。嬉しいアーティストに久しぶりに出逢えた感。もっとも、このブラジルでこれだけビッグネームではとてもじゃないがブラジル音楽低調の日本では招聘出来そうもない…等々考えながらいる内になんと、アナは一旦引き上げたらしい。で、カメラマンのポストへ連行されるが、何と今日は私だけらしい。しかも、そこで撮れるのは3曲だけと。若い強烈なアナ・ファンの羨望の眼差しを背に、しっかりと働く決意。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　このショーのタイトルはEnsaio de Cores。アナ自身が描いた作品群の展示会もこの日カストロ・アルヴィス劇場のロビーで行われていた。多才なアーティストだ。アナ・カロリーナはこのショーを今年の初めから行っているようで、リオ公演は6月29、30日の2日間Vivo Rioで行われ大成功だった。それもそのはず、TVグルーボの主催で5月に行ったリオのキンタ・ダ・ボアビスタ公演はなんと30万人の入場者数で記録を創るなど今や絶好調の彼女だ。今回はそのリオ公演の後、サンパウロ郊外のバウルーを経てこのサルヴァドールにやってきたらしい。この後も、ビトリア公演など9月まで公演が組まれているようだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　先ほどのリハが終わったのが6時少し廻ったところ。で、7時半にオープンするわけがないのに、客は7時を少し廻ったところで一杯だ。コンシャは満員だと完全に万を超える客が入る。今日も完全に超の字のつく満杯。もの凄い人気だ。&lt;br/&gt;　8時を少し廻っていよいよステージにミュージシャンが現れた。まず、ピアノのDélia Fischer、続いてチェロのGretel Paganini、ここまで女性で、もう一人は男の子のようなパーカッショニスト、Lanlan。しかし、良く観ると，確かにこれも女性だ。そして、アナの登場になると，もうすでに会場は観客の声でアナの歌が聞こえないほど。結構ゆっくり聴かせたい曲順だったのだが、歌っているアナも苦笑いするほどの聴衆の興奮ぶりだ。で、一応セット・リストは次の通り。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;Rai das Cores  ( Caetano Veloso)&lt;br/&gt;As Telas e Elas  (Ana Carolina)&lt;br/&gt;Alguém Me Disse  (Evaldo Gouveia/ Jair Amorim)&lt;br/&gt;Carvão   (Ana Carolina)&lt;br/&gt;Todas Elas Juntas Num Só Ser  (Lenine)&lt;br/&gt;Azul   (Djavan)&lt;br/&gt;Violão (Fátima Guedes/ Paulo Cézar Pinheiro)&lt;br/&gt;Medley: (Feriado/ O Amor É Um Rock/ Entre Tapas e Beijos) (Chico César, Tom Zé, Leandro e Leonardo)&lt;br/&gt;Saí Pra Tomar Três  (Ana Carolina/ Edu Krieger)&lt;br/&gt;Cabide   (Ana Carolina)&lt;br/&gt;Duelo de Pandeiros&lt;br/&gt;Heroína e Vilã   (Antônio Villeroy)&lt;br/&gt;10 Minutos  (Ana Carolina/ Chiara Civello)&lt;br/&gt;Claridade     (Ana Carolina/ Aleh)&lt;br/&gt;Só Fala Em Mim/ Pra Rua Me Levar (Ana Carolina/ Antônio Villeroy/Celso Fonseca, Ana Carolina/ Antônio Villeroy)&lt;br/&gt;Força Estranha   (Caetano Veloso)&lt;br/&gt;Quem de Nós Dois (Gian Lucca Grignani/ Massima Luca/ Vers: Ana Carolina/ Dudu Falcão)&lt;br/&gt;Eu Comi a Madona   (Ana Carolina/ Antônio Villeroy/ Mano Melo/ Alvin L.)&lt;br/&gt;Garganta  (Antônio Villeroy)&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;Bis: É Isso Aí (The Blower's Daughter) - (Damien Rice/ Vers: Ana Carolina)&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　途中のSaí Pra Tomar Trêsではアナを含め、全員がアコースティック・ギターを抱えたり、Cabideではアナの弾き語りに 他の3人がコーラス、続いてアナとランランのパンデイロ・ショーと，ショーの構成も良くできていた，一瞬たりとも飽きさせない。それと、楽屋で待機中に、広報担当のMIDIORAMAのオラシオの仕掛けなのだろう、なんとミス・バイーア・ゲイ2012と，恐らくその相棒まで準備していたが、最終章で彼らが登場。もう会場は大興奮だ。このメンタリティは日本人には持ち合わせていないだろうが、凄すぎる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　訳2時間たっぷりのショーだったが、世話を焼いてくれたスタッフたちに感謝しながら会場を後にした。といっても、あのコンシャ・アクースティカからカンポ・グランジに抜ける坂道がきつい。老体に鞭打って、休み休みホテルに辿り着いたのであった。たった4日間だったが、まさにバイーアらしいバイーアの体験だった。&lt;br/&gt;</description>
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